真田昌幸 上田城に関するニュース

真田一族の夢の跡。40枚の写真で綴る隠れた名城・上田城の物語

まぐまぐニュース! / 2016年03月21日01時00分

上田城 上田城は天正11年(1583)に真田昌幸が築城しました。二度にわたって徳川の大軍を退けた名城です。関ヶ原の合戦直後に一旦破却されましたが、その後に仙石氏が入封して上田城を再建、宝永3年(1626)に松平氏(藤井松平氏)が領主になり明治維新を迎えました。写真は仙石氏時代に造られて西櫓。上田城でもっとも古い櫓の一つです。 西櫓 西櫓は上田城の本丸隅櫓 [全文を読む]

徳川家康を二度撃退した幻の上田城 金箔瓦の豪華絢爛な城だった?

Business Journal / 2015年09月14日06時00分

この上田城は、真田昌幸が築城したことでも知られており、本丸跡には真田神社という、真田氏を祀る神社が建てられている。また、上田城は、当時最強といわれた徳川軍を真田氏が二度にわたって撃退した舞台でもある。 しかし、今は公園となっている城内を歩いてみると、規模は小さく、近年再建された櫓や門などの建物も、質素そのものという感じがする。本当にこの小さな城で真田氏が [全文を読む]

真田氏の城下町!歴史ロマンあふれる信州・上田を「ノルディックウォーキング」で巡る

サライ.jp / 2016年12月17日19時00分

[/caption] ■歴史ロマンあふれる上田城 上田城は天正11年(1583)、真田昌幸により築城。二度にわたり徳川軍を退けたことで知られています。南北の櫓と復元された櫓門などがあり城址公園として整備されています。 [caption id="attachment_120558" align="alignnone" width="500"] 紅葉の上田城公 [全文を読む]

兵力2000の真田軍が7000の徳川軍を撃破!大河ドラマ「真田丸」でも描かれた第一次上田合戦の勝利の秘密は地形にあった!

PR TIMES / 2016年05月19日15時22分

●第一次上田合戦で真田が勝てた理由とは!?天正13年(1585)、徳川軍が真田昌幸の居城・上田城を目指して動き出しました。その数7000。迎え撃つ真田軍はわずか2000。しかし、戦国でも指折りの戦上手、真田昌幸は、息子の信幸、信繁とともに巧みな戦いを展開し徳川軍を撃破、さらには追撃をかけ、大打撃を与えて撃退しました。真田の名を全国に轟かせたこの「第一次上田 [全文を読む]

徳川の大軍を翻弄した真田昌幸の「誘引戦術」とは!? 大河ドラマ「真田丸」でもいよいよ放送の第二次上田合戦をカラーイラストで再現!

PR TIMES / 2016年09月08日19時05分

第二次上田合戦とは、上田城に立てこもる真田昌幸・信繁軍と徳川秀忠率いる徳川軍主力約3万8000との間で天正5年(1600)9月に行われた攻防戦のこと。当時、秀忠は宇都宮におり、家康の命により主力を率いて中山道を西上することになりましたが、その途上に位置する西軍側の拠点が上田城だったのです。秀忠はまず、圧倒的兵力によってこの城を一気に攻め落とそうとしました… [全文を読む]

『真田丸』で評価が高い父・昌幸は家康が最も恐れた男だった

週プレNEWS / 2016年02月15日18時00分

今回は、まず父の真田昌幸について紹介しよう。 「真田昌幸は天才的な策略家です。その知略によって逆境を乗り切っていきます。信長の死後は北条、徳川、上杉の三者間をうまく立ち回り、家康からもらった資金で自分の城(上田城、現在の長野県上田市)を造ってしまう。 そのため“ひきょうの者”と呼ばれます。ただし、現在の『卑怯』ではなく『比興』(『おもしろい)という意味) [全文を読む]

今夜の予習!NHK『真田丸』の山場「上田合戦」って何?

しらべぇ / 2016年04月03日18時00分

裏切られて業を煮やした徳川家康は、天正13年(1585年)、自らが真田昌幸に築かせた上田城に約7000と言われる大軍で攻め寄せる。上田城は、長野県北部に位置する交通の要衝。攻める大将の鳥居元忠は、後に関ヶ原の前哨戦、伏見城の戦いで壮絶な討ち死にを遂げた猛将だ。守る真田家は、草刈正雄演じる昌幸が知勇を兼ね備えた謀将とはいえ、兵力はわずか2000。同盟する上杉 [全文を読む]

KNT×ユーエム・サクシード コラボレーション企画 真田氏ゆかりの群馬・長野、6ヵ所横断!『怒濤の真田六連“戦”ツアー』 4月9日から販売開始!

