正岡子規のニュース

誰からも愛された正岡子規と夏目漱石の友情とは? 子規の一生を描いた、さわやかで、心揺さぶられる青春小説

ダ・ヴィンチニュース / 2016年03月16日17時30分

「白球を追いかけるあの人は、誰からも愛される人でした――」『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』(伊集院 静/講談社)は、正岡子規の青年時代から晩年までを描いている長編小説だ。「青春小説」と銘打ってある通り、最初は爽やかな雰囲気を漂わせながらも、ノボさんの悩みや苦悩を通し、生き方を考えさせる深さを湛えている物語になっている。ちなみにノボさんというのは、正岡子 [全文を読む]

作家・島田雅彦・平野啓一郎がひもとく 道後・松山の魅力

PR TIMES / 2014年06月26日14時38分

2人の現代作家が、彼らの大先輩である夏目漱石、正岡子規、種田山頭火らの足跡をたどり、この地に秘められた魅力を探ります。さらにコメントゲストに、松山市出身の俳人・神野紗希を迎えます。 ●文豪を癒やした道後の湯 夏目漱石が小説「坊ちゃん」の中で、「温泉だけは立派なものだ」と讃えた道後温泉本館は、今年で改築120周年の大還暦を迎えます。松山出身の正岡子規が、神経 [全文を読む]

【プロ野球】「俳句の日」に考える、俳句と野球の深淵なる関係 ~小石博孝(西武)、巨泉、正岡子規、俳句甲子園~

デイリーニュースオンライン / 2016年08月21日16時05分

■「草茂み ベースボールの 道白し」 野球と俳句、というテーマで欠かせないのが文豪・正岡子規だ。1884(明治17)年、東京大学予備門時代にベースボールを知り、自身も熱中。郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えた。 また、「久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも」「今やかの 三つのベースに [全文を読む]

「悟りとは、如何なる場合にも平気で生きている事である」(正岡子規)【漱石と明治人のことば83】

サライ.jp / 2017年03月24日06時00分

悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」 --正岡子規 夏目漱石の親友で俳人の正岡子規は、すぐれた随筆家でもあった。上に掲げたのは、その随筆『病牀六尺』の中に書かれたことばである。 子規は、学生時代から結核を患っていた。肺を蝕んでいた結核菌はやがて背骨をも侵し、脊椎カ [全文を読む]

「もっとも謹慎すべきは全盛期である」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば74】

サライ.jp / 2017年03月15日06時00分

この頃、高浜虚子は、病床の正岡子規に代わって文芸俳句雑誌『ホトトギス』を運営し、なかなかの好評を得ていた。ところが、発行日の遅れが続き、中身もともすると仲間内の楽屋落ちのようなネタが顔を覗かせたりしていた。 一方の漱石はまだ作家デビューはしておらず、熊本の第五高等学校で英語教師をつとめている。虚子ともさほど親しい間柄ではない。 それでも、親友・正岡子規[全文を読む]

正岡子規生誕150年「落語」と「俳句」のコラボイベント 東京・台東区で「ライト俳句落語会 in 子規庵」3月19日(日)・20日(月・祝)に開催!

@Press / 2017年02月10日11時00分

また、近代俳句を確立した正岡子規、終焉の地・子規庵も区内にあります。当企画は2020年に向かって、我が国の文化を世界に紹介する気運の盛り上がりの中、日本の「滑稽」文化を世界の「kokkei」とするべく、川柳と俳句を融合した新しい世界文芸の形「ライト俳句」を台東区の地から発信する最初の企画となります。■「ライト俳句」とは〇「俳句」の大事な要素のひとつ、「俳味 [全文を読む]

『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』(小森陽一・編/集英社新書)が10月14日(金)に発売!

