「最も幸福度の高い土地」に引っ越した女性が、「一生ここで暮らす」と即答できなかった理由
プレジデントオンライン / 2021年12月7日 9時15分
※本稿は、フランク・マルテラ『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の一部を再編集したものです。
■「今を楽しく生きる」という強迫観念
現代の、特に西欧の社会では、幸福がなによりも優先すべき人生の目的となった。幸福は大きなビジネスを生んでもいる。2000年には、幸福をテーマにした本は50冊ほど出版されただけだったが、わずか8年後、その数は4000冊に近くなった。
現在では、“幸福担当役員=CHO(Chief Happiness Officer)”と呼ばれる役職を置いている企業まで存在する。その名のとおり、社員に幸福をもたらすことを仕事とする役員だ。また、ソフトドリンクや香水などを消費者に“幸せを届ける商品”として販売する企業もある。
政府までもが幸福に注目し始めている。世界の156カ国を、国民がどの程度幸福かでランクづけした“世界幸福度報告”が最初に発表されたのは2012年である。この報告に注目する人は年々増えている。南アジアの小さな王国であるブータンでは、1970年代以降、GDP(Gross Domestic Product=国内総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)を増やすことを政府の目標としてきた。
雑誌の記事から、書籍、歌、広告、マーケティング戦略などにいたるすべてが、GNHを増やすという目標達成に寄与するものになっている。現代においては、「今を楽しく生きる」という考えはもはや強迫観念に近いものだと言ってもいいだろう。幸福を追求することは個人の権利というだけでなく、個人の義務であると言う人もいる。
ただ困ったことがある。幸福は結局、単なる感情なのだ。ともかく、自分の置かれている状況や、これまでの経験を良いものだと思うことができ、総じて満足していれば、その人は幸福だと言える。つまり、生きている中で不快な経験よりも快い体験を多くすれば、それで幸福になれるということだ。
そうだとすれば、幸福は、人生に永続的な意味を与えてくれるものではないことになる。幸福を追求せよ、と言われても、単に不快なものを避ける行動を続けるだけの人間になる可能性は高い。
■無限に幸福を求めていてはいつまでも落ち着けない
幸福を追求すると、それが逆効果になることも珍しくない。幸福になろうとして、かえって不幸になってしまうことすらある。
エリック・ワイナーの著書『世界しあわせ紀行』に、シンシアという女性の話が出てくる。シンシアは、引っ越しを考えていた。次に住むところに一生、住みたいと思ったので、どの地域に住めば最も幸福になれるかを事前に細かく検討した。
彼女はまず、文化的に豊かな地域がいいと考えた。また、美味しい飲食店の多い地域、自然、できれば山が近くにある地域を望んだ。検討の末、シンシアが選んだのはノースカロライナ州のアシュビルだった。小さいが文化的に豊かな街で、山に囲まれていて自然が近くにある。
ワイナーは彼女に、「このまま一生、アシュビルに住み続けるのか」と尋ねたが、シンシアは返事に迷った。アシュビルは確かに彼女の掲げた多くの条件を満たしているけれど、ここが本当に最良の土地かどうかはわからないというのだ。彼女はまだ良い場所を探していた。アシュビルに3年住んでも、まだ「ひとまずここに住んではいるけれど、良いところが見つかればすぐに引っ越す」と思っていた。
シンシアと同じような問題を抱えている人は少なくないとワイナーは考えた。アメリカ人には彼女のように無限に幸福を追い求めていつまでも落ち着くことがない人が大勢いる。すでに幸福なのにもかかわらず、明日はもっと幸福になるのでは、もっと幸せになれる場所があるのでは、今よりもっと幸福な生き方があるのでは、と考え続けてしまう。つねに目の前に無数の選択肢があるため、どうしても1つに決めることができないのだ。
ワイナーは「これは危険なことだと私は思う。私たちはどの場所も、どの人も本当に愛することができない。どこにいても、いつも片足をドアの外に出しているようなものだ」と書いている。
■不幸な人間はダメな人間という意識
ワイナーはシンシア以外にも何人もの人に話を聞いたが、どの人も、どこでなにをしていてもつねに最大限の幸福を得なくてはと考えていた。そのため、今、自分の目の前にあるもの、自分の持っているものが最良だとは思えなくなっていた。今のありのままの人生を楽しむことができなくなっていたのだ。
人が自分の幸福を追求することの弊害はこれだけではない。もっと幸福にならなくてはと思うあまりに、人生を楽しめなくなるのも確かに問題だが、それ以外にも、すべての人が自分個人の幸せだけを考えるようになると、人間関係に悪影響が出ることも多い。実はこの人間関係こそが幸福の真の源泉であることが多いのに、それが損なわれてしまうということだ。
