親父のニュース

眼を瞑って、そう、大きく、大きく息を吐くのよ

文春オンライン / 2017年05月25日07時00分

担当医の説明が一通り終わると、外の廊下の長椅子で親父がしょぼくれて座っていた。普段は意味もなく「ガハハハ、ガハハハハ」と豪快に笑っている男であったのに、長年連れ添ったお袋が病床に臥すと途端に意気消沈するものらしい。改めてみると、親父もずいぶん老け込んだ。私が子供のころは怖いぐらいに筋肉質の大男だったのに、30年の歳月を経て風船が破裂したようにしなびた老人 [全文を読む]

亡き父・力也に肝臓64%移植した安岡力斗「腹の傷は絆の証」

NEWSポストセブン / 2016年06月18日07時00分

親父はマフィアの抗争で命を落とした」 父親のそんな話を、ぼくは今も疑っていません。身長約190cm、体重100kg以上。眼光鋭く強面な父で、若い頃は20リットル入りのペール缶に酒を満たし、山城新伍さんたちと飲み比べをしたとか。数々の武勇伝は“無頼漢”という安岡力也のイメージを、自分で演出したのかもしれません。 親父はサービス精神旺盛でもありました。学校行事 [全文を読む]

金田正一氏 がんの父に捧げた長嶋デビュー戦「4三振」秘話

NEWSポストセブン / 2016年10月03日16時00分

実はこの時、ワシは名古屋に住む親父を球場に招待していた。親父は胃がんにおかされており、東京の医者に診せるために後楽園に呼んでいた。 球場は4万5000人の超満員だった。三塁側のスタンドから親父が応援する中、ワシは長嶋の初打席を三振に打ち取った。続く3打席も三振を奪い、4打席4三振。ワシの圧勝だった。 開幕戦の翌日、親父は都内の日赤病院に入院した。もう親父 [全文を読む]

風間杜夫 脳梗塞で倒れてから12年に及んだ父の看病、死を語る

NEWSポストセブン / 2015年01月27日07時00分

* * *「おれはな、どこかで潔くポックリ死んでやる」 そう言っていた親父が脳梗塞で倒れたのは、25才でぼくが所帯を持った翌年だった。親父が倒れた頃からぼくの仕事は忙しくなった。もう少し元気でいてくれれば、小遣いもあげられたし、飲みにもうまいものを食べにも連れていってあげられたのに。 リハビリもする気はなく入退院を繰り返し、体も動かず口もきけず、頭だけは [全文を読む]

メザシの土光さんは家庭でどんな父親だったか 長男が述懐

NEWSポストセブン / 2016年09月22日16時00分

親父は若い頃から苦労ばかりした人だった。ぼくは社会に出て働き始めてから、“親父の真似はとてもできないな”と思ったよ」 こう語るのは、土光敏夫氏の長男で、現在は、敏夫氏の母親が創立して同氏も力を入れた学校法人橘学苑の理事長を務める陽一郎氏。不世出の父親を息子が振り返る。 「親父は戦前、戦中、戦後とずっと忙しくしていた。体を動かすのが好きで、若い頃は留学先 [全文を読む]

ジャーナリスト大谷昭宏氏 裁断の名人だった父について語る

NEWSポストセブン / 2015年02月09日07時00分

その頃、既製服の普及で、高級紳士服店が立ち行かなくなると、親父は勤めを辞めて、自宅で注文を請け負うようになった。 修業を積んだ職人は強い。既製服が全盛になっても、仕事に困ることはなかった。内閣総理大臣を務めた幣原喜重郎氏や、朝日新聞副社長で自由党総裁を務めた緒方竹虎氏、作家の野村胡堂氏といった、いい常連客が親父の仕立てる紳士服に袖を通していた。 親父は裁 [全文を読む]

「“キンケシ”がなぜあの両腕を開いたポーズなのか…」伝説の原型師Ⅱ世が原作者と初対面で明かす制作秘話

週プレNEWS / 2017年02月06日10時00分

嶋田 家でご覧になったんですか? 廣田 はい、当時は自宅に工房があって親父はそこで作業をしていたんです。そこには私も子供の頃からよく出入りしていまして、親父が造形したものや作業の様子をよく見てました。当初は怪獣や力士、スーパーカーのミニフィギュアの原型でしたね。 嶋田 はいはい、ありましたよね~。キンケシの前ですね。 廣田 そうです。その頃は、親父の手が [全文を読む]

