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福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第4回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

TABLO / 2021年3月11日 6時0分

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安全神話が崩れた瞬間。

俺はこんなことしにきたんじゃないんだよ!」
12日朝、菅直人首相の怒鳴り声が作業員たちにまで聞こえた。作業員は「怒ってるよ、菅直人」「何しに来たんだよ」と苦笑していた

 

放管員というのは放射線管理員を指す。サーベイは「調査」「測量」「実地踏査」を意味する英語だが、ここでは、放射線量を測定し、放射能汚染を探ることを指す。アラームというのは、警報つき線量計を指す。

奥山:直すバッテリーをディーゼル消火ポンプにつなごうとされてたわけですよね。それは起動するためのバッテリーっていうことですよね? 一番しょっぱなのエンジンかける。

マサ:はい、そうです。

奥山:それをやってる途中で余震があって逃げて、そのあとはもう戻れない?

マサ:そのあとは実は、それでニュウインの朝にその件があって、免震棟に戻ったときにサーベイを当然受けますね、中に入るときに。それでもう全身汚染だったんです。ぼくともうひとりは全身汚染で。そのときのオーダーって、震災前のバックグラウンドとかのオーダーを使ってるんで、ちょっとでもすごい汚染になっちゃうんですね、まだ。そういうバックグラウンドを上げて、「このぐらいだったら大丈夫」っていうのをまだ設定してないんで、震災前の状況でこうなっちゃうんで、実はたいしたことないんだけど、すごいことになっちゃって。だから全身汚染っていうことになって。
で、免震棟に戻って、サーベイしたら全身汚染だっていうことで、着てるもの全部脱いで、コールドシャワーに行って、戻ってきたんだけどオーダー落ちなくて。で、ぼくともうひとりはそのまま免震棟の宿直室みたいなところがあって、そこに隔離状態になっちゃったんです。「ちょっと出ないでください」っていう話になっちゃって。でもう、そのまま12日は何もしないですよ。

【「オーダー」というのは放射線量の数値の桁の数を意味する。のちに事態が悪化していくにつれて、放射線量は増えていくことになる。が、12日朝の時点では、事故発生前と同じように微弱な放射線も検知できるように測定器を設定していたようだ。】

福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第1回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義) |

奥山:ちょっと話戻りますけど、つけようとされてたんですよね、バッテリーを。それはうまくいけばちゃんと直るような感じでした?

マサ:いや、結局はバッテリーが生きるってことは電気が生きるんだけど、駆動するほうに全然影響があったのかないのかっていうと、そこはちょっとわかんないですね。どこまで水没してたかわからないんで。
機械的に、水没してたらダメな部分っていっぱい出るじゃないですか。電気的にこっちを生かしてケーブルが生きてても、機械的にこっちのものがどんだけ生きてるかちょっとわからないんで。
でもあとで聞いた話だと、ぼくがやり残したやつは東京電力の人があとから行って、つないでやったんだけどダメだったっていうのを聞いた。

奥山:それは12日に?

マサ:いつやったかわからないです。だいぶあとになって聞いたんで。「あれは俺があとからやったんだけど、結局ダメだった」っていうのを聞いたんです。

奥山:すごく面白い話です。

マサ:そうですか?

奥山:そういう話はまったく出てないですからね。

マサ:細かい話なんで、ホントに。

奥山:でもすごく大事な話だと思いますよ。

 

【2012年6月に公表された東京電力自身の事故調の最終報告書には「発電所対策本部復旧班は余震が発生し作業が中断することがあったが、12時53分、バッテリー交換作業を完了。運転員が起動操作を行ったが、セルモータの地絡により使用できなかった」と記載されている。】

マサ:やっぱり表に出るのは、燃料がどうしたとか、そっちの話なんで。

奥山:ディーゼル消火ポンプが11日の夕方に動いていたのに夜中に止まって、それっきりになってて、それはどうしたんだろうっていうのは(東京から公表された時系列に)出てる話で、ちょっと気になる話だったんです。

マサ:その前の年ぐらいまでは、消火系の水っていうのも炉心には行かないようになってたんですよね。それを改造して炉心にいけるようにしたんです。だから使えるような。ま、使えなかったんですけど。なかったんですよね、それまでその設備が。

奥山:12日の朝に1号機のタービン建屋に入るときには、そういう汚染が出てきて広がってるっていう情報はなかったんですか?