誰しも生きていれば、どうしても辛いこと、苦しいことに直面するし、どうしてもそれに耐えなくてはいけないこともある。だが、人は誰もが幸福になる必要がある、という考え方が社会の中で優勢になると、不幸なとき、それに耐えて生きることが難しくなってしまう。
人間はつねに幸福でいなくてはいけないのに、不幸になった自分は失敗した人間、ダメな人間だという意識を持つことになる。不幸はそれだけで重荷なだけでなく、二重の意味で重荷になるということだ。
■幸福を人生の究極の目的にすると人生の豊かさが損なわれる
幸福を人生の究極の目的にしないとしたら、私たちはどうすればいいのだろうか。私たちにとって大切なものは、幸福以外にもたくさんある——たとえば、愛、友情、なにかを成し遂げること、自己実現など——どれも私たちを良い気分にしてくれるわけではないが、人生を豊かにしてくれる。どれもそれ自体に価値がある。
たとえば、私たちが友情を素晴らしいと思うのは、友情によって良い気分の量が増えるからではないだろう。友情の価値は、特に困難な状況になったときに明確になる。重い病気にかかるなどの危機に直面して、助けが必要なときには、友情の大切さがよくわかるのだ。共に過ごして楽しいということだけが価値ではないだろう。良いときも悪いときも、お互いに人生を豊かにすることができるからこそ、友情は大切だ。
人間は複雑なものである。単に良い気分になるだけでは十分ではない。それ以外にも必要なものはたくさんある。確かに幸福な気分になれるのは良いことだが、それを人生の究極の目的にしてしまうと、真に価値のあるものが多く失われ、人生の豊かさが損なわれる結果になるだろう。
■幸福はあくまで価値あるものの副産物である
とはいえ、現代の私たちの社会で、幸福を目的にせずに生きるのは容易ではない。「人間は幸福になるべきだ」というメッセージが社会にあふれているからだ。
たとえば、テレビをつけてみると——特にコマーシャルを見ると——ともかくあらゆる企業が、微笑みをたたえた健康そうで美しい人を使い、「この商品を買えば幸福になれますよ」と訴えてくる。しかし、どの人もニセ予言者のようなものだ。その言葉に決して騙されてはいけない。もっと幸せになりたいと思うあまりに、人生において大切なものを犠牲にしてはならない。
幸福とは単なる感情であり、それ以上のものではない。なにか真に価値のあるものを手に入れたときには、その副産物として幸福感も得られることはあるが、その場合、重要なのは幸福感ではない。つまり、人生を真に価値あるもの、意味あるものにしたいのならば、単に幸福を追求して生きるのは良い方法とは言えないということだ。
■収入が増えて幸福度がすぐに上がるのは超低収入の人だけ
経済的に成功すれば幸福になれると思い込む人も多いが、それは間違いだ。皆がそういう考えを持つのは、企業や広告代理店にとってはありがたいことかもしれない。自分たちの商品を買えば幸せになれると言って、納得してもらえる可能性が高くなるからだ。
これまでの研究でわかったのは、収入が増えることによって幸福度が即、上がるのは、もともとの収入が極めて低い人たちだけだということである。家賃も払えず、食べ物も買えず、最低限の生活すら成り立たない、という人たちの幸福度は、そうでない人たちに比べて確かに著しく低い。そういう人たちは、少しの収入を得るだけで幸福度が大きく向上するだろう。
だが、生活にいちおう不安がない人の場合は、収入が増えてもその分だけ幸福度が上がるわけではない。収入がある水準を上回ると、それ以上の収入増加は幸福度をほとんど、あるいはまったく向上させないことがいくつかの調査で明らかになっている。また、最近の研究では、ある水準以上になると、収入の増加によって幸福度や生活への満足度がかえって低下することもある、という結果も得られている。
北米では、収入が9万5000ドルに達すると生活への満足度が、6万ドルに達すると幸福度が頭打ちになるようだ。西ヨーロッパ諸国では、10万ドル、5万ドルがそれぞれ境界線になるらしい。そして東ヨーロッパ諸国だとその水準は下がり、4万5000ドル、3万5000ドルがそれぞれ境界線になる。
先進国では経済の成長とともに、国民の収入は大きく向上してきたが、それが必ずしも幸福度の向上にはつながっていない。
アメリカの社会心理学者、ジョナサン・ハイトはこの点について「先進国の多くでは過去50年間に富は2倍、3倍になったが、幸福度や生活への満足度はさほど変わっておらず、しかもうつ病が以前よりも多く見られるようになっている」と書いている。
富が増えれば、最初のうちは確かに嬉しいと感じるものの、しばらくするとそれが当たり前の水準になってしまい、幸福感は消える。以前にはなかった新しい商品を手に入れて最初は快適さに喜ぶが、時間が経つと持っているのが当然になり、なにも感じなくなる。次の新しい商品が発売されるまではその状態が続く。誰もがもっと豊かに、もっと快適にと思い、上を求めてきりがなくなる。
■「欲しくもないものを買うために好きでもない仕事に取り組む」
