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たった1時間足らずで完成した「世界に一つだけの花」が20年たっても愛される納得の理由

プレジデントオンライン / 2021年12月15日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Malkovstock

SMAPの「世界に一つだけの花」は2003年の発売以降、CDシングルとして歴代1位のセールスを記録している。楽曲を提供した槇原敬之さんは、アルバム曲だけに入れる曲として、わずか1時間足らずで書き上げたという。なぜ異例のロングヒットになったのか――。

※本稿は、柴那典『平成のヒット曲』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■「デモテープを聴いて、ほんとに鳥肌が立った」

「デモテープを聴いて、ほんとに鳥肌が立ったのを覚えてる。でも、あんなに世の中の方たちに受け入れてもらえるとは思わなかった」

木村拓哉は「世界に一つだけの花」を最初に耳にしたときのことをこう振り返っている(TOKYO FM『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』2012年11月23日放送)。結果的に300万枚を超えるセールスを記録し、名実ともに平成を代表する歌となったこの曲。しかし、当初はシングルとしてリリースされる予定は全くなかった。SMAPのメンバー5人も、周囲のスタッフも、誰もここまでのメガヒットは予想していなかったはずだ。

曲が作られたのは、2002年7月24日リリースのアルバム『SMAP 015/Drink! SMAP!』の制作が大詰めになっていた頃だった。楽曲提供の依頼を受けた槇原敬之は「Wow」という別の曲を提案していた。しかし曲は不採用となり、急遽別の曲を書き下ろさなければならなくなった。ただ時間はない。〆切は差し迫っていた。

槇原は、この曲が「降りてきた」と言う(『ノンストップ!』フジテレビ系、2018年4月30日放送)。「サーフィンのように、後ろから波がワーってやってくる感じがしたんです」と語っている(『文藝春秋』2019年2月号)。ある朝、自宅で寝ていると、ふと「曲が書ける」という直感を得た。情景が絵のように次々と頭の中に思い浮かび、それを文字に書き起こした。

■1時間足らずで書いた曲が空前のヒットに

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

それがそのまま歌詞になった。書き上げるのに20~30分、トータルでも1時間はかかっていないという。

当初からメンバーの思い入れは強かった。ファンからの人気も高かった。2002年7月から11月にかけて行われた「SMAP’02“Drink! SMAP! Tour”」では、本編のラストにこの曲が披露されている。

ただ、この曲が世に大きく広まったのは翌2003年のことだ。きっかけは、1月に放送が開始した草彅剛主演のドラマ『僕の生きる道』(フジテレビ系)の主題歌に起用されたこと。レコード会社にはシングルカットの要望が多数寄せられ、それを受けてメンバーの歌唱パートを入れ替えた『世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)』が2003年3月5日にリリースされる。

反響は絶大だった。もちろん当時のSMAPはすでに日本を代表するトップアイドルだ。「夜空ノムコウ」や「らいおんハート」などのミリオンヒットもあった。しかしこの曲が日本社会に与えたインパクトは、芸能やエンタテインメントの枠を超えたものになった。

■「僕たちに今、何ができるでしょうか?」

背景にはイラク戦争の渦中にある当時の政治情勢があった。

この曲のテレビCMでは「もし、世界中のすべての人が、ありのままの自分を好きになれたら、戦争なんてなくなると思う」というメッセージをメンバー5人が読み上げた。イラク戦争開戦前夜の3月7日夜、SMAPがニュース番組『NEWS23』(TBS系)に出演した際には、アメリカや日本での反戦運動の模様が放映された後にこの曲が紹介され、キャスターの筑紫哲也は「これは反戦歌だと思う」と語った。

そして2003年の紅白歌合戦。SMAPは初の大トリをつとめた。その演出も、特別な意味合いを込めたものだった。

ステージに白いスーツ姿の5人が立つ。「皆さん、目を閉じて2003年を思い出してください」と木村拓哉が告げると、中居正広が「今年、世界中で沢山の尊い命が失われました」、稲垣吾郎が「また、目を覆いたくなるようなこともたくさんありました」と続ける。草彅剛が「僕たちに今、何ができるでしょうか?」と問い、香取慎吾は「みんながみんな全ての人に優しくなれたら、きっと幸せな未来がやってくると信じています」と語る。そして「世界に一つだけの花」を歌った。

ライブコンサートオンライン
写真=iStock.com/Standart
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Standart

■社会が揺らぐとき、歌にはどんな力があるのか

筆者は、この曲が直接的な“反戦歌”だとは考えていない。歌詞にも戦争にまつわる明示的な表現はないし、MONGOL800「小さな恋のうた」や一青窈「ハナミズキ」と違い、楽曲のモチーフの背景に戦争やテロリズムがあったわけでもない。