マサ:そのときは情報がないだけで。ぼくらは東電から指示された、持ってったAPD(警報つき個人線量計)、アラームの設定が、たしかマックス5とかで。

久田:5ミリ?

マサ:そこのところはホントに、5日間の中で、11日から15日の中で、最初に自分たちが現場に行くところの事前のサーベイをして、線量がどのぐらいあるからどうのこうのっていう計画を立てた仕事は1個もないんで。その時点では。行き当たりばったりでやってるような状況だったんで。
奥山:12日の朝に、そのタービン建屋に入るのは、怖いとかそういう感じはどうなんですか? 津波のほうが怖いっていう感じでした?

マサ:怖いっていうより、ぼく、一番最初に思ったのは、タービンの地下に行かなきゃいけないんで、水浸しただろうなっていう(笑)。中まで行けるの?みたいな。そっちが先っていうか。あんまりそのあと余震が来てとかなかったんですけど。でもさすがに現場に入りだしたときは、真っ暗だし、「これ、地下行って嫌だな」っていうのはね。何が理由とかじゃないですよね。そんなの嫌じゃないですか。建屋の中の真っ暗なところの階段下がってって、下は水浸しで。そんなの行けないですよね、気持ち悪くて。

 

【3月12日朝の時点で、1号機の原子炉は、非常用復水器による冷却が止まって炉内の水位が下がり、崩壊熱を発する核燃料が空気中に露出しつつある、と見られていた。しかし実際には前日の津波来襲の後、非常用復水器は機能しておらず、夜に炉心溶融が始まったとみられる。午後9時51分には原子炉建屋の放射線量が上昇していることが判明。午後11時にはタービン建屋内でも放射線量が上昇しており、1階北側の二重扉の前で毎時1.2ミリシーベルト(1200マイクロシーベルト)を測定した。

12日午前2時前には圧力容器を損傷し、溶融燃料が格納容器の下部に落下したとみられる。正門で測定した放射線量の値は午前4時時点で平常値の毎時0.06マイクロシーベルトだったが、午前4時40分にその10倍余となり、上昇を始めた。一方、2号機では、RCIC(原子炉隔離時冷却系)のポンプが動き続けていることが12日未明に確認され、原子炉内の水位も保たれていた。】

 

奥山:12日の朝に入ったときには、当時は1号機、2号機はどうなってると思ってました?

マサ:プラント自体が今どういう状況でっていうのは、何も考えてなかったですよね、いま思うと。

奥山:特に東電さんのほうから「こうだよ」っていうのを言われたりとかは。

マサ:情報とかはまったくないです。今、プラントの状況がこういう状況にあるとか、そういう話はまったくないです。やっぱり縦割りで、東電さんも役割が分かれてるんで、もしかしたらその情報を知らなかったのかもしれないし、東電さんの担当者自身は。

奥山:現場の線量が上がってるっていうことは情報としてはあったわけですよね。

マサ:そうです。だから11日の晩から全面マスクだよっていう話になってたんで。外に出るには全面マスクって話になってたんで、その時点では線量上がってるんだなっていうのはみんな常識的にはわかってるんで。

奥山:1号のタービン建屋の地下に入ったときに、たとえばDG(ディーゼル発電機)がある部屋とか、そういうのを見たりはしない?

マサ:しないです。その目的のところしか行ってないです。

奥山:部屋によって水の量って違うんですか?

マサ:そうですね。でもう、11日に津波があってから、12日の朝にはもう相当引いてるんで、もう実際。いったんはどの号機も、地下1階ぐらいは全部水浸しだよっていうところだったんですけど、12日の朝になった時点で、相当引いてるところがたくさんあって。

 

■12日朝、菅直人首相が福島第一原発来訪

 

【3月12日朝、菅直人首相、寺田学首相補佐官らがヘリコプターで東京・永田町の首相官邸から福島第一原発に飛来した。政府の原子力災害現地対策本部長として地元・大熊町にあるオフサイトセンターに入っていた池田元久・経済産業副大臣や東京電力の武藤栄副社長らの出迎えを受けた。免震重要棟に入り、吉田所長と会談した。東電事故調の報告書に添付された時系列によれば、午前7時11分に発電所に到着し、8時4分に出発した、とされている。】

マサ:12日に菅直人が来たじゃないですか、原発に。あれも見掛けたんですけど。ぼくらがさっき言った汚染って言われるサーベイ受けてるときに、そこ通ったんです。そのときはまだ設備がちゃんとしてないんで、廊下でやってるんですよね、サーベイも。「現場から帰ってきた人、こっち来て!」と言われて。で、こうやってるうちに、菅直人が、団体さんがドーッと入ってきて。

奥山:それは消火ポンプのバッテリーをつなごうとして(余震で高台に戻ってきたときに)?

