重光葵のニュース

重光葵の直談判がなければ日本はGHQに植民地化されていた

NEWSポストセブン / 2015年11月26日07時00分

外務省官僚として、そして外相として戦中戦後の外交を担った重光葵(まもる)は、マッカーサーを相手に一歩も引かずその方針を覆させ、日本を救った。重光は1945年9月2日、東京湾に停泊するミズーリ艦上で連合国の降伏文書に調印した。「明治以降で最も偉大な外交官のひとり」とされる重光の交渉術について、作家で歴史資料収集家の福冨健一氏が解説する。 * * * 敗戦直 [全文を読む]

アジアで親日国多い背景 重光葵が構想した大東亜宣言も影響か

NEWSポストセブン / 2015年11月23日16時00分

シルクハットにステッキ姿で連合国の降伏文書に調印した男こそ、明治以降で最も偉大な外交官のひとり、重光葵(まもる)その人でした。 漢学者を父に持つ重光は少年時代、井戸の水で身を清めて教育勅語を朗読する毎日を送り、外務省入省後はドイツ、英国、米国、中国、ソ連など各国に赴任し外交官として幅広い教養を習得しました。 惨劇に見舞われたのは1932年に上海で行なわれた [全文を読む]

プーチン会談裏、安倍首相が外務省との暗闘に屈服…現実路線=北方2島返還を断念

Business Journal / 2016年12月28日06時00分

当時、ダレス米国務長官は重光葵外相に、ロンドンでの会談でこう言い渡した。「日本が国後・択捉両島をソ連領として認めることはサンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることになる。そのような場合、米国は条約第26条により沖縄を永久に保有する立場に立つ」 サンフランシスコ条約で、南千島の領有をソ連に認めたが、歯舞・色丹・国後・択捉は北海道の一部であるというのが、 [全文を読む]

鳩山も岸も角栄も果たせなかった北方領土交渉の歴史

NEWSポストセブン / 2016年10月06日07時00分

「米国のダレス国務長官が重光葵・外相に『日本が国後、択捉をソ連に帰属させる(=歯舞、色丹の2島で合意する)なら、米国は沖縄を返還できない』と警告した。世にいう“ダレスの恫喝”です。 一方、その4年後に岸信介内閣が日米安保条約を改定(1960年)すると、今度は反発したソ連が『日本からの全外国軍隊の撤退がなければ歯舞、色丹は返還できない』と通告、交渉は暗礁に [全文を読む]

6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本

まぐまぐニュース! / 2016年02月23日08時00分

その後、重光葵(まもる)駐ソ大使まで乗り出したが、ソ連側は態度を変えず、しかも「杉原だからダメだ」というのみで、理由も明かさない。ついには互いへのビザ発給拒否の報復合戦にまで発展したが、杉原のソ連入国はついに諦めざるを得なかった。 ソ連が杉原を恐れたのは、彼の諜報活動で煮え湯を飲まされた経験があったからだ。1933年にソ連から北満(北部満洲)鉄道を売却す [全文を読む]

「抗日運動家の記念館を石川県に設立?」で民団に真意聞いた

NEWSポストセブン / 2013年01月31日07時00分

この事件の現場には、当時中国との停戦交渉を行なっていた重光葵(しげみつ・まもる)もいた。重光が第二次世界大戦の降伏文書に署名したとき、杖をついていたのは、この事件で右足を失ったからである。 韓国では教科書にも載り、知らない人はいないという尹奉吉だが、日本人にとっては紛れもなく爆弾テロの実行者である。その記念館をあろうことか、日本に設立しようとする意図は何 [全文を読む]

大前研一氏 北方4島は米国がソ連に“戦利品”として与えた

NEWSポストセブン / 2012年06月14日16時00分

実は4島一括返還は日本政府が自ら言い出したのではなく、1956年8月、アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官が日本の重光葵外相とロンドンで会談した際に求めたものだ。 [全文を読む]

フォーカス