香川伸行のニュース

【プロ野球】ドカベン・香川伸行(南海)、赤鬼・マニエル(近鉄)ら個性派揃いの1980年の関西パ・リーグとは?

デイリーニュースオンライン / 2017年04月23日17時05分

この1980年は香川伸行が入団した年だ。浪商(現・大体大浪商)のキャッチャーとして甲子園で活躍した香川は、太った体型から「ドカベン」と呼ばれる人気選手だった。プロに入ってからもその体型を維持し、多くのファンから愛されるキャラクターだった。打てない、活躍できないときは真っ先に野次られることもあったが、それも人気がある証拠だろう。 ■V3後の阪急 5月5日か [全文を読む]

【プロ野球】《ホークス背番号列伝・第2回》ホークスの背番号「2」は期待のルーキーの登竜門

デイリーニュースオンライン / 2016年09月08日17時05分

南海の最後、ダイエーの最初に背負っていたのはドカベンこと香川伸行だった。 ※野球の見方が変わるスマホマガジンでニュースやコラムが読み放題! ■初打席初本塁打 香川伸行。浪商時代は、夏の甲子園で3試合連続本塁打を放つなど大活躍。1979年にドラフト2位で南海に入団。高校時代と同じ背番号2を背負った。 プロ初打席は1980年7月8日。近鉄バファローズ戦で、日生 [全文を読む]

故・香川伸行氏 減量2キロは大便分と言われしょげたことも

NEWSポストセブン / 2014年10月10日07時00分

「ドカベン」の異名で親しまれた元南海の香川伸行氏が、52歳の若さで逝った。死因は心筋梗塞。その人生は最期まで体重との戦いだった。 名門・浪商高の強打の捕手として1979年センバツで準優勝、夏にも連続出場して甲子園では5本塁打を放って南海に入団した。当時の監督・広瀬叔功氏が入団当初のエピソードを語る。 「入団時から腹が出すぎて体操もできない状態。減量するよう [全文を読む]

ドカベン・香川が本誌にラストメッセージを遺していた…最期のインタビュー「あの時代、勝敗より大事な勝負があったんや」

週プレNEWS / 2014年09月28日15時00分

9月26日、心筋梗塞により52歳の若さで急死した香川伸行氏。浪商(現・大体大浪商)時代から甲子園のスターとしてドカベンの愛称で人気者となり、プロ入り後も南海~ダイエー(現・ソフトバンク)で活躍。人気の所以(ゆえん)ともなったその体型がプロでは壁となり、惜しまれつつ89年に引退。 その後、評論家として活動する中、少年野球にも力を注いでいたが、02年に患った急 [全文を読む]

今こそ伝説の80年代パ・リーグを熱く語れ! いまや絶滅した“鬼野球人”ベストナインはこれだ

週プレNEWS / 2014年12月22日06時00分

ドラキュラ似から“ドラ”というあだ名が定着も「子供がいじめられる」との理由でJリーグブームの最中に「カズ山本」を襲名 ■キャッチャー 「130㎏のベビーフェイス」南海 香川伸行 プロ入り以来100㎏を切ったことがない食欲の鬼。タニマチからの毎晩の誘いを断れず見る見る巨大化。130㎏を超えると日ハムに商品としてトレードされろとヤジが飛んだ(本年急死、直前のラ [全文を読む]

野球好きの上司と話を合わせる“ツボ”教えます!

週プレNEWS / 2014年04月04日11時00分

80年代に強烈なインパクトを残した選手なら、“ドカベン”の愛称で親しまれた巨漢スラッガー・香川伸行(元南海)や、メガネ顔の極端なオープンスタンスに味わいを感じる八重樫幸雄(元ヤクルト)。そして、山森雅文(元阪急)の名前も覚えておきたい。 山森は81年に外野フェンスによじ登って、本塁打性の打球をつかみ捕る超ファインプレーが語り草になった。このプレーは本場アメ [全文を読む]

DeNA高卒3年目捕手・高城 鶴岡流出で大捕手への道拓けるか

NEWSポストセブン / 2014年01月18日16時00分

4年目に開花した中村武志(中日など)、香川伸行(南海)は捕手としては早い成長だった。 [全文を読む]

スポーツ紙記者 自主トレの選手に「滝に打たれて」等お願い

NEWSポストセブン / 2012年02月02日07時00分

「古くはドカベン・香川伸行氏の滝行です。本人は“心臓麻痺で死んだらどうしてくれるんだ”とブツブツいいながらも応じてくれた(笑い)。阪神の金本知憲はバーベル上げが定番ですが、あれは“鉄人”を表現する写真だからです」(スポーツ紙デスク) 一方、選手からは「初日に公開して、見出しになるコメントも喋るから、あとは取材しないでくれ」と伝えることが多い。 「自主トレ [全文を読む]

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