マサ:そうですそうです。それで帰ってきて。

奥山:帰ってきて、というときですね。6時とか7時とか。

マサ:そうです。帰ってきてサーベイ受けてるときに菅直人が。

奥山:免震棟の中に入ったところで、廊下の。

マサ:そうです。えらい怒ってましたよ。その時点ですっごい怒ってました。自分も外から入ってきたからサーベイ受けなきゃいけないじゃないですか。そこらへんで怒ってたんじゃないですかね。だって向こうのほうでも、ぼくらが通る、通りの向こうのほうで聞こえてましたもん。緊対室じゃなくて。緊対室は2階なんですけど、1階の段階で、向こうのほうで、「俺はこんなことしにきたんじゃないんだよ!」って(笑)。(ぼくらは)「ホント怒ってるよ、すごい!」みたいな。

奥山:免震棟入るときにみんな並んでるんですか。

マサ:はい。

奥山:その一番最後列に並ばされたらしいんですね(笑)。総理大臣が。

マサ:ぼくの前をスーッと通っていって、で、向こうのほうに行ったときに「こんなことやりに来たんじゃないんだよ!俺は」みたいな
声がして、(ぼくらは)「怒ってるよ、菅直人」「何しに来たんだよ」みたいな。

奥山:それ菅さんの声で?

マサ:たぶんそうでしょうね。

奥山:やっぱり。怒鳴ってばっかりとは言われてる。

マサ:なんかのニュースかなんかで、もともと「イラ菅」っていうのは聞いてたんで、「おお、やっぱりそうなんだ」と思って(笑)。

【東電事故調の報告書に添付された別紙2には次のように記載されている。
「免震重要棟入口で身体サーベイを担当していた保安班が,免震重要棟に入ってきた内閣総理大臣の身体サーベイを開始したところ,「何をしているのか」と質問された。身体サーベイしている旨を説明しても繰り返し同じ質問をされ,これ以上身体サーベイを続けられる雰囲気ではなかったため,身体サーベイを中止。全員を免震重要棟2階の会議室まで誘導した。」

このときの様子について、経済産業副大臣だった池田氏はのちに政府事故調の聴取に次のように振り返った。
「作業員の人が大勢いた。中には上半身裸というか、除染などの人だと思うのですが、大変だなと思ったのです。その前で菅は何と言ったかというと、何でおれがここに来たと思っているのだと言ったのです。これには私はあきれました。武藤や寺田に言うならまだしも、一般の人の前で、言ったので、イラ菅にしても今日はひど過ぎるなと思って。秘書官なんかもみんなびっくりしたと思うのだ。」

首相補佐官として菅首相に官邸から同行した寺田学衆院議員はこのときの様子について、のちに自分のブログの次のように書いている。
「総理が総理として扱われていない。重要免震棟入り口付近には人で溢れていた。肩と肩がぶつかる程の混雑。二重ドアを閉める為、背後から押されるように人混みの中へ。誰が自分たちを誘導しているのか全くわからず、総理一行は混雑する人に紛れてバラバラに。人混みの中の小さな流れを見つけ、それに任せて前に進む。奥には二列の行列。左の列に総理が並んでいた。右をみると、上半身裸の男性が、汗だくで床に寝そべっていた。息は荒い。列の先頭では、係員が機器を使って入場者の放射能を計っている。「おい、ここらへん高いぞ!」と私の近くで係員が叫ぶ。

いよいよ次が私、というところで、左にいた総理が「なんでこんなことしなくちゃいけないんだ」と列を離脱、誰かに誘導されて階段に向かう。急いで私も後を追う。階段に到達するも、そこも人だらけ。階段の壁には、びっしり人が立っていた。休むところがなく、壁にもたれて休んでいる様子。一様に目が疲れている。目の前に総理大臣がいることを気付くものは殆どいない。気付いても目で追う程度。急いで階段を駆け上がるが人混みで総理を見失う。二階にあがり、誰かの導きで会議室に到着したら総理と津村記者の二人だけがいた。」】

(次回に続く)
〈インタビュー@奥山俊宏(朝日新聞編集委員 文責@久田将義(TABLO編集長)〉

福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第2回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義) |

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