歌手・山川豊「半農半漁で一家支えた海女の母の姿が今も残る」

NEWSポストセブン / 2016年07月21日07時00分

船の上の親父がその役目だった。 ところが、酒を飲んでいると合図を見過ごしてしまうことがある。僕が何度も親父を揺すって引き揚げさせたのを覚えています。親父はアワビが捕れないと「もっと捕ってこい」と頭を竿で叩き、おふくろはまた潜る。捕れない日は家に帰ってからも親父が荒れた。 月1000円の給食費にも事欠き、おふくろが親戚に頭を下げて借りてくれたこともあった。そ [全文を読む]

森村誠一氏 空襲で初恋相手の遺体を目にし作家になると決意

NEWSポストセブン / 2015年08月14日07時00分

「とうとう来た、逃げろ」という親父の怒声で、家族全員、外に飛び出しました」(森村さん、以下「」内同) 熊谷空襲――B29約80機が8000発ほどの爆弾を熊谷市一帯に落とした。中心街は3分の2が消失し、266人の命を奪ったといわれている。 「いったん、家の近くを流れる星川のほとりまで逃げました。そこで飼い猫のコゾを家に置いてきたのに気づいたんです。妹が『捜し [全文を読む]

大谷昭宏氏 「親が残すものは教育だけ」亡き母の言葉を明かす

NEWSポストセブン / 2015年02月10日07時00分

* * * 1909年、三重県伊勢市に生まれた親父は高等小学校を卒業すると、14才で故郷を離れ、縫製職人をめざして銀座の老舗の米田屋洋服店に奉公に入った。 「100人の職人の中で、店で仕事をしたのはおれぐらいだ」 ぼくが物心つくころ、丸ビル内の店舗で接客を担当していた親父はいつもそう自慢していた。昔気質の職人は気難しいものだが、親父は陽気な人だったから、 [全文を読む]

“キンケシ”新シリーズ復活で伝説の原型師Ⅱ世と原作者が初対談「キン肉星の国宝に指定したい!」

週プレNEWS / 2017年02月07日15時00分

あとは、親父も僕も昔からプロレスが好きでよく見てましたので、それもキンケシの仕事が特別に楽しい理由のひとつかもしれません。 嶋田 へぇ~、そうなんですか! 廣田 はい、だから昔のキンケシでもビューティーローデスとか、実在のレスラーをモデルにしたものは好きでしたね。 嶋田 なるほどね~。確かに、それを知ってないとここまで特徴をとらえて作れませんよね。ちなみに [全文を読む]

桑名正博が息子・美勇士に抱きつき大粒の涙をこぼした日

NEWSポストセブン / 2016年06月19日07時00分

そんな親父がポキッと折れるときが来るかもしれない、という予感はあった。 「おれ、2人目の子供ができた」「よかったやないか」そんな会話が最後になった。脳幹出血という疾患は突然、襲ってきた。 延命処理に関してはよかったと思っている。親父は眠ったまま104日間生きた。ぼくはたくさんの涙を流し、心の準備はできたし、何百人もの人が親父と最後のお別れができた。 葬祭場 [全文を読む]

風間杜夫が父の思い出語る「座卓をひっくり返したことも」

NEWSポストセブン / 2015年01月23日07時00分

おふくろがそばにいてくれて心強かったが、ときには親父がおふくろに代わって、撮影所で仕事をするぼくに付き添ってくれた。 親父は新東宝という映画会社で配給の仕事をしていた。娯楽の少ない時代に映画会社の配給の営業は羽振りがよかったらしく、ぼくが生まれ育ち今も暮らす、世田谷区上馬の自宅の土地も、終戦直後に親父が手に入れたものだ。 明治生まれの気難しい親父で躾にも厳 [全文を読む]

