吉田茂 岸信介に関するニュース

麻生太郎に罪はなかった!? 「ナチス発言」の裏に潜む、意外な真実とは?

ハピズム / 2013年08月13日21時00分

しかし、当時の自由党総裁吉田茂の「対米協調(追従)」「軽武装」路線に反発。すぐに吉田茂によって自由党を除名させられたのである。 さて、岸信介は、その除名の問題も含め、戦後の日本の軟弱な精神は「吉田茂」がその現況であると考えた。そして、岸が首相になると、自主憲法制定、自主軍備拡張をもとに、自らの内閣を発足させたのである。その心には、「吉田茂への復讐」という [全文を読む]

鳩山・安倍…戦後の歴代総理大臣 33人中13人が親戚だった

NEWSポストセブン / 2016年07月12日11時00分

安倍家と麻生家の両家を軸に系図を辿ると、吉田茂、鳩山一郎をはじめ、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、三木武夫、鈴木善幸、宮沢喜一、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫と、戦後の総理大臣のうち13人が繋がり、まさに日本政界のエスタブリッシュメント(支配階級)を構成する閨閥が構成されている。 この閨閥は皇室ともつながり、住友財閥、森コンツェルン(昭和電工)、日産コンツ [全文を読む]

いまもっとも人気の高い評伝作家がおくる最新刊『叛骨の宰相 岸信介』。「昭和の妖怪」とよばれた岸信介の知られざる実像と多大な功績に迫る!

PR TIMES / 2014年01月20日12時08分

東条英機、小林一三、吉田茂に挑み、国民に媚びることなく、真の指導者たらんとした政治家がかつていた――。 東大教授の椅子を蹴って農商務省に入り、小林一三大臣と経済政策をめぐり衝突。戦時中は圧倒的権力を握る東条英機に退陣を迫り大臣を辞任。戦後は戦犯として巣鴨プリズンに収監され、釈放後は、時の首相吉田茂と真っ向からぶつかる。そして、安保闘争では、巻き起こるデモ [全文を読む]

官邸深奥発「憲法改正」肉声ドキュメント(4/4)

NEWSポストセブン / 2016年07月14日07時00分

1953年、麻生の祖父で時の宰相・吉田茂の要請を受け自民党の前身である自由党の初代憲法調査会長に就任したのが安倍の祖父、岸信介だ。この時のことを岸は後年、次のように振り返っている。「(私は)新憲法はいかんと考え、改憲論者になっているけれど、その私に憲法調査会長をやれというのはどういう意味かと問うた。すると吉田さんは、お前の思うようにやったらいい。俺も今の [全文を読む]

憲法報道は民放もヒドかった! 日本テレビが吉田茂証言の一部を切り取って歪曲し「GHQ押し付け論」展開

リテラ / 2016年05月05日22時00分

〉(『マッカーサー大戦回顧録』津島一夫訳/中公文庫) [全文を読む]

安倍首相、日本の「長命」首相の上位5人に入る―中国メディア

Record China / 2016年04月21日07時30分

それ以下はそれぞれ在職日数が2616日の吉田茂氏、1980日の小泉純一郎氏および1806日の中曽根康弘氏となっている。 そのうち、吉田茂氏は1946年5月〜1947年5月と1948年10月〜1954年12月の2回、首相職を務めた。安倍首相は2012年12月、2度目の首相に就任し、その後自民党を率いて参議院選挙と衆院選選挙に相次いで勝利して、昨年の5月20日 [全文を読む]

日本が永遠にアメリカの植民地であり続ける原点は戦後最大の謀殺ミステリー『下山事件』にあった!

