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日本は「死ぬほど怖かった」 “悲劇”で止まらぬ嘔吐…助っ人大砲が1年で西武去ったワケ

Full-Count / 2024年5月9日 7時10分

取材に応じた元西武のクレイグ・ブラゼル氏【写真:荒川祐史】

■NPB時代を振り返ったブラゼル氏、来日1年目の苦悩と悲劇

 NPBで通算133本塁打を放ったクレイグ・ブラゼル氏が10年ぶりに来日し、Full-Countのインタビューに応じた。2008年に西武に入団し、初めて日本の地に足を踏み入れた。「死ぬほど怖かったんだ」。27本塁打を放った来日1年目を振り返った。【取材協力・一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会】

 1998年に高卒でメッツに入団し、2004年にはメジャーデビューを果たすも、結果が残せずマイナー暮らしが続いていた。転機は2007年。ロイヤルズ傘下に所属し、2Aと3Aで計39本塁打を記録。「熱心に声をかけてくれたのが西武でした」。シーズンが終わると、正式にオファーが届いた。

 好成績を残していたためメジャー昇格の話があってもおかしくなかったが、すでに何度も昇降格を繰り返しており、決断は簡単だった。「日本からオファーが来るなんて素晴らしいことで、断る理由はなかった。キャリアを再形成できる機会だからね」。いずれはメジャーへの復帰も視野に入れつつ、異国での生活が始まった。

 日本に行くことについては「死ぬほど怖かったんだよ」と笑顔を見せる。理解できない日本語が飛び交い、プレースタイルも大きく異なる。戸惑うのは当たり前だった。「野球とベースボールは全然違うものだからね。慣れるのには時間がかかったよ」。

 成功するために、コーチやチームメートには積極的にアドバイスを求めた。開幕から4番を任され、3月・4月には11本塁打をマーク。打率は.234、三振は139と多かったものの1年目から27本塁打と結果を残した。しかし、シーズン終盤に受けた頭部死球の影響で、わずか1年で退団することになる。

■1年で無念の帰国「今後プレーできるかもわからなかった」

 シーズン最終戦となった10月4日の楽天戦(クリネックススタジアム宮城)で、3回に木谷寿巳投手のボールが右側頭部を直撃。大きな体がグラウンドに倒れ込んだ。脳震とうと診断され、以降はめまいなどの後遺症が続いた。「選手生命の危機で、今後プレーできるかもわからなかった。私にとって初めての脳震とうの体験でした」。チームは日本一に輝くも、クライマックス・シリーズには1度も出場することなく、同戦が最後の試合となった。

 打撃練習を再開しても、真っすぐ来るはずのボールが動いて見えてしまい、練習後にはその影響で嘔吐することもあった。

 プレー復帰のメドが経たず、西武との契約は1年で終了。「西武でもう1年プレーしたいとか、そう言えるような状況ではなかったんです」。2009年はオリオールズとマイナー契約を結んでスプリングトレーニングに招待選手として参加したが、後遺症が治らず、開幕前に退団となった。

 その後は米独立リーグに籍を置き、めまいの症状が治ったのは死球から約半年後の事だった。そのタイミングで声をかけてきたのが、助っ人の不振に悩んでいた阪神だった。ファンから“神助っ人”と呼ばれた、2度目の日本でのシーズンが始まることになる。(上野明洸 / Akihiro Ueno)

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