母熊は子熊に「人肉の味」を教えた…同じ地域で熊による獣害事件が続発した恐るべき理由
プレジデントオンライン / 2022年11月18日 15時15分
※本稿は、中山茂大『神々の復讐』(講談社)の一部を再編集したものです。
■畑仕事中に襲いかかった「親子の熊」
道東、とりわけ北見地方は大正期に大発展を遂げた。その背景には、鉄道基線の延伸と、第1次大戦による未曽有(みぞう)の好景気があった。
開拓民の大量流入は当然、ヒグマとの強い緊張関係を生み、北見地方各地で殺傷事件が頻発(ひんぱつ)するようになる。
大正15年、2件の殺害事件が立て続けに起こり、紋別(もんべつ)地方の開拓民を震え上がらせた。
紋別西部の上興部村の山林で、この年の春から、毎日のごとく、2頭の子熊を連れた大熊が農家の近くに現れていた。そのため、付近の農夫は仕事も手につかない有様であった。
5月20日午後4時頃、森下安太郎の妻キヨ(47)が畑仕事中、隣地の森林内から突然、子熊2頭を引き連れた大熊が現れ、キヨは救助を求めながら我が家をさして逃げた。
だが、遂(つい)に自宅から50間程のところで追いつめられ、森林内に引きずりこまれた。
一方、夫の安太郎は午後7時頃、妻の帰宅が遅いのを不審に思い探しに行くと、妻の着物や帯等が血に染まって落ちているので、大いに驚き、さっそく付近の人々を呼び集め、血潮の痕を辿(たど)ったが、暗闇となったので、ひとまず引き揚げた。
21日午前3時から部落民らが死体捜索に向かったところ、笹藪(ささやぶ)の中に「全身数十カ所の爪あと、右足の大半はくらい尽くされ惨状目も当てられず」という死体を発見した(『北海タイムス』大正15年5月23日)。
加害熊は3日目に、現場に舞い戻ってきたところを猟師が射殺したという。
■熊は悠然と太股にかじりついていた
しかし事件は、これでは終わらなかった。
同年秋、中渚滑(なかしょこつ)と紋別との里道で、中山儀市(35)、片川信吉(57)、丸山茂平(53)の3名が薪切りをしていると、午前10時頃に、ヒグマが中山の背後より一声高く飛びかかろうとしたので、中山は夢中で斧をふりあげ脳天目がけて一撃を加えたが致命傷には到(いた)らず、狂いに狂ったヒグマは中山の左腕に噛みつき、振り廻(まわ)したので、中山は悲鳴を上げて絶息した(『北海タイムス』大正15年9月15日より要約)。
片川らが人を頼んで現場に戻ると、「熊は悠然(ゆうぜん)として中山の太股にかぢりつき居る」のを認め、直ちに銃殺した。加害熊はオスで、食害が目的であったことは明らかである。
実は森下キヨ殺害事件以降、まったく同じ手口の「人妻食害事件」が、北見地方各地で2件も記録されているのである。
興味深いことに、昭和7年にも、同様の事件が斜里村で発生している。
■事件は「人喰い熊の子孫が引き起こした」?
ここで筆者は、「ある可能性」について考えてみたい。
3つの事件の要点をまとめてみよう。
・いずれもオホーツク沿岸の集落で発生した。
・いずれも農作業中の女性が狙われた。
・襲撃の目的が食害であることが明白である。
・発生日時が、大正15年(昭和元年)、昭和3年、昭和7年と、2年ないし4年のタイムラグがある。
3つの事件の加害熊が同一個体という可能性もなくはない。
だが、雄武村から斜里村まで直線距離で160キロあるので、別の個体の仕業であると考えるほうが自然だろう。
そこで筆者が考える「可能性」というのはこうである。
個々の事件は別の個体によって引き起こされた。つまり加害熊はそれぞれ別である。
しかし、その加害熊は、血縁関係にあったのではないか。
言い方をかえれば「人喰い熊の子孫たち」によって引き起こされたのではないか。
■かよわき少女は抵抗する術もなく…
ここでひとつの事例を挙げよう。
それは明治37年に下富良野村幾寅で起きた陰惨な事件である。
「少女大熊に攫(さら)わる 空知(そらち)郡下富良野村字幾寅(いくとら)、士別(しべつ)南2線西45番地の農業、笹井源之助は、夫婦の外に長女イチ(11)との3人暮らしにして平生、夫婦が農事に出かけた後は、子供に留守居をさせるのを常としていたが、去る21日の朝、例のごとく夫婦が出かけた後に、イチはひとり留守を守って家の表に遊んでいると、正午頃になって2、3頭の大熊が現われ出たので、イチは大いに驚いて、慌(あわ)てて隣へ走ろうとした刹那(せつな)、1頭の老熊がイチを目がけて飛びかかりざま、かよわき少女の抵抗する術もなく、そのまま近辺の草むら中に引きずっていって、牙をうち鳴らして餓腹(がふく)を満たした。
