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「孤独地獄」の体験が吉と出た人の共通点

プレジデントオンライン / 2019年3月30日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Chalabala)

戦国、幕末の偉人、西洋の哲人の生き様から孤独の力を探ってみる。孤独=寂しいものではない。見失いがちな本当の自分を発見するチャンスなのだ。

■もし彼らが孤独を嫌えば、歴史が変わった

「歴史上の英傑たちは皆、孤独を抱えていました。孤独であることの最大の利点は、自分と向き合い、冷静に考えることができるということです」と歴史家の加来耕三さんは言う。

戦国や幕末など、命のやりとりをする時代であれば、死を意識し、自分と向き合わざるをえない。しかし、平和な時代に孤独と向き合うのは難しいのではないだろうか? それは違う、と加来さんは否定する。

「平時に自分と向き合っていない人が、非常時に役立つはずがない。常に自分と向き合ってきたかどうかが、有事に問われるわけです。孤独を噛みしめ、自分の人生をいかに歩むかを考えたことのある人間だけが、いざ鎌倉のときに輝く」(加来さん、以下同)

幕末の英雄で、孤独を感じさせる人物の筆頭といえば、冷酷非情なイメージのある大久保利通だろう。

大久保利通(1830-78)
維新三傑の1人。島津久光の側近として薩摩藩を倒幕へとリードする。維新後は、版籍奉還、廃藩置県などの公布を行い中央集権体制を確立。不平士族により暗殺される。

「大久保は特別頭がよかったわけでもないし、剣が優れていたわけでもない。ところが、“人斬り半次郎”と呼ばれた桐野利秋ですら、大久保に文句を言いに行くときは、恐ろしくてしらふでは会えなかった。そこで、芋焼酎を引っ掛け、勢いをつけて行くのですが、大久保に『なんじゃち?』と睨まれたとたん、酔いが覚めたといいます。

維新後も彼が内務卿のときは、内務省の建物の入り口に立っただけで、大久保がいるかいないかがわかった。いると私語がまるで聞こえてこない。シーンとしていたという伝説があります」

その迫力、重厚感はどこから生まれたのか。加来さんは大久保が20代のときの事件に焦点を当てる。

「“お由羅騒動”(島津家の跡継ぎをめぐるお家騒動)で大久保の父・利世(としよ)が島流しに遭い、利通も失職します。

薩摩は、疑われたら腹を切るのが男らしいとされるお国柄。でも、利世は後年、騒動を客観的に見る時代がきたときに、証言者が全員切腹していては困るだろう、と遠島処分を受け入れました。これは、当時の薩摩においては許されざること、侍らしくない態度です。結果、大久保家は村八分にされるわけです」

誰も助けてくれない。大久保利通も潔く死にたいが、残された病弱な母や3人の妹のことを考えると死ねない。地獄の底で、もがき続けねばならない。後の大久保の強さはこのときにできたのではないか、と加来さんは睨む。

「現存している大久保の手紙で、最も古いのは借金の依頼・証文です。孤独のなかで、彼は覚悟したのではないでしょうか。孤独な時間の濃密な経験は、後に生きてきます」

その後、大久保は国父(藩主の父)島津久光に見いだされる。大久保が凄みを示したのが鳥羽・伏見の戦い。旧幕府軍1万5000人に対し、薩長軍5000人。討幕勢力にとってはイチかバチかの際どい戦(いく)さ。旧幕府軍の進撃を受け、公家連中は怯え騒ぎだす。

「岩倉具視までもが、『これは薩摩と徳川の私闘だ、朝廷を巻きこまないでくれ』と言いだす。しかし、大久保はじっと動かない。これしかないという信念。ここで大久保が顔色を変えてウロウロしていたら、討幕勢力は瓦解していたはずです。大久保という人は、ここぞというときには、誰にも相談せず、自分と向き合い決断し、腹をくくる。これが大久保の凄みです」

■人生をいかに生きるか。孤独は心の鍛錬である

では、大久保の盟友でありながら、後に決別した西郷隆盛はどうか。多くの人から慕われているイメージだが。

西郷隆盛(1828-77)
島津斉彬の右腕として江戸に同行、政治活動に奔走する。維新の動乱期は、禁門の変、戊辰戦争など軍事面を担当することが多かった。49歳のとき、西南戦争で敗れ自刃。

「大河ドラマとは違い、10代後半から20代にかけての西郷は、いわゆる空気の読めない男です。自分が正しいと思ったら、人の言うことを聞かない、融通の利かない嫌な小役人。郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)という農家を回って、米の取れ高を見て回る役でしたが、10年間、肩書も変わらず石高も変わらない。なぜかというと、すべての上司に嫌われていたからです。

それがたまたま、ときの藩主・島津斉彬の目にとまり、取り上げられた。斉彬がいなければ、どこの組織にもいる、嫌われ者で終わったでしょう。彼が人間として完成するのは、2度目の島流しを経験したからです」