表向き物質主義や大量消費主義を否定している人は、物を手に入れることは人生の目的にはなり得ないと言いがちだ。誰かに尋ねられれば、自分はもっと大きな目的のために生き、行動していると答える人も多いはずだ。
ところが人々の実際の行動を見ていると、本音は違うように思える。なかなか認めたがらないだろうが、実は大半の人がいわゆる“ヘドニック・トレッドミル”に乗っている。つまり、つねに今よりもう少しお金が、物が手に入れば、それで幸せになれると思っていて、いつまでも本当に満足することはない、という状態に陥っているのだ。
チャック・パラニュークは小説『ファイト・クラブ』にこんなふうに書いている。「若者の中には男女問わず強者がいて、皆、何者かになりたいと思っている。広告は、こういう若者たちに、必要のない車や服を買うように仕向ける。いつの時代でも、彼ら、彼女らは自分が本当に欲しいわけでもないものを買うために、好きでもない仕事に懸命に取り組んでいるのだ」
■選択肢が多すぎて自分の選択に自信を持てない
今や20億ドルもの規模になった広告産業はただ1つの目的のために動いている。それは、人々に「今の生活は間違っている」と感じさせることだ。今のままでは十分に幸せではないと感じさせるのだ。
大量消費主義は、人々が今の自分の生活に満足し、「もうなにもいらない。もう欲しいものは全部持っているから」と言い始めたときに終わってしまう。それは、キリスト教から仏教まで多くの宗教が理想としている状態である。どの宗教も人々をその状態へと導こうとしている。しかし、宗教が以前のような力を失った現代では、人々がその状態に達するのを阻止するためのメッセージを発するのに何十億ドルものお金が使われている。
現代はかつてないほど選択の幅の広い時代である。なにを買うにしても、競合する似たような商品が数多く売られている。そのせいで私たちは容易に罠にかかって抜け出せなくなってしまう。選択の自由があるのは良いこととされるが、あまりにも選択の幅が広いとかえって害になることもある。そのせいで一種の中毒状態になってしまうのだ。
皮肉なことに現代では、選択肢が多すぎるために、誰も自分の選択に絶対の自信を持つことができない。選択をしなくて済むのならそうしたいと思う人も実は多いはずだ。
心理学者のバリー・シュワルツはこの現象を「選択のパラドックス」と呼んでいる。私たちは選択の幅が広いことを良しとし、選択の幅が広がることを望む。しかし、あまりに選択肢が増えると結局、幸福感は減ることになる。昔の人は今の私たちほど、こうしたジレンマに悩まされることはなかった。飢えることはあっても、美味しそうな食べ物が多すぎてどれを食べていいか悩むということはまずなかった。
■ある程度良いもので“満足”する
日々、選択肢があまりに多すぎるという問題に対処するには、“満足化”という方法を採るといいだろう。これは、ノーベル賞を受賞した経済学者、ハーバート・サイモンが最初に唱えた方法で、シュワルツもこれに賛同している。満足化とは、ある程度以上、良いと思えるものが1つ見つかったら即、それを選ぶ、という方法である。それ以降はもう検討をせずに先へ進む。
なにかを買うとき、決断を下すときに、細かいところまですべてを検討するわけではない。なにもかもが最良と思えるものが見つかるまで待つということはしないのだ。あまりに細かく検討をしてしまうとストレスもたまるし、かえって不満や後悔が大きくなる。それでは時間やエネルギーなどの資源を無駄遣いすることになるだろう。
だが、広告の影響力は大きい。絶えず、これを買えば生活はもっと良くなると訴えてくる。それに対抗するためには、自分の心の中に確固たる指針を持っていなくてはならない。自分なりの価値観、人生の目標をしっかり持っていないと、この広告だらけの社会に振り回されずに生きることは難しいだろう。
どうすれば自分の人生が意味のあるものになるのか、それを知っていれば大いに助けになる。そうすれば、派手に宣伝される高価な新商品を手に入れなくても、十分に満足のできる人生を歩めるはずだ。
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心理学研究者
フィンランド出身。哲学と組織研究の2つの博士号を持ち、「人生の意味」の問題を専門とする。タンペレ大学で福祉心理学の教鞭を執りつつ、アアルト大学を拠点に活動。学際的なアプローチを行い、多分野の学術誌で精力的に論文を発表する傍ら、ハーバード・ビジネス・レビュー等の一般誌にも寄稿。また、ニューヨーク・タイムズ等のメディア露出や、スタンフォード、ハーバードなど世界の大学での招待講演など、活躍の場は幅広い。プライベートでは3児の父。
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(心理学研究者 フランク・マルテラ)
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