ただ、重要なのは、この曲が「そう受け止められた」ということだ。それはつまり、SMAPが単なるアイドルグループというよりも、もっと社会的な存在として見られたということを意味する。ポイントは「僕たちに今、何ができるでしょうか?」という問いかけだ。

社会が揺らぐとき、歌にはどんな力があるのか――。

平成を通して、たびたびそんな問いに向き合ってきたのがSMAPというグループだった。

たとえば1995年1月20日。阪神・淡路大震災の直後に出演した『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で、彼らは予定されていた新曲を変更し「がんばりましょう」を歌っている。たとえば2011年3月21日。東日本大震災後初の放送となる『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)では「いま僕たちに何ができるだろう」と題した緊急生放送を行い、被災者への思いを語り「がんばりましょう」と「世界に一つだけの花」を歌っている。その後も彼らは被災地への訪問や支援を続け、義援金の募集は同番組が終了するまで続いた。

■発売から13年、『TSUNAMI』を抜いて歴代1位に

2016年、グループの解散危機が報じられると、今度はファンが大きく動いた。誰に指示されるでもなく『世界に一つだけの花』のシングル購買運動が巻き起こった。結果、この年だけで40万枚を売り上げ、サザンオールスターズの『TSUNAMI』を抜いてCDシングルとしては歴代1位のセールスとなった。

SMAPは、平成という時代を最も象徴するグループだ。筆者はそう考えている。その理由は単なる人気やセールスの数字だけではない。1988年の結成から2016年の解散まで28年間、国民的グループとして、最も光のあたる場所で日本社会の変化に寄り添い続けたのが彼らだったのである。

■SMAPの初期構想は「新しいドリフターズ」だった

SMAPは、決して順風満帆の道を歩んできたグループではない。1991年9月9日リリースのデビュー曲「Can’t Stop!! -LOVING-」はオリコン週間ランキング初登場2位。少年隊や光GENJIなどデビューから首位を獲得しセンセーションを巻き起こしたジャニーズ事務所の先輩グループに比べると物足りない結果だ。その後のシングルも売上枚数は苦戦が続いた。

背景には『ザ・ベストテン』などの歌番組が軒並み終了していたことがあった。歌謡曲の時代が終わり、アイドルがゴールデンタイムに歌を披露する場はテレビから失われていた。デビュー曲の首位獲得を阻んだのはその年に13週連続1位を記録したCHAGE&ASKA「SAY YES」だ。ヒット曲の生まれる道筋が変わっていた。

過渡期の時代に船出をしたグループが活路を見出したのがお笑いやバラエティ番組の世界だった。

「SMAPを“平成のクレージーキャッツ”にしたい」

ジャニーズ事務所社長(当時)のジャニー喜多川は、彼らのデビュー当初からそんな意向を持っていた。新しいドリフターズにしたいと考えていた。歌だけでなく、コントもできるグループ。『シャボン玉ホリデー』のクレージーキャッツから『8時だョ!全員集合』のザ・ドリフターズへと受け継がれた、テレビバラエティの世界で「音楽×お笑い」のエンタテインメントを体現する国民的グループだ。

■これまでのアイドルになかった「男性ファン」も増やす

SMAPの「育ての親」として知られる担当マネージャー飯島三智の尽力もあり、彼らのスター性はドラマやバラエティ番組を通じて大きく花開いていった。木村拓哉や稲垣吾郎は俳優として「月9」ドラマで主演をつとめ、中居正広や香取慎吾や草彅剛は『笑っていいとも!』にレギュラー出演し、90年代半ばにはテレビで彼らの顔を見ない日はないほどの人気者になっていった。

そしてSMAPは数々の象徴的なヒット曲を世に送り出してきた。ブラックミュージックやクラブミュージックに通じる洗練されたサウンドを追求しつつ、歌詞では親しみやすくフランクな日本語の言葉が歌われるのがその特徴だ。

グループ初のオリコン1位を記録した1994年の「Hey Hey おおきに毎度あり」は、全編関西弁の歌詞で「いまだバブリーなやつらはなぁー 借金してもかっこつけよる!」と当時の世相を窺わせる一曲。同じく1994年の「がんばりましょう」は、低血圧で寝癖だらけの朝の描写から始まり「かっこわるい 毎日をがんばりましょう」と歌う曲。いわゆる応援ソングなのだが、熱く燃え上がる試合や勝負のシチュエーションではなく、ゆるく他愛ない日常の情景を描いていることに大きな意味がある。