週プレNEWS / 2015年08月23日06時00分

それに、当時の吉田茂政権は明らかにGHQの傀儡(かいらい)で、これは否定しようがない。 例えば、アメリカから「定員法」のように何十万人もの人員を整理する法律を作って日本経済を効率化し、アメリカ資本を投下できる下地を作れと言われれば、「はいはい、その通りにします」と、吉田政権は首切り法案を作って大量解雇をやるわけです。 でも、これって今と同じじゃないですか? [全文を読む]

[古森義久]【謝罪しなかった岸信介首相】~1957年米議会での演説、万雷の拍手~

Japan In-depth / 2015年04月27日07時00分

1954年の吉田茂首相の上院での演説、1957年の岸信介首相、1961年の池田勇人首相のいずれも下院での演説である。 そのうちの岸氏の演説はとくに注視に値する。日米間の激しい戦争が終わってまだ12年しか過ぎていない時点だったのにもかかわらず、戦前、戦中という過去への言葉はまったくなかったからだ。岸首相の演説の主要部分は以下のようだった。 「日本は、真に民主 [全文を読む]

安倍一族の“愛”が日本を巻き添えにする?

週プレNEWS / 2014年05月29日06時00分

吉田茂や岸信介を『対米従属』というくくりで語る人がいるが、忘れてはいけないのは、日本は太平洋戦争で『無条件降伏』したということ。敗戦国という、アメリカの言いなりにならざるを得ない状況のなかで、表面上はそれに従いながらも必死に抵抗をし、日本の国益を追求してきたのが吉田や岸であり、戦後の自民党だった。 例えば、現在の自衛隊の基になった警察予備隊を組織したと [全文を読む]

岸信介、池田勇人、中曽根康弘 3人の宰相が権力誇示した館

NEWSポストセブン / 2012年09月11日07時00分

■池田勇人・箱根仙石原別邸 「貧乏人は麦を食え」「中小企業の5人や10人自殺してもやむを得ない」──吉田茂内閣で失言続きだった池田は、政権の座に就くとひたすら低姿勢につとめ「寛容と忍耐」を掲げた。同時に、安保闘争に翻弄された岸信介を反面教師に、世論を政治から経済へ向かわせる。とくに、前尾繁三郎、大平正芳、宮澤喜一ら側近たちの演出で進めた所得倍増計画は国民 [全文を読む]

中曽根氏の覚悟と大違い 安倍改憲の耐えられない軽さ

NEWSポストセブン / 2017年05月23日11時00分

これはいずれも過去の所産であります」 日本が米軍の占領から独立して3年後の1954年、中曽根氏は当時の吉田茂・首相に国会でそう新憲法制定の必要性を質問し、翌1955年に最初の『自主憲法のための改正要綱試案』を発表した。37歳の時である。その後、1961年には首相公選制や自衛軍創設を盛り込んだ前文と11章からなる『高度民主主義民定憲法草案』をまとめ、政界引退 [全文を読む]

【日米首脳会談・屈辱の歴史】罵詈雑言の角栄・ニクソン会談

NEWSポストセブン / 2017年02月06日07時00分

日本で最初に日米首脳会談を行なったのは吉田茂首相だ。ただし、サンフランシスコ講和条約締結(1951年)のために訪米した際には、トルーマン大統領には会えず、アチソン国務長官が応対した。この時に結ばれた日米安保条約も、吉田とアチソンが調印している。吉田は1954年11月に初めてアイゼンハワー大統領と会談した。 安倍首相の祖父、岸信介は1957年、そのアイゼン [全文を読む]

政治家が選ぶ「最高の首相」 安倍と小泉を分けた差とは

NEWSポストセブン / 2017年01月08日07時00分

「最高の総理大臣」として、もっとも多く票を集めたのは吉田茂氏。2位は中曽根康弘氏、3位は田中角栄氏という結果だった。 自民党の現職議員の中には、「歴代最高の総理は安倍さんと答えないとコロされちゃうじゃないですか(笑い)」と回答を断わる者もいたが、安倍首相は現職の票を中心に4位に入った。 平沢勝栄・代議士が安倍氏を「最強」とあげた理由はこうだ。 「政界では [全文を読む]

安倍首相の真珠湾慰霊、海外メディアはその狙いと成果をどう見たのか?

