1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「33回刺した」16歳の女性死刑囚なぜ死刑を免れることができたのか? 米

Rolling Stone Japan / 2023年4月12日 6時45分

LAKE COUNTY POLICE DEPARTMENT

16歳でアメリカ史上最年少の死刑囚になったポーラ・クーパーの物語を描いたアレックス・マー氏の新著『Seventy Times Seven:A True Story of Murder and Mercy(原題)』が2023年3月28日に出版された。

【写真を見る】妊婦を殺害し、胎児を連れ去った死刑囚

1985年春、インディアナ州ゲーリーで、彼女は友人3人と午後の授業をサボり、おしゃべりに興じながら、聖書を教える老女ルース・ペルケさん宅に強盗目的で向かった。少女たちが家を後にした時、ペルケさんはポーラに33回刺されて死んでいた。暴力的な犯罪はインディアナ州を震撼させ、死刑判決が言い渡された時には抗議はまったく上がらず――高校1年生のポーラは死刑囚になった。

だが被害者の孫にあたるビルさんが家族や周囲の反対を押し切ってポーラを赦すと、流れが変わり始めた。ビルさんのほうからポーラに連絡を取った――人種差別の歴史が残る土地で、40歳白人の鉄鋼作業員と10代の黒人家出少女の友情が始まり、恩赦を求める運動が起きた。中西部の鉄鋼の町で起きた悲劇はアメリカ国内外、果てはバチカンにまで広がり、ヨーロッパ各紙は一面でこのニュースを伝え、数百万人がポーラを支援する嘆願書に署名した。同時にアメリカ国内では強力な一派が形成されつつあった。かれらの目標はただひとつ、18歳未満の少年少女への死刑禁止だ。

ビルさんとポーラが友情を育み、他にも凶悪犯罪を許す人々がいることが判明する中、2人の物語は「共感によって人はどこまで思い切った行動をとれるのか」と問いかける。死刑執行を待つ間、ポーラの運命は避けて通れない問いを投げかける。正義を叫ぶ時、私たちは具体的に何を求めているのか? 赦しは失望と諦観の末の選択なのか、それとも勇気ある行為なのか?

以下は本書の第1章からの抜粋だ。波乱に満ちたポーラの幼少時代、姉ロンダとの親密な関係(ロンダは妹を「一生の友達」と呼んだ)、そして大勢の人生を変えた1985年春の午後の惨劇が綴られている。



淡いイエローの家は、街を構成する多くの家と変わらなかった。場所はインディアナ州ゲーリー。日の出から1時間が経過していた。ウィスコンシン・ストリートのこの家に、1人の女性が娘2人と暮らしていた。姉のロンダは12歳、妹のポーラは9歳。1979年のことだ。

母親――名前はグロリア――は、娘たちを急き立てて朝日の下に連れ出し、その後ガレージの奥へ、さらに赤いシヴォレーベガの後部座席へ押し込んだ。少女たちはまだ幼く、へとへとに疲れ切っていた。2人は母親がどうするつもりか分かっていた――母親が夜通し話をするので、寝かせてもらえなかったのだ。最初は優しい声で、その後は怒鳴り声で、最後にはすすり泣きながら――娘たちは抵抗するのを辞めた。

娘たちを車内に押し込むと、グロリアはガレージの扉をコンクリートの床まで引き下ろした。彼女は運転席に滑り込み、窓を降ろして、車のキーを回した。エンジンが低くうなり声をあげる。母親は娘たちが目を閉じ、うつらうつらと眠りに落ちるのを待った。茶色い肌をした、小さく整った娘たちの顔がバックミラーに映る。3人はじっとしていた。まるで水の中にいるように、手足が重くなった。

エンジンは回り続けた。数分が経過し、空気が重くなった。

ガレージの外では隣人が起き出していた。ガレージの中では、少女が不自然な眠りに堕ちていった。

その後にロンダが覚えているのは、二段ベットの下段で、ローラと隣合って横たわっていたことだ。どうしてそうなったのかは分からない。2人ともまだこの世を去ってはいなかった。グロリアが娘たちの上にかがみこむ。もう大丈夫よ、と言って、母親は出て行った。

