ジャイアント馬場のニュース

1ドルも持たずに渡米した人物 国賓級VIP以外はG馬場のみか

NEWSポストセブン / 2012年06月20日16時02分

日本のプロレス界に大いなる足跡を遺した巨人・ジャイアント馬場(本名、馬場正平)。1999年に亡くなったが依然としてその人気は衰えることはない。ここでは、DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第2巻(小学館)より、ジャイアント馬場のプロレスデビュー当時のエピソードを紹介する。 * * * 地獄の練習を重ねて約半年。昭和35年9月30日の東京 [全文を読む]

力道山 G馬場のチョップ鍛えるため右手を木槌で叩きまくった

NEWSポストセブン / 2012年05月23日07時00分

日本のプロレス界に大いなる足跡を遺した巨人・ジャイアント馬場。1999年に亡くなったが依然としてその人気は衰えることはない。ここでは、DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第1巻(小学館)より、ジャイアント馬場のチョップが誕生するまでのエピソードを紹介しよう。 * * * ジャイアント馬場というと誰もが思い浮かべるのが16 文キック、そし [全文を読む]

「G馬場は1960年代の米遠征1年間で1億稼いだ」との証言

NEWSポストセブン / 2012年04月02日07時00分

身長209cmの長躯で日本のリング界のみならずアメリカでも成功を収めたジャイアント馬場。彼の雄姿を収めた『DVD付きマガジン全5巻~伝説の激闘コレクション ジャイアント馬場「甦る16文キック」』(小学館)が5月より刊行がスタートする。というわけで、数々の名勝負を繰り広げた“世界の巨人”の名勝負ベスト3を、プロレス評論家に選んでもらった。 【第3位】 昭和5 [全文を読む]

「高度成長期のシンボル」ジャイアント馬場が名誉市民に

しらべぇ / 2016年09月08日05時30分

※画像はYouTubeのスクリーンショットプロレスラーの故・ジャイアント馬場が新潟県三条市の名誉市民になった。これは市民団体が前々から呼びかけ、署名も集めた結果、実現したもの。ジャイアント馬場は、昭和中葉の日本文化史に欠かせない。敗戦国が持ち前の工業技術を再生させて奇跡的な経済成長を遂げる中、馬場はその先駆けとしてリングの上で戦った。この巨人は、今や日本史 [全文を読む]

G.馬場に32文ロケットを教えた恩人 G.土門説とP.モラレス説

NEWSポストセブン / 2015年08月07日16時00分

ジャイアント馬場とアントニオ猪木、ふたりのスーパースターの活躍を軸として日本プロレスの軌跡を振り返る、ライターの斎藤文彦氏による週刊ポストでの連載「我が青春のプロレス ~馬場と猪木の50年戦記~」。今回は、ジャイアント馬場のトレードマーク十六文キックに続く必殺技、32文ドロップキック(32文ロケットとも言う)の開発秘話を明かす。 * * * ジャイアント馬 [全文を読む]

松山千春 徹夜麻雀直後に路上で腹筋始めるG馬場を目撃した

NEWSポストセブン / 2012年10月07日16時00分

シンガーソングライターの松山千春は、大のプロレスファンであり、生前のジャイアント馬場さんとプライベートで親交があったという。DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』(小学館)第5巻では、松山が馬場さんの知られざるエピソードを紹介している。 * * * 馬場さんと知り合ったのは、もう30年くらい前になります。馬場さんを紹介してくれた人がいるん [全文を読む]

足のサイズ34cmのG馬場の「16文(38cm)キック」なぜ?

NEWSポストセブン / 2012年05月13日07時00分

日本のプロレス界に大いなる足跡を遺した巨人・ジャイアント馬場。1999年に亡くなったが依然としてその人気は衰えることはない。ここでは、DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第1巻(小学館)より、ジャイアント馬場の16文キックにまつわる秘話を紹介しよう。 * * * 馬場の代名詞ともいえる16文キックが誕生したのは、アメリカ武者修行中の19 [全文を読む]

1000人アンケートの1位はジャイアント馬場! 「あなたがスゴイと思うプロレスラーは誰?」

ガジェット通信 / 2017年03月15日08時05分

参考記事:1位はやはりアントニオ猪木! テレビ朝日『プロレス総選挙』 http://getnews.jp/archives/1656465[リンク] 1位のアントニオ猪木、2位のジャイアント馬場、3位の初代タイガーマスク等には納得した方が多かったようだが、ネット上では若手のプロレスラーとレジェンドが入り混じったランキングには違和感があるという声もちらほら [全文を読む]

真のレジェンドレスラーは?アントニオ猪木がまさかの○位

しらべぇ / 2016年06月03日05時30分

候補にあがってくるのは、プロレスの父・力道山や、ジャイアント馬場、アントニオ猪木あたりだろうか。最近のレスラーは強さよりもタレント性が重視される傾向があり、「強さ」を語られることはあまりない。それだけにゴールデンタイム時代や90年代前半に巻きおこった「プロレスブーム」の際に活躍したレスラーは、いまだに「レジェンド」として崇めたてまつられている。■真のレジェ [全文を読む]

プロレスファン必見!岡田准一が「実現しなかった馬場VS猪木」を大槻ケンヂと大激論!?

