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マイナカードはなぜここまで嫌われるのか…朝日新聞も誤解している「国民総背番号制」との根本的な違い

プレジデントオンライン / 2023年7月3日 15時15分

「マイナポイント」第2弾をPRする金子恭之総務相(左)と広報キャラクター「マイナちゃん」=2022年6月30日、東京・霞が関の同省 - 写真=時事通信フォト

マイナンバーカードに関するトラブルをめぐり、政府への批判が強まっている。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「かつて個人情報が知られるのは、あくまで近所に住む顔の見える範囲に限られていた。マイナカードが嫌われるのは、どこの誰が、自分の情報を知っているのか、あるいは知らないのかを把握できないからだろう」という――。

■マイナカード問題をめぐる世論の反発

マイナカードをめぐる問題は、岸田内閣の支持率を急落させた。

単なる事務手続きのミスであると、高をくくっていた政府にとって、この問題に対する世論の反発は想定外だろう。

2007年に沸騰した「消えた年金問題」を彷彿とさせるが、いったい、なぜ、世論はこの問題にここまで反発するのだろうか。

■ここまで広まった理由は「マイナポイント」

そもそも、「マイナカード」の「マイナ」とは何か。

「マイナンバー」を略したものだが、英語としてはもちろん、日本語としても、一度聞いただけでは耳に残らない。

それなのに、ここまで広まったのは、ひとり最大2万円分の「マイナポイント」がもらえるからだろう。

おそらく世界最大のポイント大国である日本でも、ここまで大盤振る舞いな「ポイント」は空前絶後と言ってよい。足元を見られた、とか、お金に目がくらんだ、と言われても、背に腹は代えられない。

かくいう私もまた、いそいそと家族3人分のポイントを申請し、公金受取口座は、3人とも別々にした。

確定申告をはじめ、マイナカードは便利だと感じる上、健康保険証としての利用も、これまでの紙ベースに比べれば、はるかにマシではないかと思う。そんな私でも、「マイナカード」という略し方は、しっくりこない。

■「マイナカード」を英語で言うとどうなるのか…

たとえば、「あなたのマイナンバーカード」を英語で言うと、どうなるのか? 「Your My Number Card」となるのだろうか?

総務省のサイトでは、日本以外の国籍の方むけに「Individual Number Card」と紹介している(*1)

直訳すれば「個人番号カード」である。「マイナ」の音感がかもし出す、「まいど」と似た気楽なニュアンスはない。いかにも行政のことばらしく、「個人」を見分けるため、という目的に沿って、冷たいというか淡々としている。

日本語のほうを「マイナンバーカード」という、いかにも和製英語っぽい造語ではなく、英語と同じく「個人番号カード」にしていれば、「マイナ」のような間抜けな語感は必要なかったにちがいない。

なぜ、わざわざ「マイナンバー」を使ったのだろうか?

そこには、50年以上におよぶ歴史がある。

■半世紀以上前の「国民総背番号制」への反発

話は、いまから半世紀以上前、佐藤栄作内閣の後期、1968年にさかのぼる。個人の所得を正確につかむ、特に、高額所得者から税金を集めようと、通称「国民総背番号制」の導入を試みる。

アムステルダム・スキポール空港での佐藤栄作氏
1963年10月11日、アムステルダム・スキポール空港での佐藤栄作氏(写真=Jack de Nijs for Anefo/CC-BY-SA-3.0-NL/Wikimedia Commons)

当時は、クロヨン(9.6.4)、トーゴーサンピン(10.5.3.1)などと言われていたからである。この言い方は、サラリーマン(給与所得者)・事業所得者・農業所得者、それぞれの所得捕捉率、つまり、税務署がどのくらい稼ぎをつかめているかの割合を示していた。

それぞれ9割対6割対4割、ないしは10割対5割対3割、そして政治家や宗教家は1割という意味であり、佐藤内閣としては身内に厳しくするための制度だった。

にもかかわらず、身内以外の世論から猛烈な反対の嵐に直面する。

■奇妙な和製英語に「恐れ」がこめられている

当時を代表する雑誌「朝日ジャーナル」は、1972年1月28日号で「個を否定する国民総背番号制」という大特集を組む。著名な評論家だった北沢方邦による論文タイトル「高度管理社会への里程標」にあきらかなように、国が一人ひとりを管理する、それに対する強い反感が広く共有されていた。

「ピン」、つまり、1割しか稼ぎを把握されていない政治家たちは、こうした反発を利用し、断念に追い込んだのである。

政府は1980年に「グリーンカード制度」と看板をかけかえて、制度化を目指したものの、このときも、国が個人の情報を管理することへの懸念の声が高まり、実現しなかった。

これほどまでに「国民総背番号制」は嫌われてきた。英語では「個人番号」と言うしかない仕組みを、日本語というかカタカナで誤魔化して「マイナンバー」と言わなければ、今回もまた導入できない、そんな恐れが、この奇妙な和製英語にこめられている。

2016年1月にはじまった「マイナンバー」は、50年近い日本政府の悲願だったと言えるだろう。

■「ずるい」と批判する人たち

今回もまた「国民総背番号制」を嫌ったのと同じ理由で、「マイナカード」は憎まれているのだろうか。

微妙な違いがある。

51年も前の「朝日ジャーナル」と同じく、「個を否定する」とか、「高度管理社会」といった紋切り型で批判している人たちも少なくない。制度そのものが許せない、というわけである。

