10人弱の部員がたった2人に…それでも「顔認証で世界第1位」を達成した研究者が守り通したたった一つのこと
プレジデントオンライン / 2023年6月8日 13時15分
■未経験者が顔認証技術に携わるまで
NECは半世紀にわたり、さまざまな生体認証技術の研究を積み重ね、実用化してきました。とりわけ指紋認証に関しては世界的に高く評価されていました。顔認証の研究に力を入れることになったきっかけは、2001年に発生した米国の同時多発テロです。出入国管理の厳格化にともない、パスポートの顔写真との照合など本人確認で需要が高まるだろうと考えたのです。
私が顔認証の部署に配属されたのは2002年、32歳のときでした。大学院で理論物理を研究した後、NECに入社してからは視覚から脳への情報伝達についての数学的な研究に従事していましたので、顔認証はもちろん画像処理でも門外漢です。しかも、研究者が30歳を過ぎて研究テーマを大きく変えるのは明らかに不利なこと。NECの研究職を続けるならこれが最後のテーマだと考えて、悔いがないようにとことん頑張ろうと決意しました。
そのうち、海外のシステムに採用されるようになるなど、手応えを感じられる成果につながります。かつて顔認証は世界的に精度が低く「三文判」と揶揄されるほどでしたが、改善を繰り返した結果、大幅に認証精度を高められたのです。
■10人弱いたメンバーはリーダーと新人の2人だけに
ところが、顔認証の研究を取り巻く状況は悪化していきます。10人弱だったメンバーは徐々に異動で離れていき、とうとう私と新人の2人だけに。その理由をはっきりと聞かされていませんが、なかなか大きな事業に結びつかなかったことや、世界の研究者たちの間で諦めムードが漂い始めていたからではないかと推察しています。例えば指紋認証と組み合わせるなど、顔認証は補助的にしか使えないのではないか、という目で見られるようになっており、参加していた研究会もだんだん人が減っていって寂しさを覚えたものです。
転機が訪れたのは2007年、国内外のNECで顔認証に携わる関係者が一堂に会した際、NIST(米国国立標準技術研究所)が主催するベンチマークに参加してはどうかと声を掛けられました。とても権威があるため、高い評価を得られれば世界中の関係者にNECの名が知れわたり、マーケティング上も有利です。また、NISTのベンチマークが優れていれば、各国の政府調達などでも有利に働く傾向がありました。
しかし、世界を目指すには心もとない体制です。私は顔認証に関わってまだ数年で、もう1人は学生時代に画像処理の経験があるとはいえ新人。自信はありませんでした。一方で、技術的に優位性を示せる状態ではないものの、当時開発していたアルゴリズムを突き詰めれば勝負できそうな期待感もありました。それに、メンバーが多ければ有利だとも限らない。このまま黙って事業縮小を待つより、世界に出ようと決意したのです。
■わずかでも性能を上げることだけに集中した
それからの2年間は必死で、新人の部下と競い合って改良を重ねる毎日でした。お互いに自分の考案したアルゴリズムを発表してから、翌週に成果を披露し合う。
わずかでも性能が向上していくと、苦しくてもモチベーションを保てるものです。例えば大学受験の勉強中にすべきなのは、不合格の想像ではなく成績を少しでも上げることですよね。顔認証も性能を上げることだけに集中しました。負けることを考えても脳みそがもったいないですし、脳みそを増やすことはできないのだから、今ある性能を使い切るだけです。
こうして研究を続けた結果、性能は明らかに上がっていき、最初に参加した2010年のベンチマークで世界第1位の成績を収めました。このときのエラー率は0.3%で、他社は第2位でも2%台でしたからケタ違いの精度です。
■あらゆる人種の顔を1人100~200枚撮影
これだけの差がついたのは私たちの考え出したアルゴリズムが優れていたためですが、研究室の中にいただけでは生み出せなかったはずです。認識精度を高めるためには膨大な顔写真が必要ですので、芸能事務所の協力を得て都内在住のほとんどと言っていいぐらいの外国人に集まってもらい、さまざまな人種の顔のデータを集めました。表情を変えてもらったり眼鏡を掛けてもらったりしながら100枚から200枚撮影するので、1人当たり1時間ほどかかります。その間、女性が連れてきた赤ちゃんを私が抱いてあやしていたこともあります。
そんな泥くさいと思われるような手法で、体当たりで顔画像を蓄積していくうちに、より前向きになれたことを覚えています。
