児玉源太郎のニュース

旧日本軍官舎で見つかった頭像、第4代総督務めた児玉源太郎と鑑定―台湾

Record China / 2016年12月09日11時50分

2016年12月8日、風伝媒によると、台湾台南市の旧跡「旧日本軍歩兵第二連隊官舎群」で昨年見つかった頭像が、日本統治時代の第4代総督を務めた児玉源太郎の全身像の一部であることが明らかになった。 頭像は床下から偶然に見つかったもので、大きさは実寸大。これまで現地の大学が鑑定作業を続けていた。市の文化局によると、全身像はイタリアで作られ、1904年に台湾に到着 [全文を読む]

台湾人が問う、日本の「植民地支配」は本当にあったのか?

まぐまぐニュース! / 2016年06月08日20時00分

やがて第4代総督・児玉源太郎の時代(明治31年~明治39年)になると、民政長官に後藤新平が就任したこともあって、「植民地経営」的な色彩を帯びてくるようになる。そのことは、持地六三郎の『台湾植民政策』でも指摘している。後藤の「植民地政策」は、先に述べたようにイギリスを範としたもので、台湾の慣習に従いながら文明開化、殖産興業を具体的に推進していった。また、後 [全文を読む]

台湾が親日な理由は彼らにあった。台湾の発展に尽くした日本人列伝

まぐまぐニュース! / 2016年03月16日19時30分

次ページ>>台湾の発展に力を注いだ「維新の三傑」の息子とは 児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造 明治31(1898)年、日本の台湾統治は、まだ3年目であり、あちこちに反抗勢力が残り、治安の確立も、産業の発展も立ち遅れていた。ここで第4代提督として任命されたのが、後に日露戦争でも活躍した児玉源太郎である。児玉は、後藤新平(後の東京市長)を民政長官に起用した。 [全文を読む]

東出昌大が語る司馬遼太郎の魅力――人生を変えた司馬文学

文春オンライン / 2017年06月11日17時00分

満洲軍の参謀だった児玉源太郎は、どんな状況になっても細々した身支度も部下に任せず自分できちんとやるような男です。お天道さまに手を合わせて、一度決めたようなことでも、状況が変われば臨機応変に対応し次々とロシア軍を破っていく。 日本海海戦で指揮をとった東郷平八郎の人間の大きさも忘れられません。海戦時には、艦橋に立って、波しぶきを被ろうとも、近くで爆弾が炸裂し [全文を読む]

東芝が巨額の損失を負う事態に陥った2つの背景

プレジデントオンライン / 2017年04月17日09時15分

戦況を立て直すために乗り込んできた総参謀長の児玉源太郎は、そんな乃木を「専門家に呑まれた」と見ます。 児玉の考えでは、敵の要塞を粉砕するには、重砲を集めて間断なく撃ち続けることでした。しかし、専門家は無理だと否定します。その理由は、今までやったことがないから、というものでした。次の文章に、児玉の専門家に対する見方がよく表れています。 児玉は過去に何度も経験 [全文を読む]

【書評】『坂の上の雲』の旅順攻略戦は読み飛ばした方がいい理由

まぐまぐニュース! / 2016年12月06日16時32分

誤りだらけだった司馬遼太郎の「タネ本」 NHK『坂の上の雲』では、乃木・柄本明、伊地知・村田雄浩と無能な役がうまい風貌の役者をあて、司馬によるヒーロー・児玉源太郎を高橋英樹が演じていたことを思い出した。司馬『坂の上の雲』の中には「乃木の戦下手」という言葉が何度も出てくる。これに呪縛される読者も多い。なぜ司馬は二人を無能と決めつけたのか、その疑問が真実追求 [全文を読む]

犬が去り豚が来た。日本撤退後の台湾を襲う大陸からの招かざる客

まぐまぐニュース! / 2016年10月31日19時19分

台湾経営が軌道に乗ったのは、98年に着任した第4代総督児玉源太郎と民生長官後藤新平のコンビによってである。後藤は全島に800人の調査員を派遣して、土地の測量と権利者の登記を行った。 台湾大学の歴史家呉密察教授によれば、中国人社会において、「民衆の財産所有権を政府が初めて法令によって保証し、台湾を資本主義社会の道に踏み込ませた」と評価している。後藤はさらに交 [全文を読む]

<漫画「日露戦争物語」の真相(2)>明治元年・松山生まれの秋山真之が主人公では「日露戦争」は描けない

メディアゴン / 2015年06月03日07時20分

苦戦していた陸戦でも無能な乃木希典将軍(実は無能ではない)の代わりに登場した乃木将軍と親友の児玉源太郎参謀長の下した新たな命令によってすぐに旅順要塞が陥落するという少年ジャンプの格闘パターンと同じ構造の展開を用意し読者の快感中枢をしげきしまくった。そう、友情と努力と勝利までもがてんこ盛りなのだ。司馬さんの小説は歴史という事実を題材にして大体が構造的に単純な [全文を読む]

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