2度目の沖永良部島への島流しは、西郷を生きて帰すな、という熾烈なものだった。獄舎は2坪。屋根はあるが壁はなく、周囲は格子。砂も風も雨も吹き込んでくる。天井は低く、高さもないため、大きな西郷は一日あぐらをかいて過ごした。一日に支給されるのは麦飯1つ。あとは焼き塩と真水のみ。

「島民が助けようとしても、必要ない、と西郷は断る。いずれ久光から切腹の沙汰があるだろうから、潔く死んでやろう、と覚悟していたわけです。

最低限のものしかないから、自分自身と向き合わざるをえない。どうせ死ぬ身なのだから、金も地位も名誉もいらない。ただ1つ頭にあったのは斉彬の遺言。国民国家をつくり、国民がそれを守るという形を取らないと、欧米列強の植民地になってしまう。国民国家をつくるために、最短距離で走れ、という西郷に与えられた使命でした。

追いつめられ、潰れてしまう人もいるけれど、潰れなかった人間はそこで強くなる。最悪の状況は、まさに次の芽を育てる。つまり、孤独は心の鍛錬です。結果的に島流しが彼の人間完成に繋がったわけです」

歴史に学ぶとき、成功した人からだけ学ぼうとしがちだが、その姿勢が一番ダメだと加来さんは言う。

「坂本龍馬が教科書から消えます。これまでは薩長同盟の締結、大政奉還に貢献したとされてきましたが、それらが歴史学的に否定されたからです。龍馬は何も結果を出していない、と。

しかし、本当に大事なのは、龍馬が何をしようとしたのか。なぜ彼はそれを達成できなかったのか、を考えること。歴史を学ぶとは、そういうことです。結果がすべてでは、スマホで検索してすぐに答えを得ようとする態度と変わりません」

現代人の抱く龍馬像は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の影響が大きく友人や仲間が多かったイメージだが……。

「友情という概念は、幕末になって現れたものですが、基本的に日本では主従という縦の関係はあっても、横の連動というのはありません。横の連帯を深めるために『~くん』という呼び名が広まりました。しかし、志士たちも、それぞれ藩に寄っているわけです。縦があって、はじめて横が成立した。だから、友か藩かとなると、結局は藩を取るのです。しかし、脱藩した龍馬には横の繋がりしかない。

龍馬が何をしようとしたのかというと、自分がキャスティングボードを握ることで、薩長でも幕府でもない“第三の道”を切り開こうとしたわけです。でも、後藤象二郎にも西郷にも木戸孝允にも、それは言えない。説得できない。やがて維新のスピードはどんどん加速し、龍馬の振る舞いもブローカー的になり、誰からも信用されなくなる」

すでに薩長同盟が結ばれ、大政奉還が実現し、土佐も薩摩も長州も龍馬を必要としなくなる。つまり、龍馬は誰に殺されてもおかしくない状況だった、と加来さんは言う。

「誰にも理解されず、使い捨てられ、暗殺される。孤独の悲劇です。孤独を力に成長した人間が皆、成功するわけではありません。失敗の道を辿らざるをえなかった人間も視野に入れないと、歴史の本当の凄みはわからない。

孤独な人間は、周囲から理解されないものです。悲しいとか悔しいという感情も孤独にはありますが、それを超えられるか。孤独を楽しむというのは、武道でいうところの極意に通じます。その境地へたどり着けるかどうか。歴史上の人物はみな乗り越えている」

社会という人間関係やルールのしがらみを断ち、孤独になるからこそ、常識破りの発想も生まれてくる。

「組織が崩壊するのは、非常の才を起用しないからです。平時に力を発揮するエリートは、記憶力がよく、段取りもいいけれど、独創性はありません。だから、常識が通用しない非常時には役に立たない。しかし、これが組織の宿命なのですが、よほど有能な上司でない限り、自分より有能な部下というのは使いこなせません」

島津斉彬が西郷を発掘したように、身分の隔てなく実力のある人間を登用したのが、戦国時代の織田信長。信長も孤独だった、と加来さんは続ける。

織田信長(1534-82)
今川義元を桶狭間の合戦で破ったのを皮切りに周辺諸国を制圧。中国地方から関東地方にまたがる大勢力を築き上げた。47歳のとき、明智光秀の手により討たれる。

■独創的な発想は、孤独から生まれる

「信長は戦略・戦術のプロと言われますが、果たしてそうでしょうか。桶狭間では奇襲攻撃で大成功しましたが、これは追いつめられてやって、たまたま成功しただけのこと。それ以外の戦いも、当時は常識破りでも、今日からすればあたり前のこと。実に素人的な発想で信長は戦っているのです。

尾張という国は農業・商業的にも豊かで生活にもゆとりがある。そういう国は往々にして兵が弱い。逆に兵が強い武田、上杉は経済力に弱点がある。兵が弱いならば、お金で兵を買えばいいではないか、と信長は将兵を雇い、家臣団をつくるわけです。