人足稀(ま)れなる山家の事とて、この大惨劇を知る人は絶えてなかったが、たそがれ頃、笹井夫婦が帰り来たり、娘がいないのに不審を起こして四辺を捜(さが)すと、あちこちに大きな熊の足跡いくつとなく、血の痕さえ混じって散乱していたので、にわかに騒ぎ出し、近隣の人々を集めて捜索してみると、自宅より30間ほどの道路に血痕の点々散在しており、さらに東方約30間の箇所に、イチの着衣袷(あわせ)1枚、茨(いばら)の小枝に引っかかっており、さらにそれより約6町ほど隔(へだ)たった森林中に、大熊のために噛み殺されたイチの死体を発見したが、その惨状は目も当てられぬ有様」で、「四肢および臀部(でんぶ)はもはや腐爛(ふらん)して白骨をあらわし臓腑その近辺にあふれ出で」(『北海タイムス』明治37年7月24日より要約)
■肉は一面にかじり取られ、さながらゆで蛸のごとく…
さらに、
あまりにも残酷な少女の最期であった。
「大惨劇を知る人は絶えてなかった」のに、なぜ細部まで詳述されているのかという疑問は残るが、ともあれ状況から判断して、この時の加害熊の目的がイチを捕食することにあったのは明らかであった。
■人間が「喰いもの」であると教えていた
筆者がこの事件を取り上げたのは、襲ったのが「2、3頭の大熊」であったという一節に注目したからである。
「大熊」とあるので、おそらく母熊と、2歳程度の子熊2頭であっただろう。
ヒグマは生後4カ月で母熊と同じ食物を採食するようになり、一定期間、母熊と行動をともにすることで、母熊の捕食したものをともに食べ、採食行動を覚えていくという(『羆の実像』)。
つまり、母熊は、イチの肉体を通して、人間が「喰いもの」であることを子熊に教えたのではないか。
イチがいとも簡単に捕らえられ、藪に引きずり込まれる一部始終を、2頭の子熊は見ていただろう。
そして人間が、鹿や馬などよりも、はるかに簡単に捕らえられる弱い生物だということを学び、同時に人肉の味わいも覚えたに違いない。
■峠手前の山道に人夫の足が…
筆者がそのように考えるのには理由がある。
それは、イチが喰われた事件以降、殺害現場である下富良野幾寅周辺で、長期にわたって人喰い熊事件が確認されているからである。
たとえば明治41年、幾寅から北へほど近い富良野町内で、60歳ほどの行脚(あんぎゃ)僧の凍死体が発見されたが、腹部、大腿部が喰われ内臓が露出していた(『小樽新聞』明治41年4月11日)。
また明治42年には、幾寅の東、狩勝峠(かりかちとうげ)手前の山道に、人夫の足が転がっているのが発見された。巡査が取り調べたところ、
という状況で、ヒグマに喰われたことは明らかであった。
さらにまた大正4年には、馬小屋で老婆が引き裂かれるという凄惨(せいさん)な事件が起きている。
これらの事件は、いずれも幾寅から約20キロ圏内で発生しているのである。
■「人肉を喰った経験」が受け継がれている
同じ地域で長期にわたり、人喰い熊事件が散発するという事例は他にもある。
筆者が作成した「人喰い熊マップ」を俯瞰(ふかん)してみると、ピンポイントで人喰い熊事件が続発する特異な地域があることがわかってきた。
たとえば根室市別当賀、厚岸町別寒辺牛、白糠町尺別周辺、大樹町、広尾町周辺、瀬棚町などである。これらの中には、明治・大正・昭和と数十年にわたって散発している地域もある。
その理由を考えてみれば、人肉を喰った経験が、数世代にわたって受け継がれている以外に考えようがないのではないか。
人喰い熊の出現確率は0.05%程度に過ぎないのである。
思い起こしていただきたい。大正15年に、森下キヨを喰い殺した加害熊は「親子熊」であった。
この事件で人肉の味を覚えた子熊が、その後成獣となり、同じ手口、すなわち農作業中の人間を襲うようになったとは考えられないだろうか。
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ノンフィクション作家・人力社代表
昭和44年、北海道深川市生まれ。日本文藝家協会会員。上智大学在学中、探検部に所属し世界各地を放浪。出版社勤務を経て独立。東京都奥多摩町にて、築100年の古民家をリノベして暮らす一方、千葉県大多喜町に、すべてDIYで建てたキャンプ場「しげキャン」をオープン。主な著書に『ロバと歩いた南米・アンデス紀行』(双葉社)、『ハビビな人々』(文藝春秋)、『笑って! 古民家再生』(山と溪谷社)など。北海道の釣り雑誌『North Angler’s』(つり人社)にて「ヒグマ110番」連載中。
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(ノンフィクション作家・人力社代表 中山 茂大)
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