PR TIMES / 2012年04月10日09時25分

【ツアー名】:「真田氏ゆかりの群馬・長野、6ヵ所横断!『怒濤の真田六連“戦”ツアー』」 【旅行代金】: 26,800円 (おひとり様あたり)【旅行日程】: 平成24年5月19日(土)~5月20日(日)1泊2日、2日間 1日目) 新宿駅発(09:00頃) 専用バス―沼田城跡に向け出発 沼田城跡着(12:00頃)沼田城跡を下車観光 真田氏の領地支配の拠点となっ [全文を読む]

【真田丸】関ヶ原の勝敗を分けた「関ヶ原の外」の戦いとは

しらべぇ / 2016年08月28日05時30分

■三河武士の鏡関ヶ原の遥か東方、上田城で真田昌幸・幸村の親子が籠城した「第二次上田城合戦」。この戦いで真田軍は、徳川秀忠の大軍をその場に釘付けにした。もし秀忠の部隊が上田城を無視して素直に西へ向かっていたら、家康はもっと有利な条件で関ヶ原を戦うことができたはずだ。だがじつは、秀忠以上のミスを西軍の将が何度もやらかしてしまっている。つまり「戦略上無意味な拠点 [全文を読む]

早実清宮狂想曲 テレビリポーターは「昨日みた夢」まで質問

NEWSポストセブン / 2015年08月12日16時00分

「赤というのは、上田城を築城した真田昌幸にちなんだ色で、ユニフォームの袖に入っている校名、ソックスのラインにも採り入れています」 上田城の真田昌幸は関ヶ原の合戦で徳川の大軍を撃退したことで武名が高い。その真田軍は「真田の赤備え」といわれるように、旗指物などに赤を配色していた。「じゃスクール・カラーは赤なんですね」「いえ、緑です」「えっ」「でも県大会などでは [全文を読む]

小4男子が『真田丸』の自由研究→NHKから大絶賛が

しらべぇ / 2016年10月14日10時00分

真田昌幸は、強敵に心理戦を仕掛けることで戦国を生き残ろうとした。だからこそ、歴史研究は大きな意味を成すのだ。■軍師の素質あり!これは、とあるTwitterユーザーの「教え子」の話である。その子は小学4年生の男の子。大河ドラマ『真田丸』の大ファン。彼は夏休みの自由研究で、『真田の秘密』と題した資料を制作した。真田親子を様々な角度から研究したものだ。真田丸の大 [全文を読む]

信州小諸センゴクまつり開催中!関ヶ原の戦い最大の前哨戦「第二次上田合戦」の特別イベントも大開催!俳優・武道家の藤岡弘、さんご参陣!

@Press / 2016年10月04日11時00分

詳細URL: http://komoro.in/sengokufes慶長5年(1600年)、徳川家康から離反した真田昌幸・信繁は上田城に構える。関ヶ原に向かう東軍の中枢・徳川秀忠率いる徳川本隊は真田討伐のため東山道を進軍。時の小諸城主・仙石秀久は追分宿(軽井沢)で秀忠軍を出迎え小諸城へ入城。徳川三万八千の大軍勢が集結した。関ヶ原の戦い最大の前哨戦、第二次上 [全文を読む]

池波正太郎と大河ドラマが描く真田一族の街・信州上田

IGNITE / 2016年04月20日08時00分

真田昌幸が築城した真田氏の居城・上田城は上田駅から歩いて10分程度。 天守閣はないが櫓や土塁、石垣などが遺されており、本丸跡には真田神社がある。その御朱印にはもちろん真田家の「六文銭」が押印されるので、もらっておくと記念になるだろう。 真田昌幸、信之、そして信繁の父子を描いた池波正太郎の長編時代小説「真田太平記」。その記念館が「池波正太郎真田太平記館」で [全文を読む]

真田丸『第12話』解説。なぜ上杉家は「義」を重んじるようになったのか?