NewSphere / 2016年12月28日19時01分

しかし実際には、1951年に吉田茂氏、1956年には鳩山一郎氏、1957年には岸信介氏が訪問していることが判明し、フィナンシャル・タイムズ紙(FT)、ブルームバーグ、ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)などの大手メディアが、「初」ではなかったと報じている。 それでも「いまだかつてない」訪問とするため、日本政府は、米大統領とともに真珠湾の慰霊施設を訪れる初の現 [全文を読む]

田中角栄 日本が酔いしれた親分力(1)40までにやるだけやって死にたい!

アサ芸プラス / 2016年06月21日05時55分

不思議なことに、「吉田茂が生きていたら」とか、「岸信介が生きていたら」との声は起こらない。吉田も、岸も、戦後総理大臣の内ではナンバー1か2かと評価は高い。むしろ、田中角栄より、総理としての評価は高い。にもかかわらず、危機に際しては、田中角栄待望論が出てくるのである。 なぜか。田中角栄なら、それまでの政策の延長線でなく、大胆な政策を打ち出し、日本をガラリと [全文を読む]

民主と維新の合流にシラケた空気。「新党結成」なぜ盛り上がらない?

まぐまぐニュース! / 2016年03月02日19時30分

一方、自由党には吉田茂氏を筆頭とする官僚政治家勢で、池田勇人氏、佐藤栄作氏らが名を連ねていた。この2つの党が一緒になって、「保守合同」が出来た。社会党も負けじとほぼ同じ時期に右派と左派が一緒(55年10月)になり、この2つの党(自由民主党と日本社会党)が戦後ずっと闘ってきた。 戦後日本は、「護憲・革新・反安保」の社会党路線と「改憲・保守・安保護持」の保守路 [全文を読む]

安倍首相 衆参W選挙と憲法改正で大勲位・中曽根氏超えも?

NEWSポストセブン / 2016年01月28日16時00分

大勲位の授与基準は「総理大臣の在任期間、功績を総合的に判断する」(内閣府賞勲局)というが、戦後の生前授与者は長期政権を誇った吉田茂氏、佐藤栄作氏、中曽根氏の3人だけであり、中曽根氏の「在任5年」が生前授与の目安とされる。 安倍首相の在任期間はこの4月に池田勇人元首相を抜いて戦後歴代5位となり、総裁任期である2018年9月まで首相を務めると、在任期間は通算 [全文を読む]

叙位最高位「正一位」 最後に贈られたのは1917年の織田信長

NEWSポストセブン / 2016年01月03日07時00分

うち吉田茂氏、佐藤栄作氏ら4人が総理大臣経験者だ。並み居る総理大臣経験者の中でも、在任期間が長いことなどが従一位の目安とされる。 この正一位と従一位は天皇から直接与えられる「親授」とされ、叙位の際に与えられる位を記した「位記」には天皇の御璽(印のこと)と署名、さらに総理大臣の自署が入っている。 正二位には安倍首相の祖父、岸信介・元首相をはじめ橋本龍太郎氏ら [全文を読む]

[岩田太郎]【“声なき多数派”、安倍政権支持に傾くか?】~安保可決後の民意はどこへ 1~

Japan In-depth / 2015年07月17日19時00分

サイレント・マジョリティは当時の吉田茂首相に軍配を上げたことになる」と主張する。しかし現実には、1952年8月28日に行われた衆議院の抜き打ち解散で争われた466議席中、自由党吉田派は過半数に届かない199議席、そのライバルの自由党鳩山一郎派は35議席と、自由党そのものは大きく議席を減らし、呉越同舟でかろうじて過半数を確保したにすぎない。その後、鳩山派は吉 [全文を読む]

小林よしのり氏 砂川判決は集団的自衛権認めた判決ではない

NEWSポストセブン / 2015年07月09日16時00分

同日、吉田茂首相は旧日米安保条約に署名した。米軍の日本駐留を認め、基地を無償で提供する属国条約だ。吉田は同行した池田勇人に対し、「政治家がこれに署名するのはためにならん。俺一人で署名する」という趣旨の発言をしたと伝えられている。 吉田は日本国民が将来、これが属国条約だと気づく時が来ると怯えていた。吉田には当時そういう思いがあった。 ところがその後、岸信介内 [全文を読む]

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