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なぜ今ボートレースが活況なのか…バブル崩壊で低迷していた「公営競技」を復活させた"意外な立役者"

プレジデントオンライン / 2023年12月28日 13時15分

2023年11月26日 ボートレース チャレンジカップ 12R 2周2M 優勝した1番片岡雅裕 場所=三国 - 写真=東京スポーツ/アフロ

仕事の視野を広げるには読書が一番だ。書籍のハイライトを3000字で紹介するサービス「SERENDIP」から、プレジデントオンライン向けの特選記事を紹介しよう。今回取り上げるのは古林英一著『公営競技史 競馬・競輪・オートレース・ボートレース』(角川新書)――。

■イントロダクション

競馬・競輪・オートレース・ボートレースといった娯楽には縁がないと思っている人も多いだろう。しかし実は、これらは「公営競技」で、売上は社会の様々な分野の補助事業に支出されており、誰にでも関係がある話だ。

ではなぜ、日本では公営のギャンブルが定着しているのだろうか。

本書は、競馬のほか、世界でも稀有な競輪・オートレース・ボートレースという計4つの日本の「公営競技」の歴史を前史にまでさかのぼり、誕生の理由、高度経済成長期の発展、バブル経済崩壊後の縮小、直近の活況に至るまで詳細にたどっている。

戦後の混乱期に、産業振興に資するとして始まった公営競技は、国が豊かになるとともに役割を変化させ、大衆娯楽や地域の雇用を生み出すものとして受け入れられてきた。さらに、IT企業の参入によって、直近の売上額はバブル期に匹敵、あるいは上回るほどにまで拡大しているという。

著者は、北海学園大学経済学部地域経済学科教授。博士(農学)。専門は農業経済学、環境経済論、公営競技論。1999年より公営競技の研究を開始し、2001~03年に北海道地方競馬運営委員会委員、2022年より、競輪とオートレースを統括する公益財団法人JKA評議員。

序.活況に沸く公営競技界
1.夜明け前――競馬、自転車、オートバイの誕生 1862~1945年
2.公営競技の誕生――戦後の混沌で 1945~55年
3.「戦後」からの脱却――騒擾事件と存廃問題 1955~62年
4.高度成長期の膨張と桎梏――「ギャンブル公害」の時代 1962~74年
5.低成長からバブルへ――「公害」からの脱却 1974~91年
6.バブル崩壊後の縮小と拡張――売上減から過去最大の活況へ 1991年~
終.公営競技の明日

■「地方財政の改善」または「健全化」のために許されている

公営競技とは、地方自治体などが主催する競馬・競輪・オートレース・ボートレースの4競技のことだ。競馬は世界各地で開催されているが、競輪・オートレース・ボートレースは日本で独自に始められたものだ。韓国で競輪とボートレース(競艇)が開始されるまでは世界に類をみないものだった。公営競技は馬券・車券・舟券の売上で成り立っている。2021年度のこれらの売上額の合計はおよそ7兆5000億円。

馬券・車券・舟券の購入と払戻という行為は、金品を賭けて勝負を競うギャンブル(賭博)だ。では、なぜ公営で賭博が行われているのかといえば、刑法の例外としてこれらが許されているからだ。それぞれ競技にはその根拠法がある。(*それらには)いろいろな目的が記されているが、「地方財政の改善」または「健全化」という文言はすべてに共通している。

公営競技の根拠法は、第二次世界大戦終結から間もない終戦直後の混乱期に相次いでつくられている。公営競技は、「戦後」という社会・経済のきわめて特殊な状況で誕生する。当時、馬はあらゆる産業で活躍していたし、自転車も重要な交通・運搬機器だった。オートバイは急速に成長する新興産業だった。当時の社会事情からすれば(*根拠法にある)産業振興に資するための公営競技というのは十分なリアリティをもっていた。