どのぐらい時間が経過したのだろう、ロンダは身体を動かせるようになった。ゆっくりと起き上がる。ドアに母親からの手紙がテープで留めてある。「お母さんは予定通り、やり遂げます」。ロンダはキッチンへ駆けていき、伯母を呼んだ。伯母は、走って隣人を連れてくるようロンダに命じた。窓越しに、ガレージの扉の下から排気ガスが朝日に向かって漏れているのが見えた気がした。

ホリス氏がグロリアをガレージから引っ張り出し、芝生の上にあおむけに寝かせた。彼は膝をつき、肘を寄せ、両手を重ねてグロリアの胸元を強く押した。何度も、何度も。道向かいに住む看護婦の隣人も駆けつけ、交代でグロリアの蘇生を試みた。

救急車と消防車が到着し、今度は救命士がグロリアの救助に当たった。その頃にはポーラも外に出て、立ったまま様子を眺めていた。見知らぬ他人が母親の胸を推しているのを見た妹がヒステリーを起こすのが見えた。何度やってもグロリアは反応しなかった。

ロンダが一生引っかかっていることがある。誰も2人を診察しなかったのだ。消防士も、救命士も、2人の脈をとることすらしなかった。グロリアが病院に搬送され、姉妹は伯母の元に預けられた。1週間後に母親が早期退院した時、誰もなにも訊かなかった。母親が娘を引き取りに来た時、止めに入った者もいなかった。

何が妹を変えたのか分からない、とロンダは長年言い続けていた。だが今になって、問題の答え合わせをするかのように、あの時がそうだったのだと語った。あれがポーラの変化の始まりだったに違いない、と。「だってそうでしょう。私たちはみな死ぬはずだったんです。自分たちも覚悟していましたし、それを望んでいたんですから」 だが3人は生き残った。これから先――あの黄色い家で、どう暮らしていこう?



1950年代に労働階級の黒人世帯が集まってできたプラスキ集落の一画、マーシャルタウンにその家はあった。小さな庭付きのこぎれいな農場風の一軒家が立ち並ぶ通りのひとつだ。西に1マイル行くとミッドタウン、別名セントラル・ディストリクトがある。かつてゲーリーの黒人コミュニティ全体がこの地区に、他とは分断されて暮らしていた。ミッドタウンを1マイルほど入ると、街を南北に貫くブロードウェイがある。4車線の通りを北に行ったダウンタウンは、時代とともに建物が崩壊している。飾りレンガのデパートも、子ども服の店も、別のレンガ造りのデパートも、今では板が打ち付けられている。大手地方銀行のグレコローマン様式のファサードは放置され、色あせている。住人は今もここで買い物をしているが、どこも入り口やディスプレイ用のウィンドウに鉄製のアコーディオン扉が降ろされたままだ。店舗も次から次へと店じまいするか、白人が住む南のショッピングモールに移転していった。

黄色い家に住む姉妹のうち、ポーラのほうが大人しく、弱々しくて、子どもで、いくじなしで――姉は妹をそうとらえていた――ロンダが仕切っていた。2人の家は通っていたベスーン小学校の角にあり、家から学校まで走ってすぐだった。ポーラは放課後いつもけんかに巻き込まれるので、これは好都合だった。つまり、ポーラはけんかをふっかけては収拾がつかなくなり、怒った2~3人の女の子に追いかけられながら家に駆け戻る。妹が女の子たちを姉に差し向けるので、ロンダが後始末をつけなければならなかった。

ポーラはけんかはダメだったが、ダンスはできた。家に2人だけの時は、いつも音楽をかけた。ロンダはシリアルの箱からジャクソン5のレコードを取り出し、何度も何度もかけた。ポーラは姉に新しいステップを教えようとしたが、ぶざまだった。「だめよ、ロンダ。ここでビートに乗るのよ。ほらここ。さあ早く、ロンダ、ビートに乗って!」

2人はこの界隈が好きだった。子どもたちが多く、放課後に自転車に乗ったり、近所で遊んだりしていた。だが、姉妹は他の子どもたちと距離を置いていた。誰かを家にあげてはならず、姉妹もまた他の子どもの家には行かせてもらえなかった。2人はただ家の中でじっと過ごすしかなかった。それで2人は、玄関先でも友人と遊べるゲームを考案した。

昼も夜も、当然のようにロンダはポーラのお守り役を務めた。母親は研究室の技術者としてメソジスト病院で長時間勤務し、父親のハーマンはどこにいるかもわからなかった。ロンダは毎朝ポーラを起こし、学校に行く支度をさせた。朝食用のビスケットを作り、宿題の合間を縫って夕飯を作った。

