石坂まさをのニュース

藤圭子と宇多田ヒカル、三世代の母娘の物語 藤圭子を育て上げた作詞家・石坂まさを 幻の名著『きずな 藤圭子と私』を、10月11日 緊急復刻&電子版同時発売

@Press / 2013年10月11日13時30分

株式会社文藝春秋(所在地:東京都千代田区、代表取締役社長:平尾 隆弘)は、10月11日、石坂まさを『きずな 藤圭子と私』を、紙書籍発売と同時に電子書籍化して発売します。 ■作品紹介 今年8月22日に自ら命を断った歌手・藤圭子。「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」で、空前の人気となった藤圭子をプロデューサーとして育て上げたのが、本書の著者である作詞家・石坂まさ [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(4)救急車で搬送されても生放送には帰ってきた

アサ芸プラス / 2013年09月13日10時00分

藤圭子とは「石坂まさを門下」の兄弟弟子であり、後に歌手をあきらめ、現場マネジャーを長らく務めた成田忠幸が振り返る。 「僕がスケジュールを担当するようになって、さすがにこの日は無理と先方に断りを入れるんです。その瞬間、電話している僕の頭をパカーンと叩いて『夜中の2時なら空いているだろうが!』と怒られた」 それが圭子の恩師であり、プロデューサーであった「石坂 [全文を読む]

有名人衝撃死の真相「藤圭子」“三回忌前に噴出する同居男の正体”

アサ芸プラス / 2015年08月09日17時57分

しかも石坂まさをの『しのぶ会』の前日にそこから飛び降りるとは、奇妙な縁を感じました」 かつて圭子のマネージャーを長らく務めた成田忠幸氏が言う。石坂まさをは圭子のデビューに奔走、作詞家として「圭子の夢は夜ひらく」などを書き、事務所の社長として汗を流した。 圭子のために作った「藤プロ」は東京・西新宿からスタート。やがて、人前で圭子を殴るほど感情の起伏が激しかっ [全文を読む]

歌手・藤圭子が語り、歌手・藤圭子を語る2冊の本の封印が、ついに解かれる!

ダ・ヴィンチニュース / 2013年10月30日11時50分

そしてもう1冊、絶版となっていた藤の恩師である作詞家・石坂まさをの『きずな 藤圭子と私』(石坂まさを/文藝春秋)も復刊された。1951年、旅回りをしていた浪曲歌手の父と三味線を弾く盲目の母の間に生まれた藤が、流しをしながら生計を立て、とあるステージで歌っていたところを関係者に見出されて1969年に『新宿の女』でデビュー。ドスのきいたハスキーな歌声で絞り出 [全文を読む]

レコードを6枚出した江本孟紀氏 その驚きの印税額

NEWSポストセブン / 2017年02月03日16時00分

それでも、阪神時代の『恋する御堂筋』は藤圭子さんの作詞をしていた石坂まさをさんに、引退後の『アカシヤの面影』は石原裕次郎さんの作曲をしていた鶴岡雅義さんに書いてもらいましたからね。豪華なものですよ。 プロ野球の統一契約書には、「副業の場合は球団と選手で折半する」と書いてあった記憶があります。でも、実際に儲けを取る球団はなかったと思いますよ。売れないですし [全文を読む]

1,000億円詐欺「法の華」福永法源元代表の出所で“広告塔”板東英二が再びタレント生命の危機に

日刊サイゾー / 2015年02月01日09時00分

当時、「法の華」の広告塔として、にしきのあきら(現・錦野旦)や関口宏などの名前が挙がったが、福永氏と親しかった元ジャーナリストからは「特に悪質だったのは板東英二と、作曲家で“藤圭子の芸能界の育ての親”といわれた故・石坂まさを氏で、彼らは信者から集めた金の恩恵にあずかっていた」という情報を入手したことがあった。 板東と福永氏との付き合いは、福永氏原作で199 [全文を読む]