■バブル崩壊で公営競技の売上は低落、撤退も

1960年、池田勇人内閣が誕生する。池田が提起した所得倍増政策は5年後に達成された。国民の物的生活が豊かになり、可処分所得の増大でレジャー需要が高まっていった。公営競技はレジャーのひとつとして急成長を遂げる。だが、高度経済成長の時代を迎え、公営競技の存在根拠だった戦後復興は時代にそぐわないものとなり、改めてその存在意義が問われることとなる。

池田首相は総理大臣の諮問機関として「公営競技調査会」を61年2月に設け、(*池田の二代後の大蔵次官を務めた)長沼弘毅を会長とする。61年7月に提出された長沼答申では、公営競技は「関連産業の助成、社会福祉事業、スポーツの新興、地方団体の財政維持等に役立ち、また大衆娯楽として果している役割も無視することはできない」ので「現行公営競技の存続を認め、少なくとも現状以上にこれを奨励しないことを基本的態度とし、その弊害を出来うる限り除去する方策を考慮した」と記されている。

その後、1990年に対前年度比名目8.6%と高い伸び率を示した国内総生産(GDP)は、93年には名目値でもマイナス0.1%のマイナス成長となってしまう。バブル経済が崩壊した。「わが世の春」を謳歌(おうか)していた公営競技も売上が長期にわたり低落し、21世紀になると公営競技から撤退する主催者(*地方競馬を主催する地方自治体)・施行者(*競馬以外の公営競技を主催する地方自治体)が続出する。

金融のグラフ
写真=iStock.com/Ca-ssis
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ca-ssis

■官から民へ「包括民間委託」が始まる

86年には民活法(民間事業者の能力の活用による特定施設の整備の促進に関する臨時措置法)が施行されている。地方行政改革の「官から民へ」の方針のひとつが「包括民間委託」だ。

競輪・オートレース・ボートレースでは競走実施は施行者が競走会(競輪は競技会)に委託する。それ以外の様々な業務が施行者の仕事だった。競馬では、審判、番組編成、馬場管理、出馬投票(出走意思の確認作業)といった競走実務、調教師や騎手それに馬主などへの対応など、競馬に関わる様々な業務がすべて主催者の仕事となる。包括委託とは民間業者がこうした様々な業務を一括して請け負うことだ。主催者・施行者が雇用していた従事員は、包括民間委託後、事業を受託した民間企業の雇用となる。

公営競技場や場外発売所で働く人たちで組織する自治労公営競技評議会は、「包括委託は競技場廃止への中二階」と表現している。確かにそういう面があることも疑えない事実だが、包括民間委託によって廃止を免れ、その後売上が回復基調に転じたことで生き延びた競技場は少なくない。

■ソフトバンクと楽天が参入した

1995年11月にウインドウズ95日本語版が発売され、本格的なインターネット社会が日本に到来する。ISDN回線の普及やPCの性能向上、加えて携帯電話も普及し、自宅以外からの(*各競技の)投票も可能となった。98年4月、函館競輪のホームページが開設される。7月には初のナイター開催が函館競輪場で実施され、ホームページでオッズ(*投票券が的中した場合の概算払戻率)の表示やレースの動画配信が開始される。

04年の競馬法改正では馬券発売を私人に委託することが認められた。競馬法に続き、自転車競技法をはじめとする他の公営競技の根拠法も同様の改正がなされている。この改正で時代を代表するIT大手2社が公営競技に参入する。ひとつはソフトバンク、もうひとつが楽天だ。

NAR(地方競馬全国協会)の子会社日本レーシングサービス(NRS)が全国共同在宅投票センタ(ARS方式電話投票)の運用を1998年から開始し、さらにPAT方式(*ひとつのIPアドレスを複数のコンピュータで共有する技術)による投票システム「D-net」をスタートさせていた。

競走馬のシルエット
写真=iStock.com/Deejpilot
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Deejpilot

