鶴岡一人のニュース

【プロ野球】がんばれ谷繁!シーズン途中の監督解任から復活した男たち

デイリーニュースオンライン / 2016年08月13日20時13分

鶴岡一人(元南海監督) 1940~1960年代にかけて南海ホークスを常勝軍団に創り上げた親分・鶴岡一人も、じつは休養経験がある。 2リーグ分裂後の12年間で3位以下が一度もない圧倒的な実績を持つ鶴岡南海だったが、1962年は開幕から大スランプ。8勝25敗1分で最下位に沈んでいた5月26日、「悪い指揮官のいるチームは全滅する」と言い残し、突如休養を発表し [全文を読む]

【プロ野球】巨人・高橋、阪神・金本…長期政権にするための絶対条件とは?

デイリーニュースオンライン / 2016年01月03日16時00分

鶴岡一人 南海・23年 優勝 王 貞治 ダイエー・ソフトバンク 14年 5位 川上哲治 巨人・14年 日本一 西本幸雄 阪急・11年 最下位 水原 茂 巨人・11年 3位 古葉竹識 広島・11年 優勝 上田利治 阪急・10年 2位 原 辰徳 巨人・10年 4位 8人中3人が優勝、2人がAクラス入りを果たしているが、Bクラスに終わった西本監督と原監督も、監 [全文を読む]

現役時の野村克也氏 田淵幸一氏を「こいつダメ」と感じた瞬間

NEWSポストセブン / 2015年12月27日07時00分

私が名監督と考えている三原脩(西鉄など)、水原茂(巨人など)、鶴岡一人(南海)、川上哲治(巨人)、西本幸雄(阪急など)の私が名監督だと考えている「5大監督」がすべて内野手であることを考えても頷けるところだ。しかし、細かい点を見ているという点では、やはり捕手の右に出る者はいない。 捕手は監督以上の仕事をやっている。試合前から様々なデータを駆使して相手打者の分 [全文を読む]

広島・黒田博樹「不屈の野球道」(6)生真面目さが分かるあるエピソード

アサ芸プラス / 2015年04月23日05時55分

「南海ホークスの鶴岡一人さんの要請を受けて新設された『オール住之江』の監督に、クロのお父さんが就任することになって、それでこっちを退部することになったんです」 この時も黒田は、チームメイトの前で、「みんなと一緒に野球ができなくなるのは寂しい。ありがとうございました」 と深々と頭を下げたという。 後年、広島からメジャーに移籍する際、ファンに向けた真摯な姿勢は [全文を読む]

初代日本人メジャー 村上雅則の後野茂まで30年かかった理由

NEWSポストセブン / 2014年03月14日16時00分

1962年、村上は鶴岡一人監督の下で黄金時代にあった南海に入団する。当時の南海は、メジャーの戦略・戦術を積極的に学び、若手の育成を兼ねて野球留学を行なうなど、時代を先取りしたチーム作りを行なっていた。その留学生の1人に選ばれたのが、“左腕で面白い球(スクリュー)を投げる”と評価されていた村上だった。 プロ入り2年目、1964年のキャンプ後半に渡米。当初は6 [全文を読む]

王貞治氏「今の野球は残念ながらお金の話が先に出るように」

NEWSポストセブン / 2014年01月01日16時00分

●取材・文/永谷脩(スポーツライター) ※週刊ポスト2014年1月1・10日号 [全文を読む]

ソフトバンクの背番号30 「鶴岡」専用ナンバーのジンクス

NEWSポストセブン / 2013年12月07日16時00分

「もともと30は、東京六大学野球などでは監督の背番号として知られ、ソフトバンクの前身・南海では長らく、鶴岡一人監督の背番号でした」 その鶴岡監督が退いた後、14年の空白期間を経て、選手に渡ると、なぜか活躍できないというジンクスが生まれてしまった。 「最初は台湾から南海に入団した高英傑が付けましたが、外国人枠のために一軍登録されない日々が続いた。その後を継 [全文を読む]

朝食会に1日だけ遅刻した仰木彬に三原脩が見せた粋な気遣い

NEWSポストセブン / 2013年10月08日16時00分

三原は鶴岡一人、水原茂とともに戦後プロ野球界の3大監督といわれる。特に、同じ香川県出身の水原とは好対照で、永遠のライバル。水原の復員と同時に巨人監督を追われる形で西鉄に移り、その巨人相手に3連覇を果たしたのはあまりに有名だ。 松竹の女優を夫人にした慶大のエリート・水原とは違い、大学近くの喫茶店のマドンナと恋に落ち、学生結婚をした早大の三原は庶民に近い存在 [全文を読む]

かつての大阪球場 選手から客席の女性のパンツ丸見えだった

NEWSポストセブン / 2012年09月09日07時01分

1950年代、「グラウンドには銭が落ちている」という名言で知られる“親分”鶴岡一人監督が濁声でチームを率い、「100万ドルの内野陣」を擁した南海は強かった。ただ、4度出場した日本シリーズではすべて巨人に敗退。1959年に杉浦忠が38勝4敗と大活躍し、日本シリーズでも4連投4連勝でやっと巨人に雪辱を果たす。杉浦は大喜びのナインを尻目に、「一人で静かに泣きた [全文を読む]

フォーカス