秀忠 徳川家康に関するニュース

真田丸『第41話』裏解説。家康はなぜ豊臣家との決戦を急いだのか?

まぐまぐニュース! / 2016年10月16日22時00分

なぜ、そうなったかといえば、秀忠が決戦に参加できなかったからだ。 思い出してみよう。かつて北条氏政が氏直に、織田信長が信忠に、豊臣秀吉が秀次に、権力を継承したケースを。彼らは、後継者に本家の家督を譲って、自身はグループ全体の総帥におさまり、軍事・政治の実績を積ませていった。家康も、基本的には同じ方式で秀忠に権力を継承しようとしていたことがわかるだろう。 し [全文を読む]

あの伝説の鳥人が甦る!!『変身忍者嵐X〜カイ〜』 連載開始のお知らせ

@Press / 2016年06月27日12時00分

原作の世界観を継承しつつ、繰り広げられる新しい“変身忍者嵐”の世界にご期待ください! ■ストーリー 時は関ヶ原の大戦の少し前ーーー徳川家康の息・秀忠は会津征伐から一転、西で挙兵した石田三成を迎え撃つため、宇都宮城で出陣の準備をしていた。天下の命運を決する戦を前に、徳川家康の継嗣であることを内外に知らしめたいという思いがある一方、争いが苦手で平穏を愛する秀忠 [全文を読む]

家康の「歓迎」に驚いた異国人。日本とメキシコの知られざる絆

まぐまぐニュース! / 2016年10月26日04時45分

ロドリゴはまず家康の息子・秀忠のいる江戸に向かった。日本見聞録では、江戸の様子をこう記録している。 町の通りは広く、長く通じ、またまっすぐに延びている。これはスペインの市街よりも発達しているといってよい。家は木造で2階建てのものもある。外観はスペインの石造りのほうが優美だが、内部の美は江戸の家屋のほうが遥かに勝っている。街路も美しく清掃され、誰も踏み入れ [全文を読む]

【真田丸】家康の「長寿」を巡る諸大名の野望と影響

しらべぇ / 2016年10月16日10時00分

家康の後継者は徳川秀忠だが、彼の妻は浅井三姉妹の三女・江。だからこそ秀忠と江の娘である千姫は、豊臣秀頼に嫁いだ。もしここに家康という「絶対権力者」がいなければ、秀忠は豊臣家との講和に動いていた可能性がある。少なくとも、淀殿はそれを望んでいたはず。だがこのあたりはあくまでも「可能性」であって、もし本当に家康が死んでいたとしても秀忠が講和路線に舵を切るかは分か [全文を読む]

真田丸『第40話』裏解説。大坂と江戸に権力が並ぶ「二重公儀体制」

まぐまぐニュース! / 2016年10月09日22時00分

でも、征夷大将軍を秀忠に世襲させた家康は、大御所として駿府城にいた。かつて秀吉は、豊臣家(羽柴家)の家督と関白職を秀次に譲って、自分は肩書によらず実力で全国の大名を切り従える方向に進んだ。家康も同じように、徳川家の家督=征夷大将軍という形を作って秀忠に譲ったわけだ。家康にとっての駿府城は、秀吉にとっての伏見城と同じ位置づけだったとわかる。 では、なぜ駿府か [全文を読む]

「魔王の帝王学」は格差を生む?信長と家康、理想の父親は

しらべぇ / 2016年08月15日05時30分

徳川家の家督を継いだのは、家康の三男秀忠だ。この人物は、戦国に生きる者としてはせいぜい二流どころ。関ヶ原の合戦では父から大軍を任されていたにもかかわらず、結局関ヶ原にたどり着けなかったという大失態を見せている。真田昌幸の挑発に乗り、戦略上重要ではないはずの上田城攻略に手を出してしまったのだ。そんな「ダメな息子」を、家康は自身の後継者とした。その理由は、家康 [全文を読む]

武将が敵味方なく供養される高野山 織田信長と明智光秀も

NEWSポストセブン / 2016年03月03日11時00分

そこには徳川家康・秀忠、武田信玄・勝頼・上杉謙信、豊臣秀吉らも供養されている。 冥福を祈るための供養塔は、死者のゆかりの地に建てられることが多い。しかし、これだけ多くの塔が高野山に集まるのはなぜか──。 真言宗には、誰もが平等であるという教えがある。山全体が聖地とされる高野山は古くから「天下の総菩提所」と呼ばれ、ここを浄土と信じた人々の墓が宗派を超えてこの [全文を読む]

徳川家康、豊臣家による暗殺計画が存在した?