■公営競技の担い手はIT企業へ

ソフトバンクの子会社がNRSからD-netの譲渡を受け、2006年4月、地方競馬総合サービスサイト「オッズパーク競馬」がオープンする。オッズパークは、オッズ、投票、レース動画に加え、様々なレース情報を会員に提供するサービスを開始した。いわゆる民間ポータルサイトの誕生だ。楽天グループは06年8月に競馬モールを運営会社とする「楽天競馬」を発足させ、07年から馬券の発売を開始する。オッズパークや楽天競馬は当初からインターネットバンキングを活用することで利便性を高めたことも見逃せない。

オッズパークと楽天競馬はともに04年競馬法改正で解禁された重勝式馬券も発売している。重勝式は複数のレースの一着を全て当てる賭け式で、的中者がいない場合のキャリーオーバーが採用されている。そのため理論上は的中配当が10億円を超えることも起こりうる。的中者に支払う金額が巨額になることも起こりうるため、現金での発売・払戻をおこなう本場や場外発売所では実施しにくい賭け式だった。

08年にはチャリ・ロトが、ソフトバンクグループや楽天グループに先駆け、インターネットで競輪の重勝式車券「チャリロト」の発売を開始している。同社は19年にミクシィ(現・MIXI)の傘下にはいる。10年には日本トーターがGamboo(ギャンブー)という情報サイトをオープンさせ、12年からは車券の発売を開始する。また、サイバーエージェントも18年にWinTicketを設立し「ウィンチケット」の名称で競輪・オートレースの車券の発売を開始している。いずれもIT時代を代表する企業だ。こうした企業が今や公営競技の担い手になっている。

■2011年頃からは売上上昇、ボートレースの伸びが著しい

賭け式も拡充した。11年には重勝式馬券のWIN5が加わり8種類となる。WIN5はインターネット発売のみだ。こうした多様な賭け式の発売はトータリゼータシステム(*賭け金の集計や払戻金の計算・表示をする機械設備)と発券機器の開発とインターネットの発達が無くしてはあり得なかった。

古林英一『公営競技史 競馬・競輪・オートレース・ボートレース』(角川新書)
古林英一『公営競技史 競馬・競輪・オートレース・ボートレース』(角川新書)

バブル崩壊後、長期にわたり低落を続けていた公営競技の売上は2011年頃からようやく上昇に転じた。基本的には景気回復の影響とみるべきだが、売上回復の度合いは各競技一律ではない。特にボートレースの伸びが著しい。21年度の売上額は2兆3926億円と、1991年度の2兆2137億円を上回り過去最高の売上となっている。ボートレースがもっともとっつきやすい競技だということは確かにあろうが、他の競技に比べると戦略的に広報活動をおこなってきた成果も大きいだろう。

そもそもボートレースは他の公営競技に比べて開催日数が多い。中央競馬とボートレースは縮小期でも開催日数を減らさなかった。91年度と2010年度の開催日数を比較すると、地方競馬、競輪、オートレースはいずれも約4割減っている。競技場の廃止や選手数の減少は、製造業でいえば工場や熟練工の削減にあたる。景気が良くなったからといってすぐに増やせるものではない。あくまで結果論だが、「工場」と「熟練工」を維持したボートレースの成長は当然だろう。

※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの

■コメントby SERENDIP

公営競技がこれまで、観客のマナーの悪さや騒音などの問題もあってつねに社会から批判の声を浴びながらも続けられ、発展してきた背景には、民間の力を活用し、テクノロジーや新たなファン層の獲得など努力を続けてきたことがあるようだ。スマートフォンを片手に若年層でも気軽に投票を楽しめる環境を整えた。ただし、今後も公営競技を持続させていこうとすれば、根拠法に掲げられている競技をおこなう理由にとどまらない新たな存在意義(パーパス)をより明確にし、地域住民や顧客など関係者からの信頼を築いていくことが求められるのではないだろうか。

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