DreamNews / 2016年10月14日16時00分

夏目漱石は結核が見つかり意気消沈する正岡子規を松山に呼び寄せた。子規が得意とする俳句を通して、彼を元気づけるために……。 第一高等中学の同期生である二人は、ともに新たな表現を模索した。本書は、そんな「文学者の友情」を描きながら、子規が俳句・短歌に持ち込んだ「写生」概念を解説。また、子規が病床で描いた随筆『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病床六尺』にも焦点を当て、通 [全文を読む]

「ショート」を「遊撃手」と訳したのは正岡子規ではなかった

NEWSポストセブン / 2013年04月10日16時00分

これを日本語に訳す際、当初は明治時代の俳聖・正岡子規が直訳して「短遮」(たんしょ)としたが、その後、同時代の教育者・中馬庚(ちゅうまんかなえ)が、「遊撃手」と名付けたのが始まりとされる。 この由来は、状況に応じて前進、後退、走者の牽制のためセカンドベースやサードベースへと忙しく動き回る様を見て、「(決まった任務に就かず、戦況の必要によって行動する)遊撃隊 [全文を読む]

東出昌大が語る司馬遼太郎の魅力――人生を変えた司馬文学

文春オンライン / 2017年06月11日17時00分

日露戦争を勝利に導いた軍人・秋山好古、真之兄弟と幼馴染である正岡子規の青春が書かれています。伊予松山の名もない若者たちが、国家存亡の危機に、苦渋の決断をしていく姿には感動を覚えます。 国を良い方向にもっていこうとする決断の積み重ねが、日露戦争という大きなプロジェクトを動かす原動力になる。この物語には多くの成功と失敗が書かれていて、学ぶところが多いのです。こ [全文を読む]

種田山頭火がそっと打ち明けた2つの願いとは【漱石と明治人のことば158】

サライ.jp / 2017年06月07日06時00分

松山は正岡子規の故郷でもあり、昔から俳句が盛んで俳人に理解のある土地柄。山頭火にとっても、どこよりも居心地がよかったのかもしれない。句友たちが見つけてくれたのは、道後温泉から西へ歩いて20分余り、御幸寺(みゆきじ)の境内にある小さな空き家。昭和14年(1939)師走のことだった。「おちついて死ねそうな草枯るる」山頭火はこの住まいを「一草庵」と名づけた。一草 [全文を読む]

今朝は空気澄み 都心から富士山見えた

tenki.jp / 2017年06月03日08時40分

九州から関東では正岡子規の俳句「六月を 奇麗な風の 吹くことよ」にぴったりです。 6月とは思えないサラっとした空気感を味わえそうです。気温が上がっても日陰に入ると、吹く風が心地よいでしょう。新潟と東北の日本海側、北海道は雨で空気がヒンヤリしそうです。 【きょう(3日:土曜)の全国の天気】 沖縄は梅雨空の一日になりそうです。九州から関東にかけては晴れて行楽 [全文を読む]

「人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大すきである」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば152】

サライ.jp / 2017年06月01日06時00分

その後、正岡子規との交遊を通して俳句を詠み、英文学者として文部省派遣留学生に選出されイギリスへも留学、やがて作家として頂点にのぼりつめていく。そうした人生の足跡が、そのまま、漱石書簡の多様な文体の下敷きとなっているのである。 そんな多様な文体を駆使しながら、漱石は真情とユーモアにあふれる手紙をせっせと書いた。 門弟のひとりで、のちに雑誌『赤い鳥』を創刊して [全文を読む]

【書評】稀代の旅好き・正岡子規が見た風景を辿る

NEWSポストセブン / 2017年05月30日16時00分

【書評】『子規の音』/森まゆみ・著/新潮社/2100円+税 【評者】川本三郎(評論家) 正岡子規(一八六七-一九〇二)というと病状記『仰臥漫録』や『病牀六尺』が知られるため、引き籠りの人と思ってしまうが、本書を読むと元気な頃は、実によく旅をしていることが分かる。 著者は、丹念に子規の旅を辿っている。そこから「旅する子規」が浮かび上がる。十五歳の時に四国の松 [全文を読む]