@Press / 2015年11月11日12時00分

半世紀前、アメリカで「BABA the Giant」として、大人気を呼んだジャイアント馬場である。当時の長嶋茂雄の10倍の年収を提示されながら日本に帰国。力道山なき後の、日本のプロレス界を支えていく。 しかし、その道のりは紆余曲折の連続だった。怪我で閉ざされたプロ野球選手人生。団体の分裂。アントニオ猪木との対立、そして、引退の夢を諦めての現役続行。低迷する [全文を読む]

猪木追放事件に上田馬之助 「寛ちゃん、私は裏切ってない」

NEWSポストセブン / 2015年10月03日16時00分

ジャイアント馬場とアントニオ猪木、ふたりのスーパースターの活躍を軸として日本プロレスの軌跡を振り返る、ライターの斎藤文彦氏による週刊ポストでの連載「我が青春のプロレス ~馬場と猪木の50年戦記~」。今回は、昭和46年末に起きた、日本プロレス協会からの猪木追放事件の発端についてお届けする。 * * * 昭和46年12月13日、日本プロレス協会は、渋谷区代官山 [全文を読む]

ジャイアント馬場 プロ野球デビューから現役断念までの足跡

NEWSポストセブン / 2015年05月22日16時00分

30年以上もプロレスを追い続け、海外レスラーとの交流も多いライターの斎藤文彦氏が、ジャイアント馬場とアントニオ猪木、ふたりのスーパースターの活躍を軸として日本プロレスの軌跡を振り返る。以下、週刊ポストでの同氏による連載「我が青春のプロレス ~馬場と猪木の50年戦記~」から、プロレスラーになる前の馬場についての抜粋をお届けする。 * * * ジャイアント馬場 [全文を読む]

猪木が「宿命のライバル」馬場に挨拶するところを松山千春目撃

NEWSポストセブン / 2012年09月29日16時00分

それぞれその帝国を築いたジャイアント馬場とアントニオ猪木は「宿命のライバル」だったが、実際のところ2人の関係性はどんなものだったのか。DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』(小学館)第5巻では、生前の馬場さんと親交の深かったシンガーソングライターの松山千春が、2人の知られざるエピソードを明かしている。 * * * よく試合前の控室に会いに [全文を読む]

G馬場 渡米した猪木に持っていたドルを全額渡し感謝された

NEWSポストセブン / 2012年07月25日16時02分

力道山亡き後、日本のプロレス界を牽引したのが巨人・ジャイアント馬場(馬場正平)。ここではジャイアント馬場の知られざる米国武者修行時代のエピソードを紹介する。 * * * アトキンス(米国でのマネージャー兼トレーナー)から力道山の訃報を聞かされたのは、急逝して3日後の12月18日だった。馬場は、ガーンというショックの後は呆然自失状態に陥り、数日間はボーッとし [全文を読む]

G馬場 「ユーは飯を食いすぎ便所の紙使い過ぎ」と言われる

NEWSポストセブン / 2012年07月18日16時01分

1999年に亡くなった後も、依然としてその人気が衰えることない、プロレス界の巨人・ジャイアント馬場(本名・馬場正平)。ここでは、ジャイアント馬場のプロレスデビュー直後、アメリカでの武者修行時代のエピソードを紹介する。 * * * 懐中1ドルも持たずに初渡米武者修行に出た馬場正平と、芳の里、マンモス鈴木の両先輩をロサンゼルスで待っていたのは、力道山と義兄弟の [全文を読む]

満員の武道館観衆は鉄の爪・エリックの右手1本に酔いしれた

NEWSポストセブン / 2012年05月20日16時00分

ここでは、DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第1巻(小学館)より、1960~70年代にかけて日本中を震撼させた「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの足跡を紹介しよう。 * * * フリッツ・フォン・エリック、本名ジャック・アドキッセンは、13歳のときにドイツから米国テキサス州ダラスに移民、大学時代はアメリカン・フットボールの花形プレー [全文を読む]

馬場vs猪木が支持を得た理由 日本の葛藤を描いていたから

NEWSポストセブン / 2012年04月05日07時00分

それぞれその帝国を築いたジャイアント馬場とアントニオ猪木は40年前の1972年、袂を分かった。以来30年にもわたって「宿命のライバル」となった二人には、知られざるドラマがあった。『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)などの著者である、ノンフィクションライターの柳澤健氏が迫る。 * * * 一流レスラーに囲まれ、NWAという権威に常に守られる馬場を凌駕す [全文を読む]

アメリカ時代のジャイアント馬場 1試合で700万円稼いだことも

NEWSポストセブン / 2012年04月03日16時00分

「BI砲」として人気を博したジャイアント馬場とアントニオ猪木は40年前の1972年、袂を分かった。以来30年にもわたって「宿命のライバル」となった二人には、知られざるドラマがあった。『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)などの著者、ノンフィクション・ライターの柳澤健氏が迫る。 * * * ジャイアント馬場は、常にアントニオ猪木のずっと先を走り続けた。 [全文を読む]

ネット炎上にうろたえる企業幹部は、まず東スポを読め

まぐまぐニュース! / 2017年05月23日04時30分

ジャイアント馬場流血死」「狂牛ベイカーを葬送」「ウガンダの魔人」 えー、いずれも東スポの紙面を飾ったような言葉として慣れ親しんだ表現ですが、私たちは学校の勉強はできないバカな子ではあったものの、これを見てジャイアント馬場さんが殺されとか、オックス・ベイカーは牛だとか、カマラがウガンダ出身だととは信じませんでした。プロレスのストーリーラインであることを子 [全文を読む]

金曜夜8時が楽しみで仕方なかったプロレス黄金時代を過ごした人たちには胸アツな一冊。

ガジェット通信 / 2017年04月14日12時00分

ジャイアント馬場も歌います! プロレスレコードといえば選手の入場曲!と思いがちでしょうが、実はプロレスラー自身が歌うレコードも数多く存在します。本著の中では、そんなレスラーの歌声が聴ける名盤も紹介されています。 『らしくもないぜ』木村健悟(クラウン/’85) セールスと歌唱力が評価されて発売された3枚目。藤波とのコンビでWWFインタータッグ王者になった直 [全文を読む]

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