まぐまぐニュース! / 2016年03月27日13時00分

『常山紀談』などだと「上意下達がすごい」はずだった #真田丸 — すんすけ (@tyuusyo) 2016年3月27日 天正12年(1584年)数え年真田信繁 18歳真田昌幸 38歳真田信幸 19歳真田信尹 38歳出浦昌相 39歳徳川家康 42歳本多忠勝 37歳本多正信 47歳上杉景勝 29歳直江兼続 25歳北条氏政 47歳北条氏直 23歳板部岡江雪斎 4 [全文を読む]

【真田丸】防御戦の名人・幸村を支えた「ふたつの要素」とは

しらべぇ / 2016年11月06日10時30分

そうした危険をセーブし、敵軍撤退まで戦い抜いたのは他でもない真田昌幸。2度の上田城防御戦の際、徳川軍の圧倒的な兵力を前にしながら真田軍の団結は揺るがなかった。だからこそ内通者も出なかったし、反乱とも無縁だったのだ。この逆の例が、若き日の毛利元就がその才能を発揮した鏡山城攻防戦である。ここに陣取るのは蔵田房信と、その叔父の蔵田直信。このふたりはもともと、蔵田 [全文を読む]

真田丸『第36話』裏解説。なぜ雨の日に城を攻めるのは不利なのか?

まぐまぐニュース! / 2016年09月11日22時00分

#真田丸 — HI (@tateita_HI) 2016年9月11日 東軍勝利のお知らせ #nhk #真田丸 pic.twitter.com/1uchFvuFo2 — おはぎ (@ohagi2334) 2016年9月11日 毎年やっていることを急に思い付いたかのように言うおじさん#真田丸 pic.twitter.com/AjAgunQKGV — 真田昌幸 [全文を読む]

「魔王の帝王学」は格差を生む?信長と家康、理想の父親は

しらべぇ / 2016年08月15日05時30分

真田昌幸の挑発に乗り、戦略上重要ではないはずの上田城攻略に手を出してしまったのだ。そんな「ダメな息子」を、家康は自身の後継者とした。その理由は、家康死後の幕閣政治の構造に表れている。将軍は老中たちの合議により決められた事項にサインするだけ、という体制になったのだ。平たく言えば、家康は「自分の息子は馬鹿でいい」と考えていた。■信長の次男は「バカ殿」「子供は優 [全文を読む]

コメディ多めの息抜き回と見せかけ、重大フラグ乱立! そしてあの“ナレ死”も回避!?『真田丸』第26話「瓜売」レビュー!

おたぽる / 2016年07月05日21時00分

加藤清正(新井浩文)が朝鮮で苦戦する一方、肥前名護屋に集められた真田昌幸(草刈正雄)や徳川家康(内野聖陽)ら大名たちは、秀吉の発案で“やつし比べ”(仮装大会)に駆り出される。信繁(堺雅人)は、昌幸の出し物が秀吉と同じであることを知り大慌てする。そのとき信州上田城では、“ばば様”こと、とり(草笛光子)が最期のときを迎えようとしていた――といったお話。なお視聴 [全文を読む]

真田幸村の地、上田の食資源を活かした"自分で作る調理キット″をネットで販売開始!キャンプやBBQ、パーティーで活躍する「真田バーガー」など『真田の台所』を発信へ。

PR TIMES / 2016年06月23日15時53分

真田昌幸が築城した上田城のある上田城跡公園など、現在、注目の集まる観光地です。この『真田の台所』は長野県が有数の食材の豊かな地域であり長寿県であることに着目、特に上田市は盆地特有の気温の寒暖差により、豊富な種類の野菜と、恵まれた自然環境下で育まれた食肉が豊富な土地でありながら、それが他県には周知されない事実があります。『真田の台所』では信州が長寿県たる「食 [全文を読む]

ネタバレ注意!歯は抜け落ち、白髪だらけ…NHK大河ドラマ『真田丸』の今後の展開は?

tocana / 2016年02月11日19時00分

戦の天才・武田信玄から信頼されていた真田昌幸の次男として生まれる。19歳、上杉景勝の人質となる。20歳、豊臣秀吉の人質となる。24歳、初陣(北条攻め)。25歳、結婚(豊臣家臣の大谷吉継の娘)。32歳、豊臣家に仕える(秀吉死去)。34歳、父(昌幸)とともに石田三成に従い、徳川家康と対戦。軍勢3万8000人の徳川秀忠を上田城にて軍勢2500人で迎え撃ち、勝利 [全文を読む]

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