杉浦忠のニュース

【プロ野球】かつてはオープン戦で引退試合? 江川卓、村山実、杉下茂らのアツいラストピッチを振り返る

デイリーニュースオンライン / 2017年03月23日16時05分

※野球の見方が変わるスマホマガジンでニュースやコラムが読み放題! ■長嶋茂雄との同期対決で幕を下ろした杉浦忠 立教大時代は長嶋茂雄(元巨人)、本屋敷錦吾(元阪神)とともに「立教三羽ガラス」と呼ばれ、南海(現ソフトバンク)入団後はエースとして活躍した杉浦忠。 プロ3年目の1959年には38勝4敗、防御率1.40で最多勝と最優秀防御率を獲得し、シーズンMVP [全文を読む]

【書評】渡辺俊介を一億円選手にした「1センチ1000万円」思考法

まぐまぐニュース! / 2017年03月20日10時00分

杉浦忠投手、足立光宏投手、山田久志投手、上田次朗投手、金城基康投手、仁科時成投手、松沼博久投手…、と諸先輩の投球を見ているうちに、「コントロールが良いアンダースロー投手の共通点」を発見することができた。 一流アンダースロー投手の共通点を知って、渡辺投手が取り組んだこと アンダースロー投手の左足の上げ方は、みんなそれぞれ特徴があってバラバラなのに、コントロー [全文を読む]

【プロ野球】初々しさよ、再び。シーズン終了間際の今だからこそ振り返る2016年の開幕カード《パ・リーグ編》

デイリーニュースオンライン / 2016年09月10日16時05分

杉浦忠などのレジェンドも成し遂げていない大記録だ。 開幕投手を務めた回数を見ても5回は球団2位タイ。球団記録は南海時代の山内新一の6回だ。来シーズン以降、攝津が球団記録に並ぶ可能性はあるのだが……。 ソフトバンクの今シーズンの初勝利は開幕3戦目に武田翔太がもたらした。これを見て筆者は“攝津から武田にエースの座が移った”と実感したことも付け加えておきたい。 [全文を読む]

昭和と平成の境目を過ごした工藤公康監督は「名選手ほど名監督になる」の申し子

ソーシャルトレンドニュース / 2015年11月16日14時01分

昭和や平成初期には、南海の杉浦忠氏やロッテの有藤通世氏、阪神の藤田平氏、近鉄の鈴木啓示氏といった名球会入りした名選手たちも、チームの低迷期と重なったとはいえ、結果を残せなかった。逆に、大毎、阪急、近鉄と3球団を優勝に導いた西本幸雄氏、阪急でパ・リーグ4連覇を達成した上田利治氏といった現役時代は目立たなかったものの、監督として大成した人物もいた。だが、その傾 [全文を読む]

高木守道氏 「僕は元々巨人ファン。そういう時代だった」

NEWSポストセブン / 2015年02月18日16時01分

特に立教には長嶋、本屋敷錦吾(のち阪急、阪神)、杉浦忠(のち南海)の「立教三羽ガラス」がいて、中でも長嶋さんの人気はずば抜けていた。僕も中学、高校時代には、長嶋さんが載っている『ベースボールマガジン』のグラビアを切り抜いて部屋に貼っていたほどです。 あの頃は、入学以来ずっとやらされていた球拾いからようやく卒業し、練習に混ぜてもらえるようになった時でした。立 [全文を読む]

今こそ伝説の80年代パ・リーグを熱く語れ! こんな名言、あんな珍言…「国民栄誉賞もろうたら立ち小便もできない」?

週プレNEWS / 2014年12月21日11時00分

88年、その南海がダイエーに身売りした際、最終戦で杉浦忠監督が残した「長嶋君ではありませんが、ホークスは不滅です。ありがとうございました。行ってまいります!」との無念の挨拶(あいさつ)も記憶に残る名言だ。 そんな杉浦の立教大学の先輩、日本ハム・大沢啓二監督は82年プレーオフで対戦する自然食推進派の広岡・西武に対し「草の葉っぱを食べているヤギさんチームに負 [全文を読む]

豊田泰光氏「田中将大と稲尾和久は、まったくレベルが違う」

NEWSポストセブン / 2013年12月26日07時00分

また、稲尾とタイトル争いをやった投手には杉浦忠、スタンカ、土橋正幸、尾崎行雄、米田哲也がいて、こんな連中と真っ向から投げ合ったんです。 そんな中で、シーズン42勝、30勝以上が4回、入団以来8年連続20勝、年間400イニング以上2回と、今のプロ野球では考えられないハードワークの記録が並んだわけです。この数字を見て、今の人は「稲尾のすごさ」だけを語るけど、オ [全文を読む]

南海が「グレートリング」から「ホークス」へと名称変更した理由

NEWSポストセブン / 2013年03月31日07時00分

投手には杉浦忠、スタンカらがいた。 野村監督時代には熱心なオーナーの存在もあった。1968年からオーナーを務めた川勝傳は、「ワシの目の黒いうちには絶対に(球団を)売らん」と赤字が出ても球団を守り続け、野村を寵愛した。しかしその野村が1977年に解任されると、その後11年間Bクラスに低迷。川勝が死去した1988年に、球団身売りに至る。時代の流れとともに、勝利 [全文を読む]

かつての大阪球場 選手から客席の女性のパンツ丸見えだった

NEWSポストセブン / 2012年09月09日07時01分

1959年に杉浦忠が38勝4敗と大活躍し、日本シリーズでも4連投4連勝でやっと巨人に雪辱を果たす。杉浦は大喜びのナインを尻目に、「一人で静かに泣きたい」といって、ベンチ裏コンクリートの支柱にそっと姿を消していた。 ※週刊ポスト2012年9月14日号 【関連ニュース】中村紀洋 年20本塁打達成するまで夜間外出しないと誓った西武ドームの「おかわり焼き」カリカリ [全文を読む]

フォーカス