彼の前半生をかけたのが、隣国・美濃の獲得です。しかし、兵は美濃のほうが強い。そこで信長は勝つために何をしたか。彼は銭で雇った将兵に、戦いに攻め勝つことを要求しませんでした。勝たなくてもいいから、数多く攻めろと命じたのです」

美濃にしてみれば防衛戦。相手陣地に攻め込んだら利益が分配されるが、自陣を守っても一銭にもならない。しかも、信長軍は当時の合戦の常識を破り、常備軍で田植え、稲刈りのシーズンにも攻めてきては、田畑を荒らしまくる。その繰り返しに美濃の国境線側は疲弊し、追いつめられ、ドミノ倒しのように織田の配下に加わる。

「信長が鉄砲を活用したのも、兵が弱いからです。そのころの鉄砲の弾は100メートルも飛ばないし、弾込めに時間がかかるから役に立たない、というのが戦さの常識でした。でも、信長は弱い織田軍にはこれしかない、と決断する。そして、鉄砲の数を揃え、隊列を分けて交互に撃つという戦術を考え、雨に濡れないように火縄にカバーをつけるなど、鉄砲の性能を高めたわけです」

世のなかの常識、慣習、慣例に立ち向かうとき、常識派の数が多いだけに、孤独にならざるをえない。逆に言えば、慣習に囚われない独創的な発想は、孤独からしか生まれない。「あとは結果が出るかどうか」と加来さんは言う。

■類まれな忍耐力を育んだのも孤独

泰平の世を確立した家康は、生い立ちからして孤独であった。

徳川家康(1542-1616)
幼い頃の人質生活を経て、織田信長の盟友として版図を広げ、のち豊臣秀吉に臣従。秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利し、戦乱の時代に終止符を打ち、江戸に幕府を開く。

「我慢強い信長に比べ、家康はカッとしやすい性格でした。カッとなると見境がなくなるのが松平の血筋です。でも家康は、12年余の人質生活で、我慢することを覚えました」

長い人質生活。孤独のなかで家康は自問自答を繰り返す。「自分は先見性もなければリーダーシップもない。大局観も何もない平凡な人間だ。しかし、信長に伍して生きていきたい。では、どうするか」。自分より優れた人間を使うしかない。それが答えだった。

「激高しやすい性格だったのにもかかわらず、家康はその生涯で多くの人を許しています。三河の一向一揆では家臣の半分が離反しましたが、全部許している。自分を殺そうとした本多正信も許し、参謀として従えてしまう。長男の信康を自刃に追い込んだ張本人の酒井忠次も許して、徳川四天王のトップに据えています」

この常識では考えられない忍耐力も孤独から生まれた、と加来さんは考える。とはいえ、激情に駆られやすいDNAが暴発することもある。

「三方ヶ原の合戦で、武田信玄が進軍してきたとき、家康の浜松城は無視されました。周りは安堵したのですが、家康は『庭先を横切られて黙ってられるか』と、カッとなる。家康軍1万ほどに対し、信玄軍2万7000。しかも相手は天下無敵の最強軍団。にもかかわらず家康は、信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ったことをあげ、奇襲戦をすればなんとかなる、と家臣の反対を押し切って出陣してしまう。結果は兵の半分を失う大惨敗。家康は命からがら敗走するわけです」

このとき彼はわざわざ絵師を呼び、自分の惨めな姿を描かせたという。後年もその絵『しかみ像』を眺めることで、自分の戒めにした、とも。

「関ヶ原の戦いでは、『大垣城をやり過ごして佐和山を衝く』と噂を流し、石田三成を籠城から野戦に転じさせ、勝利を収めました。家康は三方ヶ原の合戦に学び、逆に再現したのです。

家康が英雄になれたのは、追いつめられながらも、孤独地獄に沈まずに学習したこと。失敗を次に活かそうと考えた。自らに打ち勝っている。克己心とは、つまり孤独そのものなのです」

せわしない日々の反動で、独りになりたいと思うことはあっても、進んで孤独を望む人はあまりいない。しかし、現代人はもっと独りの時間をつくるべきだと加来さんは言う。

「私たちは、仕事や遊びで常に感情も理性もフル回転している。つまり、日常に埋没しているわけです。まず、独りになり、すべてをシャットアウトして、自分と対話することです。独りでネットやテレビやゲームをして過ごしても、それは孤独ではありません。落ち着いて脳をストップさせる時間を持つ。メリハリが必要でしょう。それには、歩くこともいいですね。散歩を習慣にするのは、いいことだと思います」

一度きりの人生をどう生きるか。答えは自分のなかにしかない。孤独な時間とは、それを見つける、かけがえのないチャンスなのだ。

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加来耕三(かく・こうぞう)
1958年生まれ。歴史家。奈良大学文学部卒業。多くの著作を執筆する傍ら、講演、歴史番組の監修も多い。武道への造詣も深く、タイ捨流免許皆伝、合気道四段。『坂本龍馬の正体』『刀の日本史』ほか著書多数。

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(フリー編集者 遠藤 成 写真=iStock.com)

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