Business Journal / 2015年08月12日06時00分

静岡県静岡市にある駿府城は、徳川家康が将軍職を嫡子の徳川秀忠に譲り、大御所として晩年を過ごした城である。家康は、天正18(1590)年に豊臣秀吉の命で関東に移るまで、約8年間、駿府を居城として三河、駿河、遠江などの東海道諸国を領していた。 小田原の北条氏を滅ぼした秀吉は、家康を温暖で陸海交通の要衝である東海道から、北条氏のいなくなった関東に移した。そこには [全文を読む]

【来年の大河ドラマ舞台】堺雅人演じる「真田幸村」ゆかりの地を探訪!

しらべぇ / 2015年06月13日20時00分

関ヶ原の戦いで西軍についた幸村と父、昌幸は、家康の息子、秀忠が率いる徳川家の大軍をごくわずかな兵で信州上田城にくぎ付けにし、秀忠は関ヶ原での合戦に遅参してこっぴどく怒られたほど。 九度山に流された後、浪人として大阪城に入城した幸村は、『大坂の陣』で徳川家康をあと一歩のところまで追いつめ、「日本一のつわもの」とまで賞されました。 戦国時代を終わらせた名将・家 [全文を読む]

羽田で偽家康騒動? はねだ江戸まつり2017~母上感謝祭~本日より開催中<PR>

ITライフハック / 2017年05月12日19時00分

今回は、徳川家三大母親として徳川二代目将軍秀忠の母「西郷局(さいごうのつぼね)」、徳川家光の母、「お江(ごう)」、そして家光の乳母「春日局(かすがのつぼね)」たちが、母の日の合わせた「母上感謝祭」を中止すると息巻く家康によって偽家康騒動に巻き込まれていくストーリーになっており、江戸の侍たちや町民が現代に甦り、様々な騒動を繰り広げていく楽しい構成となっている [全文を読む]

【書評】秀頼に徳川主導を認めさせながらの豊臣との共存共栄

NEWSポストセブン / 2017年04月19日16時00分

しかし軍事カリスマとしての家康を畏敬する豊臣恩顧の武将も、没後には二代将軍秀忠と秀頼を天秤にかけてどう動くか分からない。ここに家康の懊悩もあった。 さらに大きな脅威は、毛利、上杉、佐竹といった関ヶ原負け組の旧族大名も、自分の死で好機到来とばかりに同盟を組むかもしれない。こうして方広寺大仏殿鐘銘事件を機に大坂の陣開戦に踏み切ったというのだ。歴史の大局を論理的 [全文を読む]

【真田丸】関ヶ原の勝敗を分けた「関ヶ原の外」の戦いとは

しらべぇ / 2016年08月28日05時30分

この戦いで真田軍は、徳川秀忠の大軍をその場に釘付けにした。もし秀忠の部隊が上田城を無視して素直に西へ向かっていたら、家康はもっと有利な条件で関ヶ原を戦うことができたはずだ。だがじつは、秀忠以上のミスを西軍の将が何度もやらかしてしまっている。つまり「戦略上無意味な拠点にこだわってしまった」のだ。まずは、家康の忠臣鳥居元忠が立て籠もった伏見城に4万もの大軍を送 [全文を読む]

<Wコラム>日本のコリアをゆく(静岡・清見寺編2)

Wow!Korea / 2016年07月11日17時28分

彼ら一行が江戸をめざして東海道を進んで浜松に至ったとき、2年前に将軍職を息子の秀忠に譲った家康が駿府(静岡)にいるという情報が伝わってきた。■家康から受けた歓待朝鮮通信使の正使だった呂祐吉(リョ・ウギル)は、なんとしても家康に朝鮮王朝の国書を直接渡したかったのだが、幕府側から、江戸城にいる2代将軍・秀忠に差し出してほしいと要請された。家康からも同じ意向がも [全文を読む]

武家:本家長男より一族長者/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2016年06月06日04時00分

