平成22年の年賀状「明治の日本、戦後高度成長の日本」・「場所と私、人生の時の流れ、思いがけない喜び」・「紅茶と結石と年賀状」
Japan In-depth / 2023年8月16日 23時0分
思えばなんとも長い間紅茶を愛飲していたことになる。もっとも日に10杯というのは10年ほど前からのことであろうか。
もちろんストレートのみであった。紅茶は香りが命で、その命はミルクと共には存在し得ない。淹れたての紅茶から立ち上る香りは、書類を読んでいる私を、一瞬の間、別の世界に連れて行ってくれる。飲むたびにそう感じていた。
私はアール・グレイを最も好んだ。愛飲したグレイ伯爵の名にちなんだという、ベルガモットという果実の香りをつけた紅茶である。しかし、私は季節々々のダージリンのファーストフラッシュやセカンドフラッシュの香りもこよなく愛していた。
私の仕事の相当部分は机に向かって書類を読むことである。最近ではパソコンに向かって、ということになる。だから、紅茶はいつも仕事の友であり、短い休息のパートナーである。砂糖もミルクも入れないから、これほど単純で気のおけない連れ合いはなかった。
昔、男性専用のプライベート・クラブに集ったイギリスの紳士たちは、紅茶の葉ではなく、紅茶に添えて入れる砂糖の産地と年代を気にしたという。洗練の極、というのはそういうことなのだろう。イギリスの産業革命の時代に、農民から産業労働者になろうとしていた人々に、朝ごはん代わりに砂糖を入れた紅茶を飲ませることで時間の観念を植え付けようとしたとも読んだことがある。
そう考えてみれば、私も似たようなものだったのかもしれない。秘書が持ってきてくれる紅茶を前に、たくさんの書類の置かれた机の上を片付けて皿の上に乗ったティーカップのためのスペースを確保するほんの少しの手間。その間は指先ではなく腕全体が動き、頭が休まる。
私はティーバッグを忌み嫌っていた。紅茶は茶葉で淹れなくてはならない。その茶葉も、銀座5丁目のリーフルダージリンハウスで購入した茶葉でなければならない。あそこの茶葉を使うようになってから紅茶を飲む悦びが深まり、したがって頻度が飛躍的に増えた気がする。
ウィークデーのワーキングアワーは秘書が淹れてくれる。休みと夜は自分で淹れる。深夜、本を読み疲れ、あるいは根をつめて原稿を書いたあげくのぼんやりとした頭に、自分でお湯を沸かして淹れる紅茶ほど人生の愉悦を感じさせてくれるものはない。それが瞬く間に消え去る悦びでしかないことは、人生に限りがあるのと同じ類であろう。ほんのつかの間にせよ悦びなどというものは人生に数少ないのだ。
ともあれ、定期的に受けている健康診断のおかげで石が腎臓を離れて尿路に落ちて行ってしまったとわかった。大き+さも7ミリくらいとまで計測できている。あれもこれも現代医学の成果である。
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