■「どこかにお金ないですか」
2人で研究を進めたと説明しましたが、研究の過程ではどうしても人数が必要なこともあり、「すみません、1年だけレンタルさせてください」と頼んでレンタル部下を増員した時期もありました。そんなときは必死に頼むと、案外、協力してくれるものです。資金が足りなかったときには、「すみません、どこかにお金ないですか」と言って回ると、「少しだけど、使ってもいいよ」と自部門の予算の一部を提供してくれる人が現れました。なりふり構わず頂点に向かって突き進む姿を見守ってくれていたのでしょう。今でもその人たちには本当に感謝しています。
世界という大きな目標があると、細かいことを気にしなくなるものです。お金の無心だって、恥ずかしくない。それよりも負けるほうが恥ずかしい。必要のないプレッシャーも感じることなく、いかに自分の能力をフルに使い切れるかに意識が向くようになりました。
振り返ってみれば、最初に世界を目指すという目標を立てることが重要だったのでしょう。高校では山岳部、大学ではワンダーフォーゲル部に所属していたので、全体を俯瞰(ふかん)してその場の対処を考えたり、同じ目的を達成するために仲間と力を合わせたりすることを学べたおかげかもしれません。
■約20人の役員を説得して回った半年間
NISTのベンチマークにはその後も挑戦を続け、これまでに6回のNo.1を獲得していますが、その間には事業として成り立たせる活動も並行して進めていきました。私の役割は技術をわかりやすく伝えることだと思ったので、国内外を精力的に回りましたし『顔認証の教科書』も執筆しました。
また、事業化に必要な全社横断の取り組みを進める「顔認証技術開発センター」を立ち上げました。ただ、当時はまだ社内でもビジネスとして有力視されていなかったこともあり、なかなか思うように進みませんでした。そこで半年ほどで約20名の執行役員を説得して回ったのですが、中にはとても理解があり、具体的に説明のしかたやキーパーソンは誰なのかといったアドバイスをくれる方もいました。世界の見る目を変えてから、社内の見る目を変えていったわけです。
それから忘れられないのが、社長賞の表彰式です。当時の社長だった遠藤信博さん(現・特別顧問)に対して、思い切って「いい技術を作ったので、売り込んでください」と言ったところ、「俺が売り込んでやる」と応えてくださって海外市場への販売に弾みがつきました。
■紫綬褒章の先に目指す次の舞台
今回は個人で紫綬褒章を受章しましたが、顔認証に関わるみんなが受章したのだと受け止めています。
朝のニュースで受章が報じられてすぐ、遠藤さんからお祝いのメールが届きました。一介の社員に過ぎない私に、しかも友人よりも先にメッセージが届いたことに驚くとともに、そんな元トップがいるなんて、NECはすごくいい会社だなと改めて思いました。
受章は今後の活動の励みでもあります。顔認証で少しは世の中を変えてきた自負がありますし、どのようにすれば変えられるかもわかりましたので、日本人でもAIで世界の舞台に立って勝てること、そしてその方法を伝えたいと思っています。また、ヘルスケア領域など社会を変えるための新たな基礎技術開発も進めていきたい。
スイスの国際経営開発研究所が発表するデジタル競争力ランキングで、日本は低位に沈んでいますが、私はこれを「伸びる余地が大きい」のだと捉えています。特にビッグデータの活用が進んでいないと指摘されていますが、苦手科目がわかれば対策も取りやすいものです。AIを味方につけるスキルを養っていけば、一気に逆転できるタイミングがくると確信しています。
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NECフェロー
1997年NEC入社。脳視覚情報処理の研究開発に従事したのち、2002年に顔認証技術の研究開発を開始。世界70カ国以上での生体認証製品の事業化に貢献するとともに、NIST(米国国立標準技術研究所)の顔認証ベンチマークテストで世界No.1評価を6回獲得。著書に『顔認証の教科書 明日のビジネスを創る最先端AIの世界』(プレジデント社)がある。
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(NECフェロー 今岡 仁 構成=加藤学宏)
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