藤圭子 作家・大下英治が今も忘れない「歌舞伎町で食事した夜」

アサ芸プラス / 2014年01月09日09時58分

新宿・歌舞伎町の台湾料理屋で宇多田照實さんと藤圭子と彼女を世に出した石坂まさをさんと、4人で会ったんだ。2時間ぐらいだったな。その時、デモテープを聴かされたけど、私は魅力を感じなかった。私は怨み歌の藤圭子が好きですから、そういうものではなかったから。本人は、演歌から転換したかったんだと思うけど、私は力を感じなかった。中途半端な歌謡曲って感じで。石坂さんも乗 [全文を読む]

藤圭子「あたしの胸がときめいてしまったら、それで終わり」

NEWSポストセブン / 2013年11月12日07時00分

貧しさと父の暴力に苦しんだ少女時代に始まり、「自分と似ている」と感じた作詞家石坂まさをとの複雑な関係、「時代の歌姫」となっていく経緯、前川清との結婚・離婚、その後の失敗続きの男関係、そして歌への思いと引退の真相(そこが白眉である)に至るまで、内容は多岐に渡る。率直な語りから浮かび上がってくるのは、藤圭子の純粋さである。 〈心の入らない言葉をしゃべるのって [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(12)ヒカルの母に対する“ボーカリストとしての尊敬”

アサ芸プラス / 2013年10月04日10時00分

「この世で一番、憎んでいるのは母親と石坂まさを」 そして、こうも言っている。 「阿部家のお墓には絶対に入りたくない」 圭子が母親と縁を切り、他界した際も顔を出さなかったほど徹底していた。 ある日、圭子は阿部にポツンと告げている。最後に阿部が圭子と会ったのは3年前で、ヒカルと音信不通になっていた時期だ。 「私は誰にも知られずに、消えてゆくように死んで行きた [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(11)母娘でアルバムの1位記録を獲得

アサ芸プラス / 2013年10月03日10時00分

かつて圭子のマネジャーだった成田忠幸は、その姿に石坂まさをを重ねた。 「7社から断られた末にようやくデビューしたのが藤圭子。まだ幼いということでヒカルちゃんも相手にされなかったけど、あの必死な売り込みは同じだね」 榎本はデモテープを聴いた。娘のボーカルのバックに圭子のコーラスが入っているが、どこかしら違和感を覚えた。 「歌はラテンロックだけど、彼女のコー [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(10)1時間で5曲を録音の駆け足スケジュールも

アサ芸プラス / 2013年10月03日09時59分

これは下層からはいあがってきた人間の、凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって、芸としてくり返し再生産し得るものではないからだ〉 この連載で何度か綴ってきたように、69年にデビューした藤圭子は、恩師の石坂まさをによって様々な「フィクション」を身にまとわされた。スタートこそ成功したが、結果的には五木が予言したように、歌謡史における衝撃は“瞬間風速”で [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(9)カムバックに失敗、細々と歌手活動にしがみつく

アサ芸プラス / 2013年09月27日10時00分

売れなくて世間の冷たい風当たりに耐えきれず海外にも行ったけど、またその場所に戻ってきたんだから」 そして、あの日の石坂まさをが乗り移ったように、娘を「この子は凄い」と売り歩く日々が始まった。 [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(8)前川清との結婚でアイドル人気を失う

アサ芸プラス / 2013年09月26日10時00分

「売り出したいのは藤圭子なのか、それとも石坂まさをなのか」 答えは「どちらも」ということになるだろう。こうした強引な展開が当たっているうちはいいが、瞬間風速のようにレコードの売れ行きが落ち着くと、2人の間にすきま風が吹いたと榎本は言う。 「デビューから1年後には石坂さんと縁を切りたがっていたよ。彼女のアイドル的な人気を前川清との結婚で失ったこともあるが、 [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(7)レコード会社から敬遠された“意外な理由”