政府の「ずるさ」への非難が、これまでとの違いとして挙げられる。

朝日新聞の看板コラム「天声人語」は、6月25日付で、「カードの取得はあいかわらず任意とされている」にもかかわらず、健康保険証としての利用や、母子健康手帳や図書館カードなどとの一体化にむけた方針が示され「外堀をどんどん埋めておいて、でもカードの取得は自分で選んだ」とするのは「じつにずるい」と指弾する(*2)

朝日新聞東京本社
朝日新聞東京本社(写真=PRiMENON/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons)

「天声人語」が、「マイナカード」が広まる最も大きな要因となったはずの「マイナポイント」にひとことも触れない。それこそ「ずるい」のではないか。

さらに「任意」、つまり「自分で選んだ」かたちを保ったのは、新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種と重なる。「天声人語」は、どこまで「任意接種」を「ずるい」と糾弾していたのだろうか。

当該の6月25日付「天声人語」の「マイナカード」を、そのまま「新型コロナウイルス感染症ワクチン」に置き換えても、じゅうぶん意味は通じる、と考える人もいるにちがいない。

■「努力義務」のワクチンとの共通点

新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種は、感染症法上の「努力義務」とされた。マイナカードについては、「天声人語」が注目するように、政府の「デジタル社会重点計画」のなかで、行政手続きのオンライン化そのものが「自己目的化しないように」とくぎを刺されている。

マイナカードとワクチンは、たしかに違う。

いっぽうで、すでに感染症法上の扱いが、2類から5類に変わってもなお、「第9波が始まった可能性」などと危機感を煽り、任意の「ワクチン接種を検討してほしい」と、尾身茂氏が呼びかける(*3)

尾身氏が善意なのか、それとも医療界の利権を代弁しているのかは、わからない。

ワクチン接種が医療機関をはじめとする医師たちの利益につながると言われているのとは逆に、「マイナカード」の健康保険証としての利用をめぐっては、医師の団体「全国保険医団体連合会」にとっては不都合なようである。

同会は、「このままでは国民の命や健康、個人情報、財産を大きく損なう恐れがある」として、マイナ保険証の運用停止、ならびに、来年秋に予定されている個別の保険証廃止方針の撤回、この2点を強く主張している(*4)

ワクチン接種もマイナ保険証反対も、ともに任意でありながら「国民の命」を盾にしている点で、医療界の考え方は共通しているのではないか。

■背景にある「個人を知られること」への恐怖感

命を人質にとられているから、マイナカードに反発するのか、と言えば、それだけではない、というか、そうではないだろう。

すくなくともマイナ保険証に関しては、医師たちの主張は、刺し身のツマ程度の賑やかしであって、岸田内閣の支持率を急低下させるほどの影響力はない。

では、なぜ、ここまでマイナカードは耳目を集めるのか。

その理由は、私たちの個人情報をめぐる感覚にある。

最近、地方自治体を中心に職員の名札のフルネーム表記をやめる例が見られる。佐賀県佐賀市では、ネットで検索すれば「個人の住所まで大体分かる」としてストーカー被害を懸念する意見が出たからでもあるという(*5)

地方自治体の規模によっては、住所どころか、車のナンバー、家族構成や交友関係まで、お互いがお互いのことをすみずみまで知り尽くしあっているところも少なくないのではないか。

にもかかわらず、あるいは、だからこそ、私たちは、「個人を知られること」への警戒感を強めている。

■かつての「中間集団」は崩れ去った

向こう三軒両隣、は死語になって久しい。

「隣近所」はもちろん、「世間様」のように外面を重くみる態度は、いかにも昭和な感じであって、もはや私たちの生活には馴染まない。

かつては、町内のどこの誰が、どんな生活をしているのかは、暗黙の了解どころか、みんなが知っていた。いまや、町内会や自治会といった、社会学の用語でいう「中間集団」は、ほぼ崩れさり、「個人情報」は手厚く守られているし、守られなければならなくなった。

いまさらノスタルジーに浸って古き良き昭和の生活を取り戻そう、などとは言えないし、まったく現実的ではない。

むかしも「個人情報」が知られるのは嫌だったかもしれないが、あくまでも顔の見える範囲に限られていた。「個人を知られること」が、誰なのかを把握できていた。

「マイナカード」が嫌われるのは、「国民総背番号制」という亡霊が復活したからではない。そうではなく、「個人を知られること」が、とめどなく広まっていき、どこの誰が、自分の情報を知っているのか、あるいは知らないのかをつかめないから、である。

不特定多数の人たちに、知られているのか/知られていないのか、すらわからず、ただ「便利だから」とか、「ポイントがもらえるから」といった、目先の利益に引きずられて、つい「マイナカード」を取得し、健康保険証との一体化も、公金受取口座の指定もしてしまった、その迂闊さに、後悔しているからではないか。

この問題は、デジタル庁を担当する河野太郎大臣を交代させるといった、小手先の対応では済まないだろう。

それほどまでに、私たちの「個人を知られること」への嫌悪感が高まっているし、それは一朝一夕には解決策を見いだせない、根深い、日本人らしさそのものの変化だからである。

(*1)「日本での生活に便利! マイナンバーカードを作りましょう」
(*2)(天声人語)マイナカードと保険証
(*3)新型コロナ 「第9波が始まっている可能性」政府分科会 尾身会長 NHKニュース、2023年6月26日12時20分配信
(*4)「10割請求、776件以上 マイナ保険証『運用停止を』―保険医連合会」 時事ドットコム、2023年6月19日16時19分配信
(*5)「名札」フルネーム表記やめます 佐賀市職員、名字のみに変更 個人の行動詮索など発生 職員の安全に配慮
2023年4月20日8時16分配信

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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