他人事だった球界再編…数か月で“立ち上げ”も人員4人 「秋季練習? 何やるんですか」
Full-Count / 2024年4月22日 7時20分
■2004年に誕生した楽天で、初代球団代表を務めた米田純氏
2004年はプロ野球史に残る1年となった。1月の日本ハムの北海道本拠地移転に始まり、近鉄とオリックスの経営統合、1リーグ制の危機、球界初のスト決行。2リーグ制維持のために新規チームを募り楽天が誕生と連日、世間を賑わせた。球団再編から20年の節目である今年、改めてこの出来事を振り返る。楽天野球団初代代表の米田純氏に話を聞いた。
米田氏は、1963年神奈川県生まれ。早大卒業後にセゾングループ傘下の西武百貨店に新卒入社し、紳士服売り場での4年の経験を経て、営業本部のマーケティング部門を担当した。転機が訪れたのは2003年2月のことだった。
「西武百貨店で一度購入したお客様に、リピーターになってもらうためにどうするのか、既存顧客をどう活性化するかというリテンションマーケティングを担当しました。それを百貨店ではなく、デジタルの世界でやりたいと思い始めた時に、楽天という企業と出会いました。ちょうどそういった部署を作ろうとしていたようで、(楽天創業者でオーナーの三木谷浩史氏と)意気投合して入社に至りました」
当時、時代の寵児としてメディアでも大きく取り上げられる楽天に入社を決めた。入社後はメンバープログラム部の立ち上げに参画。ポイントプログラムのプロモーションを担い、2004年春頃には軌道に乗せた。
「その年の夏頃から近鉄球団の消滅の話が浮上しましたが、そこまで楽天で球団を持つという話は全然なく、私自身も『そうか、球界再編が始まったのか』という目で見ていました。ある時、社長室長に呼ばれ、『もし球界参入することになったらやる?』と聞かれ、『それはもちろんやりますよ』と二つ返事で答えましたね」
楽天の初代球団代表を務めた米田純氏【写真:パ・リーグインサイト提供】
■六本木ヒルズの会議室「プロ野球準備室」で始まった球界参入作戦
野球界に携わることは米田氏の積年の夢だったという。「西武百貨店在籍時にも、西武の優勝セール企画を担当し、なんとかライオンズで仕事ができないかと西武の球団代表に交渉したことがありましたが、できなかったことなので。もちろん、デジタルマーケティングに従事しようと楽天に入っていますから、またアナログなところに行くのかという気持ちも少しはありました。でもそれ以上にプロ野球の仕事がしたかったんです」
新規参入するにもベースがない状態からのスタート。堀江貴文社長(当時)率いるライブドアが新規参入に動いているという情報も、もちろん耳にしていた。
「ただ僕らはもう自分たちが参入するもんだと思って、『プロ野球準備室』というプロジェクト名で監督などの組閣準備をしていました。まだ(ライブドアと)どっちになるかはわからなかったですが、やるつもりでしたね。2004年の春に引っ越した六本木ヒルズのオフィスの、シドニーという会議室で寝ていたことはいまでも思い出しますよ。大変だけどみんな上り調子というか、生き生きとしていたんです」。米田氏39歳のチャレンジ。米田氏を除いたプロ野球準備室のメンバーはわずか3人ほどだったという。
当時を思い起こすと大変なことだらけで、とにかく何をやればいいのかわからなかったと米田氏は笑う。
「僕は、マーケティングが専門ですが、一切マーケティングの“マ”の字も出てこないような仕事内容で。例えばチーム運営で、どこのホテルに泊まって、部屋を決めてとか、ホワイトボードをどのフロアに置くのかとか、他の業界でどこも通用しないようなメソッドです。こういう世界があるんだと思いました。僕は大学時代に準硬式野球をやっていたものの、プロ野球選手だったわけでもなければ裏方で働いていたわけでもないので、そういう意味ではド素人ですよね」
■深刻だった球団発足時の人材不足…ジャージのようなユニで練習
わからないなりにも、選手に練習の環境を与えるための組織を作るということが一番の使命だと感じていた。特に苦労したのは「人集め」だったと話す。
「近鉄やオリックスから、うちに残ってくれたスタッフの方もいましたし、それ以外にも他球団からスタッフが来てくれましたが、新規雇用のための面接をするのが大変でした。一番に思い出すのが藤井寺野球場でやった秋季練習です。11月2日に参入が決まって、キャンプインまでの間に、初代監督の田尾(安志)さんがどうしても1度選手みんなで集まって練習がしたいと。でも場所がない、ユニホームもない。そもそも『秋季練習? 何やるんですか?』と、全然僕らもわからなかったので、とりあえず弁当を用意すれば『いやいや、弁当じゃなくてケータリングだから!』と、そこから(笑)」
近鉄の計らいで、藤井寺球場を無料で貸してもらい、スタッフ確保のために練習の傍らで面接を行った。分配ドラフトの選手が仙台へ引っ越すため、仙台の不動産会社にも球場に来てもらい、出張不動産説明会をやるほどの状況だった。時間もなければ人手も足りなかった。
「人材不足は事業側だけでなく、チーム側もでした。バッティングピッチャー1人以外は、野球部ではない普通の慶応の学生をツテで集めてピッチングマシンにボールを入れたり、ボールを拾ったり。しまいには田尾さんも投げて、僕は球拾いしてという状態でした。手弁当もいいとこですね。ユニホームにしてもミズノさんがジャージみたいなものを用意してくれました。かろうじてチームカラーのクリムゾンレッドのラインが入っているだけの白いユニホーム。下はみんな白いズボンだったので全身真っ白。背番号も背ネームもなく、高校生や大学生の練習着のような有り様でした。それでも、野球ができなくなるかもしれなかった選手たちが、もう一度プロ野球選手を目指した学生時代を思い出したようにも感じました」
後編では、2013年悲願の日本一について。現在は米国と日本の二拠点で暮らし、飲食業界に身を置く米田氏の現在の仕事について聞く。(「パ・リーグ インサイト」編集部)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)
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