竹中正久のニュース

創設100年山口組が大分裂 「山一抗争」を超える報復合戦も

NEWSポストセブン / 2015年08月31日07時00分

1984年、竹中正久・四代目山口組組長の就任に反発した山広組の山本広組長ら幹部が脱退し、一和会を立ち上げた。 翌1985年、竹中組長と中山勝正若頭が一和会系のヒットマンにより射殺。組織のトップとナンバー2が同時に殺されたことで、山口組は即時報復に転じ、抗争が勃発。全国各地で317もの抗争が発生し、双方で25人の死者を出す「山一抗争」へと発展した。 この事件 [全文を読む]

最強の弟・渡瀬恒彦と「アサ芸」のゆくえ

文春オンライン / 2017年03月25日11時00分

超武闘派として知られ、山口組の組長にまで上り詰めた竹中正久、その実弟で同じくヤクザの竹中武を、溝口敦は「竹中正久以上に正久的な男が竹中武だ」と評した。それをもじれば「渡哲也以上に哲也的な男が渡瀬恒彦だ」。 これを意外におもうひとは多いに違いなく(だからわざわざ「芸能界最強伝説」が記事になっている)、それは「人をホロリとさせる世界に入っていった」ことの賜物 [全文を読む]

ヤクザの心理術 山口組四代目組長の伝説の口説き文句とは

NEWSポストセブン / 2016年11月25日16時00分

【*竹中正久・四代目組長の襲名に反発して離脱した一和会と山口組との抗争。暴力団関係者25人が死亡した】 「ヤクザはケンカが強いだけでは務まらず、出世する大物は心理戦が得意です。『攻め役』と『なだめ役』に分かれ、相手の心が揺らいだところで自分に有利な落とし所を作る。そんなヤクザ独自の脅しも代表的な例です。ヤクザの争い事は、多数派工作や情報戦など心理的な駆け [全文を読む]

「山口組」対「一和会」に巻き込まれた人々は、何を感じていたのか

文春オンライン / 2017年05月12日17時00分

「第一の視点」では、抗争中に暗殺された竹中正久・四代目山口組組長とその周辺に焦点が当てられた。これはこれで、ここ数年のNHKが得意としている“掘り起こし”取材と、豊富なアーカイブ映像で見ごたえがあったのだが、ユニークだったのは「第二の視点」。主役は当時、抗争を取材していた夕刊紙の記者たちだ。 戦後から八〇年代後半にかけて大阪では「大阪日日新聞」や「関西新聞 [全文を読む]

山口組と会津小鉄会 血塗られた50余年史

NEWSポストセブン / 2017年02月04日16時00分

【*昭和59年8月、竹中正久若頭の四代目山口組組長就任に反対する山本広組長代行らが、「一和会」を結成し分裂。平成元年3月までの約5年間、双方の間で大小300以上の抗争事件が勃発した】 友好関係を築いてきた山口組と会津小鉄会だが、平成に入ると状況は一変する。山口組が木屋町事件の手打ちを反故にして京都に侵攻、再び両者の抗争が相次いだからだ。「当時の京都は、京都 [全文を読む]

週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」政治・事件スクープの表裏!<血と銃弾>(2)

アサ芸プラス / 2016年10月23日09時53分

抗争において、四代目・竹中正久組長が暗殺。一般市民を恐怖のどん底に落とす熾烈な事件が繰り返された──。現在でも「ヤクザ」は週刊アサヒ芸能の真骨頂である。「昨年の山口組分裂騒動は、過去の事件とは時代も状況も違う。きっと、長い長い闘いになると想像しています」(前出・大谷氏) 築き上げ育ててきたインサイダー情報網と、正確な報道は、たとえ「山口組」が分裂したあとも [全文を読む]

山口組抗争取材 女性記者が直参組長に話しかけられる場面も

NEWSポストセブン / 2016年03月29日16時00分

山一抗争(※注)の際、取材に来た女性記者を見つけた竹中正久四代目組長が、「一緒にホテルに行くなら(情報を)教えてやる」とからかっていたが、この程度は親愛の情の範疇なのだ。 [全文を読む]

山口組分裂抗争に影響か…元暴力団「大物」組長が極秘帰国、都内に入院

Business Journal / 2016年03月26日11時00分

後藤氏は1984年7月、竹中正久組長(4代目)時代の山口組で直参に昇格。渡辺芳則組長(5代目)時代の東京進出では先駆けとなって勢力を広げ、司忍組長(6代目)のもとで舎弟(司忍組長の弟分)に就任した人物だ。 後藤氏は武闘派としても知られ、1992年には暴力団を描いた映画『ミンボーの女』の監督である伊丹十三氏を後藤組組員5人が襲撃するという事件も起こしている [全文を読む]

山口組大分裂 「現在の幹部が身を引き再合併」もあり得る

NEWSポストセブン / 2016年01月07日07時00分

【*注:1984年、竹中正久組長が四代目を襲名したことに反発した反竹中派が「一和会」を結成。竹中組長は一和会に殺害されたが、山口組の報復が激化。1989年の一和会解散まで双方で25人の死者を出した】 ※週刊ポスト2016年1月15・22日号 [全文を読む]

山口組“分裂騒動”で混迷する内部に潜入…鉄のシャッターに監視カメラは10個以上

デイリーニュースオンライン / 2015年12月07日12時00分

四代目組長・竹中正久氏はここを居にする前に銃弾に倒れてしまったが、五代目組長・渡辺芳則氏は、本家一階にある「奥の院」に居住し、当時は本家・総本部が一体であった。では現在の六代目はどうなのか? 「基本的に、六代目は本拠地の名古屋に住んでおられ、本家・名古屋、総本部・神戸と分離した状態です。その間、留守を守るのは、本部事務所詰めの人間と、我々住み込みの若い衆 [全文を読む]

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