女性ファンだけでなく、同年代の男性の共感を集め支持される存在になったのもそれ以前のアイドルグループとの違いだろう。初のミリオンヒットとなった「夜空ノムコウ」はその象徴だ。「あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ……」「あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ……」という歌詞の言葉は、長い不況に突入し低迷する社会の中で先行きの見えない日々を過ごしていた当時の若者たちの思いを代弁するような響きを持っていた。

マイクロフォンでコンサート
写真=iStock.com/Berezko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Berezko

■「世界に一つだけの花」はどうやって生まれたか

「世界に一つだけの花」のヒットは、そうしたSMAPの歩みの延長線上にあった。

NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one

あまりにも有名になったこのサビのフレーズも、SMAPが歌ったからこそ強いメッセージ性を持ったと言えるだろう。ナンバーワンになれなかったことから始まり、5人がそれぞれの場所で個性を活かして活躍することで人気者になっていった足跡。オートレーサーになる夢を叶えるために脱退した森且行の存在。彼らのキャラクターが歌詞とリンクした。

槇原敬之は、曲の着想に仏教の教えがあったことを語っている。

この曲は、お釈迦様が生まれてすぐに語ったとされる「天上天下唯我独尊」という言葉から着想を得ているんですよ。

僕は最初、このお釈迦様の話を聞いたとき、「俺がこの世で唯一無二の存在であり、ナンバーワンだ!」と言っていると思ったんです。でも、それは違うんだと。

「この宇宙に私の命はたった一つだけで、それはあなたも同じ」ということをお釈迦様は言いたかった。そう考えたら、「一つしか存在しないもの同士、尊敬の気持ちで人と人がつながりあっていけるだろう」という教えなんです。

『文藝春秋』2019年2月号に掲載されたいきものがかり・水野良樹との対談で、槇原はこう語っている。

■万人の共感を狙って作られた曲ではない

水野は同対談の中で「当時の世の中って、それまで追いつけ追い越せという競争社会だったのが、『いや、それは違うんじゃないか』と、多くの人が気付き始めた時期でした」と語っている。この一節が昭和から平成への価値観の変化を象徴し、それゆえに大衆性を持ち得たと位置づけている。

一方、槇原は「世界に一つだけの花」は万人の共感を狙って作られた曲ではなく、こめられているのはあくまで「個」としての一人ひとりに向けたメッセージだと言う。

歌が必要な人たちって、非常にパーソナルでディープなところにいたりするじゃないですか。『世界に一つだけの花』も、もともとはそういう人たちに向けた曲です。

槇原自身は明言していないが、おそらく、彼の言う「そういう人たち」には様々な立場のマイノリティも含まれているはずだ。

■「スーダラ節」に共通する“赦し”のメッセージ

筆者は、SMAPが本当の意味で「平成のクレージーキャッツ」になったのは、この曲が生まれてからだと考えている。

柴那典『平成のヒット曲』(新潮新書)
柴那典『平成のヒット曲』(新潮新書)

クレージーキャッツの代表曲に「スーダラ節」がある。爆発的なヒットで植木等を昭和の国民的スターに押し上げた一曲だ。

分っちゃいるけど やめられねぇ

陽気なメロディに乗せてこう歌う「スーダラ節」。生真面目な性格だった植木等は、当初、青島幸男が書いた歌詞を見て「こんな歌を歌っていいのだろうか」と悩んだという。浄土真宗の僧侶である父の植木徹誠に相談すると、「それが人間というものなんだ」と諭された。「分っちゃいるけどやめられない」は親鸞の教えに通じる真理だ、自信を持って歌いなさいと励まされたという。有名なエピソードだ。

そこから考えると、「スーダラ節」と「世界に一つだけの花」には、時代を超えた共通点を見出すことができる。仏教の教えと関連を持つこの2曲は、共に“赦し”の曲だ。「分っちゃいるけどやめられない」も「もともと特別なオンリーワン」も、どちらも人々の胸の内側に優しく入り込み、心の負荷を取り除く一節だ。だからこそ求められ、広まり、そして時代の象徴となった。

ヒット曲はときに、時代の中でそういう役割を果たす。

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柴 那典(しば・とものり)
音楽ジャーナリスト
1976年生まれ。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、ウェブ、モバイルなど各方面にて編集とライティングを手がける。『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『平成のヒット曲』(新潮新書)など著書多数。ブログ「日々の音色とことば」Twitter:@shiba710

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(音楽ジャーナリスト 柴 那典)

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