徳川家康の長男の信康は、家康により切腹を命じられ、次男の秀康は、以前に豊臣家へ養子(人質)に出され、将軍職を継いだのは三男、秀忠。つまり、徳川家は、しょっぱなから長男相続などやっていない。 秀忠の長男は夭逝し、次男の家光が第三代将軍。第四代の家綱はその長男だが、男子断絶。弟である次男は夭折。となると、三男の甲府藩主綱重。しかし、これも家綱より前に死去。それ [全文を読む]

離宮に秘められた謎。京都の人に「徳川家」が嫌われている理由

まぐまぐニュース! / 2016年02月28日19時30分

このお寺は、江戸初期、徳川家康から三代将軍家光の頃の天皇、後水尾(ごみずのお)上皇とお世津(せつ)との間に生まれた第一皇女・梅宮(うめのみや)が、二代将軍徳川秀忠の娘・和子(まさこ)入内(じゅだい)により邪魔になり出家して、幕府から与えられていた寺でした。 次ページ>>京都の人たちが今でも「徳川家」を嫌う理由とは? 後水尾上皇は、公家諸法度(くげしょはっと [全文を読む]

『真田丸』で評価が高い父・昌幸は家康が最も恐れた男だった

週プレNEWS / 2016年02月15日18時00分

関ヶ原の戦い直前の『第2次上田の合戦』は、3万8千0の徳川秀忠軍と2500の真田軍との戦いです。大軍を前にした昌幸は『降伏する』と言いながら、何日たっても降伏しない。そこでイラだった秀忠に対して、また少人数のおとり兵を出し、城下に誘い込み一気に攻撃します。この戦いによって、秀忠軍を7日ほど上田城に足止めさせ、関ヶ原の戦いに合流するのを遅らせたのです」 草 [全文を読む]

大ブームの「日本刀」鑑賞に必携!累計10万部ロングセラームックのハンディ版が遂に登場!

PR TIMES / 2015年04月27日13時36分

冒頭の<名将と名刀>では、坂上田村麻呂から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・秀忠にいたるまで、有名武将所用の国宝・御物・重文指定の名刀15振を掲載。「三日月宗近」「ニッカリ青江」「獅子王」「一期一振」「日向正宗」「狐ケ崎」等のゲームの人気刀も多数ふくまれています。 刀の写真は、大きく見開きで掲載しているので、凝った細工の拵(刀装)や、美しい刃文までしっかり鑑 [全文を読む]

徳川家康没後400年 75年の生涯ゆかりの地を松平定知氏案内

NEWSポストセブン / 2015年04月06日16時00分

4年後、秀吉によって関東に国替えされたが、江戸幕府を開き将軍職を2代・秀忠に譲ると、1607年、家康は“隠居城”として居住した。 「大御所政治を敷くためといわれますが、人質時代の懐かしい場所ということと、西方に集まっている外様対策を万全にするため、という思いもあったのでしょう」(松平氏) ◆松平定知(まつだいら・さだとも):1944年生まれ。早稲田大学卒業 [全文を読む]

『幸村軍戦記 7』「上 大和郡山最終決戦」「下 黒田如水の逆襲」(津野田幸作=著)が、Kindleストア・楽天Kobo電子書籍ストア・Yahoo!ブックストアで配信開始!!

DreamNews / 2017年04月03日17時00分

両軍が激突する中、攻城方の指揮を執る秀忠が負傷し、徳川軍の歯車が少しずつ狂い始める。群山城の徳川軍が窮地に陥ったことを知った家康は、播魔の三木城にいる結城秀康に助けを求めた。勇将として名高い秀康は、己の命を賭して郡山城最終決戦に挑むことになる。第七回歴史群像大賞奨励賞受賞の本格戦国シミュレーション、シリーズ第7弾! 【目次】全巻までのあらすじ主な登場人物第 [全文を読む]

真田丸『最終回』解説。死して400年後も視聴者を翻弄した真田の生き様

まぐまぐニュース! / 2016年12月18日22時00分

自分が死んでも徳川は盤石だと分かっているから最後は逍遥として死を受け入れようとする家康、それを颯爽と助けに来る秀忠と絵的にそれを示している。信繁の戦う意味は何だったのかと。#真田丸 — すいか (@suika1015) 2016年12月18日 「逃げるは恥だが役に立つ」を見事に体現して見せた大御所様 #真田丸 — 伊達 政宗 (@bot_dt_masamu [全文を読む]

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