さだまさし 29歳で抱えた28億円の借金取り戻そうと本執筆

NEWSポストセブン / 2012年05月19日07時01分

親父が遺してくれた借金とか、おかげさまでいろいろありましたから(笑い)。これからの人生は“おつり”だと思っているんです。 やっぱりねえ……昨年の震災が大きかった。今生きていることの意味、運命の不思議なんてことをね、少なからず考えるようになりましたもん。残りの人生を“おつり”と思えば楽に生きていけるんじゃないかとね。 40代までは世間体も気にしていたし、若造 [全文を読む]

NEWS小山「憎んでた」父親との確執を告白

日刊大衆 / 2017年01月26日21時00分

そしてこの男性が、父親には今でも怒りを感じると発言したところ、小山が「僕も同じ経験をしていて、小さいときに、親父がそういう人だった」と告白。さらに小学校5年生のときに、母親を守るため父親に「おまえ、ここから出て行け」と告げたことを明かし、「俺が離婚を決めた。母ちゃんに“別れろ”と。“親父といても母ちゃんは幸せになれる気はしない”と。っていうことで小学校5 [全文を読む]

スペシャル対談・田中京×大下英治「今の日本には“田中角栄”が必要だ」(2)角栄が見せた2つの泣き顔

アサ芸プラス / 2016年08月17日05時55分

何だろうと開けてみましたところ、どうやら親父が総理大臣になりそうだ、と。大下 72年ですね。田中 そこで親父に大きな注目が集まって、いろんなことが明るみに出たら、弟がまだ自分の境遇を把握していないので混乱してしまうことを心配して‥‥どうしたらいいだろう、という母の愚痴みたいなものが書かれていた。それで、自分なりの経験を通して、弟に一筆手紙を書いたんです。大 [全文を読む]

【壮絶すぎる人生】萩原流行&まゆ美夫妻の共著『Wうつ』読了|ほぼ週刊吉田豪

東京ブレイキングニュース / 2015年05月08日17時00分

兄が生まれた頃、親父は全国的に名前の売れたバンドのギタリストとして、羽ぶりのいい生活を送っていた。自由が丘に家を2軒もち、愛人とその息子、つまり僕と兄にもずいぶん贅沢をさせていたそうだ。(略)だが、生活はめちゃくちゃだった。仕事が終わると芸者さんを何人も引き連れて箱根へくり出し、そこから母に電話して『おい、坊主も連れてタクシーで箱根まで来い。金は着いたら俺 [全文を読む]

【エンタがビタミン♪】鉄拳“泣かせるパラパラ漫画”の根源は家族、幼少期にあり。父への感謝なく「本当に無知だった」。<インタビュー>

TechinsightJapan / 2014年09月22日20時55分

親父がお笑い嫌いなんですよ。だから言えなくて芸人をやっていることは6年くらいずっと内緒にしていたんです。──鉄拳さんがテレビに出演されていたのはご存知なかったのでしょうか?鉄拳:親父はお相撲とプロ野球とたまに時代劇しか観ないので(笑)。(自分が)バンバンテレビに出ているのは知らなかったはずなんですけど、人づてに「お宅の息子さんテレビに出ているよ」って聞いた [全文を読む]

AK-69の新作シングル「STRONGER」は亡き父に宛てた手紙

Walkerplus / 2017年06月08日18時00分

それを親父が教えてくれた。――父親はどのような方でしたか?「元気なころのイメージは“いい人”。調子のいい人というか、職場でも若い子から同世代にまで好かれる人間で、仲もよかったですよ。うちは母ちゃんが強い家庭で、『母ちゃん、うるさいよな!』と2人で意気投合することも多かった。でも、仕事を転々としていたのも知っているし、父親としての威厳もなかったから…。『いい [全文を読む]

グラミー賞2017ノミネート日本人プロデューサーstarRo 【ゆめを叶えた大人の子ども時代、ヒヨっ子ちゃずのイラストインタビューVol.3】

Woman.excite / 2017年02月07日06時00分

■きっかけはジャズピアニストの“親父”ちゃず─そもそもstarRoさんが音楽を始めたきっかけは何だったんですか?starRo─親父がジャズピアノを弾いていたんです。普段はサラリーマン、週末はライブ、という生活を送っていて、自宅でもよく練習していました。だから、僕は自然と音楽を聴きながら育っていったわけです。 自分が音楽をやり始めたのは、小学校1年生のとき。 [全文を読む]

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