アサ芸プラス / 2013年09月26日09時59分

作詞家であり、事務所の社長とプロデューサーも兼ねた石坂まさをのことだ。 「レコード会社は7社に落ちたし、NHKの『のど自慢』は13回も落選した。あの声が荒削りだと敬遠されたんです」 2年前に筆者が聞いた石坂の言葉である。糖尿病と脳梗塞を患い、失明状態で寝たきりの姿ではあったが、藤圭子の売り出しに奔走した日の記憶は細部まで鮮やかだった。 それにしても圭子ほ [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(6)紅白落選のショックで自殺未遂

アサ芸プラス / 2013年09月18日10時00分

すでに石坂まさをの元を離れ、別の事務所に移籍していたが、梅津肇は圭子の本音を聞いた。 「もう1度、紅白に選ばれたい。そしてこちらから辞退してやるの」 それは紅白に対する「恩讐」であったのか‥‥。 最後の落選から2年後、圭子は引退を発表し、アメリカへ旅立っていく。もし「6度目の出場」がかなえば、本当に辞退したのであろうか。あるいは引退(ただし、2年後に復帰) [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(5)歌に込められた「紅白」出場への悲願

アサ芸プラス / 2013年09月17日10時00分

〈赤く咲くのはけしの花、白く咲くのは百合の花〉 筆者は2年前、石坂まさをの自宅で生前最後となるインタビューをした。そこで「夢は夜ひらく」の詞に込めた“謎かけ”を聞いた。 「歌手にとって最大の目標は『紅白』です。私は39度の熱でフラフラしながら、それでも『赤く咲くのは、白く咲くのは』と出場への願掛けを書いたんだ」 70年から3年連続、そして再び75年から2 [全文を読む]

藤圭子と「昭和歌謡」の怨念(1)史上初のアイドル演歌歌手

アサ芸プラス / 2013年09月05日10時00分

わざわざマンションの一室に部屋をこしらえて『圭子のマイルーム公開』を実現させた撮影もあったよ」 圭子と同い年だった梅津は、総帥である石坂まさをの熱情に引っ張られ、マネジメントを学んでゆく。梅津は後に郷ひろみやピンク・レディーも担当するが、原点となったのが「70年の藤圭子」である。 「全国どこへ行ってもすごい人が集まった。九州で公演を打つと、入りきれない人が [全文を読む]

藤圭子の自由奔放な恋愛遍歴

アサ芸プラス / 2013年09月05日10時00分

とはいえ、育ての母にも搾取されたと絶縁、歌手としての育ての親である故石坂まさを氏とも、晩年は絶縁関係にあった。他人を信用することができず、娘・ヒカルが紀里谷和明氏と結婚する際にも、『相手はお前の財産だけが目当て』と結婚に反対したといいます。身近な関係になるほどに良好な関係が作れなかった藤自身の敏感すぎる気質が、死期を早めたとも言えます」(前出・ベテラン記者 [全文を読む]

藤圭子、デビュー時のインパクトは宇多田ヒカルを超えていた

アサ芸プラス / 2013年09月03日10時00分

作詞家の石坂まさを氏が藤のために立ち上げた「藤プロ」は、西新宿が出発点だったのである。 〈演歌の星を背負った宿命の少女〉 石坂氏の考案による仰々しいまでのキャッチコピーは、しかし、時代の空気に合っていた。70年安保闘争や東大安田講堂陥落などの映像には、今も決まって藤の歌がバックに流れる。 「娘の宇多田ヒカルの売り上げも凄かったけど、圭子のデビューの衝撃はそ [全文を読む]

藤圭子「恩師も呆れた晩年」

アサ芸プラス / 2013年08月29日10時00分

「あいつは才能に溺れて、他人への恩義など忘れてしまったんじゃないのか!」 これは、あるベテラン芸能ジャーナリストが聞いた作詞家の故・石坂まさを氏の晩年の言葉だ。そして、「あいつ」呼ばわりされているのは、飛び降り自殺というショッキングな最期を遂げた藤圭子である。 石坂氏は藤の歌手としての恩師でもある。デビュー曲「新宿の女」をはじめ、代表曲である「圭子の夢は夜 [全文を読む]

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