「春は空からそうして土から微(かすか)に動く」(長塚節)【漱石と明治人のことば115】

サライ.jp / 2017年04月25日06時00分

長塚は正岡子規門下の歌人として出発。写生の精神を基礎にした歌づくりに励みながら、雑誌『ホトトギス』に散文作品を発表した。そんな長塚の文章に目をとめた漱石の推挙により、明治43年(1910)6月13日から11月17日まで東京朝日新聞に連載されたのが『土』である。 長塚は几帳面な性格。後年、東京の病院に入院中、実家あてに書いたこんな手紙が残っている。 「帳場 [全文を読む]

猫好きは必携!? 拾い読みするだけで「猫まみれ」になれる一冊『猫の国語辞典』

サライ.jp / 2017年04月14日15時00分

500人の文人の中には、小林一茶や正岡子規といった無類の猫好きとしてよく知られている人物ばかりでなく、葛飾北斎、南方熊楠、谷崎潤一郎のような「え、こんな人が?」と思われる意外な人物も紛れ込んでおり、面白い発見の種も尽きない。 一点惜しいのは、巻末に索引がないこと。そのため、作者別にどんな作品がどのページに掲載されているかを検索することはできない。その意味 [全文を読む]

稲田朋美氏にハシゴ外された“もう一人の学園理事長”直撃

NEWSポストセブン / 2017年04月03日16時00分

ハシゴを外された、という思いはありますが、私から言うことは何もありません」 晩稲田(おくてだ)の水も落してしまひけり(正岡子規)か。 ※週刊ポスト2017年4月14日 [全文を読む]

「よく考えたうえにこれだと思うものは、暗記だけのものよりはるかにいい」(秋山真之)【漱石と明治人のことば87】

サライ.jp / 2017年03月28日06時00分

正岡子規の松山時代からの幼なじみで、大学予備門(のちの一高)では夏目漱石とも机を並べた。のちに海軍兵学校に転じ、海軍軍人となった。日露戦争における日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破り、日本軍を勝利に導いた名参謀だった。 ここに掲げたのは、海軍大学校戦術教官として、学生たちに向かって戦術研究の心得を説いたときのことば。要は、自分の頭で考えることの大 [全文を読む]

「ほかの人に出来て、私に出来ないことはない」(田口八重)【漱石と明治人のことば80】

サライ.jp / 2017年03月21日06時00分

まだ八重さんが生まれる以前、明治25年(1892)には、若き日の夏目漱石と正岡子規も連れ立ってこの宿に宿泊している。 文/矢島裕紀彦 1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』 [全文を読む]

「人間の本質を書いた本には仕事の神髄が詰まっている」フェラガモ 代表取締役社長兼CEO 得能摩利子さん

プレジデントオンライン / 2017年03月16日15時15分

正岡子規、秋山好古・真之兄弟の生きざまを描く。「心から楽しむ、余暇としての読書を満喫させてくれました」 『海賊とよばれた男』 百田尚樹/講談社文庫 歴史経済小説。「一人の経営者として、大いに刺激を受けると同時に、その器量のあまりの違いに深い絶望感をも感じました」 ※掲載の書籍は、得能さんが当時読んだものとは違う版の場合があります。 ---------- 得 [全文を読む]

「自分は周囲が言っているほどの奇人ではない」(南方熊楠)【漱石と明治人のことば69】

サライ.jp / 2017年03月10日06時00分

【今日のことば】 「小生は決して左様(さよう)不思議な人間に無之候(これなくそうろう)」 --南方熊楠 博物学者の南方熊楠は、かつて大学予備門で夏目漱石、正岡子規らと机を並べていた。だが、学校での勉強に興味が持てず、落第を機に中退しアメリカ、イギリスに渡って独学。自然科学誌『ネイチャー』などに数百の論文を発表した。 驚くべき博覧強記。一説には22もの語学 [全文を読む]

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