信長 比叡山に関するニュース

明智光秀の子孫が新解明する「間違いだらけの織田信長」

アサ芸プラス / 2015年08月13日17時55分

「戦国武将の逸話には、創作である軍記物の記述に引きずられ、それが定説となってしまうことが多い」──そう語るのは戦国武将・明智光秀の子孫で、先頃「織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!」(幻冬舎)を上梓した明智憲三郎氏。実は光秀の主君・織田信長にまつわる定説は、間違いだらけなのだという。独自に解明した信長の「真の姿」を明かしてもらった。 信長とい [全文を読む]

“残虐”織田信長、実は優しいフェミニストだった!女性に優しく、貧しい民衆を保護

Business Journal / 2015年07月26日17時00分

織田信長の性格は、残忍で非道であったといわれている。そのため信長嫌いの人も多い。比叡山を焼き払い3000人を殺害、伊勢長島で2万人を虐殺、越前では3万人という大殺戮――。これだけを見れば、信長は残虐で残忍だったということができる。 ただ、その人数は、信長自身が京都や各地の前線にいた重臣ら宛の手紙に誇張して書いたもので、将兵たちの奮起を促し、大殺戮の噂を流し [全文を読む]

もし本能寺の変がなかったら…信長は天下を取っていた?

しらべぇ / 2016年12月19日10時00分

(Kavuto/iStock/Thinkstock)日本史上最強の君主・織田信長。この人物は、日本史を語る上で決して欠かせない。なぜ信長が領土を拡大できたかといえば、「金の力」をフル活用したからである。室町幕府の衰退は諸大名や各寺社勢力の財力が幕府を上回ったから起きたのであり、そうした仕組みを作ったのは足利尊氏。この人は軍人としては超優秀だったが、政治家と [全文を読む]

織田信長、天下統治の秘密は茶道具の価値変革…ナイキやゴディバ等の経営戦略の先駆け

Business Journal / 2016年03月13日06時00分

信長のレピュテーション・マネジメント 織田信長(1534-82)といえば、よく知られた戦国武将のひとりであり、豊臣秀吉・徳川家康と並び「三英傑」として称されています。室町幕府を事実上打倒し、秀吉と家康に続く天下統一への道を開き、道半ばにして明智光秀による本能寺の変で自死を遂げたその流転に満ちた人生行路もよく知られています。 一般に流布された信長のイメージ [全文を読む]

織田信長作品が注目を集める背景に強いリーダーを求める傾向

NEWSポストセブン / 2013年03月16日07時00分

織田信長作品が、今人気だ。高視聴率を記録した『信長のシェフ』(テレビ朝日系)、4月に放送予定の『女信長』(フジテレビ系)といった信長を描いたドラマが相次いで登場。『信長協奏曲』『センゴク一統記』などの漫画作品も増えている。今どうして“信長モノ”が注目されているのだろうか。コラムニストのペリー荻野さんに聞いた。 * * *『女信長』は、“もし信長が女性だった [全文を読む]

織田信長と比叡山延暦寺 420年の恩讐を越えた和解

NEWSポストセブン / 2016年09月16日11時00分

それは織田信長による焼き討ちだ──。 法要が営まれた「元亀(げんき)の兵乱殉難者鎮魂塚」は、この犠牲者を慰霊するために建てられたもの。この日は焼き討ち犠牲者を供養したのだが、それと同時に“加害者”である信長の供養までもが行なわれていたのだ。“怨み”を持っていたはずの延暦寺が信長を鎮魂するに至るまでには、一体何があったのだろうか──。 信長が天下布武を唱え、 [全文を読む]

明智光秀 「本能寺」はカツラの恨みで決意したという説

NEWSポストセブン / 2017年04月03日16時00分

明智光秀はライバル大名を次々と滅ぼし、比叡山延暦寺などの寺院まで攻めて天下統一を目指した織田信長の家臣。天正10(1582)年、京都本能寺に宿泊中の信長を襲って死なせ、謀叛人として名を残した。歴史作家の桐野作人氏が光秀の実像について指摘する。 * * * 明智光秀が主君・信長を討った「本能寺の変」。光秀が謀叛を起こした動機は謎で、「怨恨説」「義憤説」「野望 [全文を読む]

もしも広告代理店が「本能寺の変」をプレゼンしたら【たかまつななのお笑いジャーナリズム論】

しらべぇ / 2015年10月06日06時30分

なぜ明智光秀は、下剋上を侵してまで織田信長を殺したのか。私は考えたのです。プレゼン上手な広告代理店が、明智光秀に対して「本能寺の変」を提案したのではないのかと......。もしも、実際にそうだった場合どうなるのか、こんな企画書を作ってみました。■歴史を左右する究極のプレゼン玉露入りのお茶を入れて、光秀の到着を会議室で待つ私。なんだか、外が騒がしい。光秀が来 [全文を読む]

本能寺は「移転先」にあり。今も京都に残る信長由来の地を巡る

まぐまぐニュース! / 2017年06月02日23時12分

戦国時代屈指の英雄といえば、多くの方が織田信長を思い浮かべるのではないでしょうか。天下布武まであと一歩というところで、明智光秀の謀反によって命を落とした「本能寺の変」はあまりに有名です。その本能寺は現在も京都に残っていますが、実は当時信長が討たれた本能寺とは場所が全く違うのだとか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者・英学(はなぶさ がく)さん [全文を読む]

織田信長や徳川綱吉には多くの「誤解」が! 教科書には載らない歴史の真実

ダ・ヴィンチニュース / 2016年07月12日06時30分

特に顕著なのが「織田信長」だろう。彼の記述にはよく「比叡山延暦寺の焼き討ち」が取り上げられ、あたかも宗教弾圧者のように捉えられる。しかし当時の寺社というものは、決して無抵抗な宗教団体ではない。己の利権を守り、主張を押し通すために武装していたのだ。つまり信長は「宗教」を盾にした武装組織を、あくまで敵対者として排除したのである。反抗した比叡山や本願寺に「禁教令 [全文を読む]

京都の魔窟:朱子学から古学へ/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2016年07月22日06時00分

主君三好家を凌ぎ、65年には室町幕府第13代将軍足利義輝を二条城で殺害、68年には信長配下となるも、謀反を起こし、高価な茶道具とともに自爆死したとか。 母方が下冷泉家ゆかりの入江永種(1538~98)は、幼少で父母を失い、父方の親族だった松永久秀の養子となるも、武人ではなく歌人となり、藤原惺窩の姉を娶って、風雅の道を楽しんだ。その子、松永貞徳(1571~1 [全文を読む]

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