ハーマン・クーパーは一度家を出ると何週間も姿を見せなかった。気が向くままに家を行ったり来たりした。家にいる時は娘たちを何度も殴った――時には電気コードで、時にはベルトで、時には拳で。寝室に娘たちを呼びつけ、全裸で外に出るよう命じた――そうすれば鞭で打った時の感触が分かるだろう、と父親は言った。グロリアは酒浸りだった。時には彼女が夫を締め出し、義父が仲裁に入ることもあった。ポーラとロンダは夫婦が深夜に叫び合うのを壁越しに聞いた。

グロリアと夫は、別居してはよりを戻すのを繰り返した。別居中のある時期、グロリアは早朝に娘たちをガレージに連れていき、車に乗せて、エンジンをかけた。数か月後、ロンダは実の父親がハーマンではなく「ロンおじさん」だと知った。何度か家にも立ち寄ったことのある気さくな伯父だ。虐待は彼女に集中していたが、ロンダはようやく納得した。父親が自分をあんな目に遭わせるのは、自分が実の子どもではないからだ。自分を大事にする義務など感じていないからだ、と。

ロンダとポーラは家出したが、警察によってグロリアの元に連れ戻された。その後も家出未遂は続き、少女たちはあちこちのホームに預けられた。ジャクソン5の家から3ブロック半離れたところにある「テルマ・マーシャル養護ホーム」の時もあれば、緊急シェルターや養父母の家の時もあったが、どれも一時的だった。それが制度のねらいで、子どもは親元に置くのが最善だという考えがベースにあり、時には仕事で手一杯のお役所の人間に託された。ロンダの父親がどうすれば姉妹を引き取れるかと尋ねられたケースワーカーは、両親ともども「クレイジー」なので、面倒を起こされて6カ月後に控えた退職に響くと困る、と言った。

結局ロンダは14歳の時、実の父親に引き取られた。グロリアは止めもしなかった。ロンダは妹を置いたまま黄色い家を出て、それきり戻ってこなかった。



ポーラは授業をサボり、学校で女友だちとケンカするようになった――1年に2~3回、次から次へと転校した。ロンダがいなくなったため、ハーマンの暴力は妹に向けられた。

ポーラは1人で家出する術を身に着けた。ある時、父親に殴られたポーラは警察署に逃げ込み、家以外ならどこでもいいから住む場所を見つけてくれと懇願した。

ポーラは13歳だった。その後2年間、他人の家を転々とした――里親の家、シェルター、少年院。だがいずれも数週間、長くても数カ月おきに両親の元に戻され、悲惨な目に遭った。

14歳の誕生日を迎えてまもないある朝、ポーラは自宅のベッドから出てこなかった。誰とも口を利かなかった。目もあけなかった。まるで緊張病にかかったかのようだった。グロリアが何を言っても、何をしても、ピクリともしなかった。しまいには、事態の重さをみかねた母親が娘を医者に見せた。様子を見るために、ポーラはイーストシカゴの精神病センターに入院した。

4日後、彼女は退院した。退院後は再び両親のもとに送り返された。

とある火曜日の昼休み、15歳になったポーラ・クーパーはカレンとエイプリルを連れて外に出た。ホワイトデニムのジャケットのポケットには、処方箋と母親からのメモが入っていた。避妊薬の補充をもらうための早退届けだ。3人の高校1年生は、道路の角にあるキャンディランド・アーケードへ向かうことにした。

ポーラは数週間ほどリュー・ウォレス高校――4回目の転校先――に通っていたことがあり、カレンはその時の親友だった。16歳のカレンは大柄で、ときどき息切れした。童顔のせいか(眉毛に傷があったが)周りからはプーキーと呼ばれていた。すでに3歳の息子がいて、普段は家で名付け親に預けていた。エイプリルも同じような道をたどっていた――だがこの時はまだ、妊娠7カ月を隠し通せていた。

少女たちは数ブロック歩き、グレンパークを通り抜け、45番街を下ってブロードウェイへ向かった。アーケードでゲームをし、男の子たちとおしゃべりして、お菓子を買った。たいしたこともなく、3人とも退屈していた。

3人は午後いっぱい学校をサボることにした。エイプリルが年下の女の子を誘った。他の2人とは初対面の、デニースという14歳の中学1年生だった。4人は3ブロック先にある、エイプリルが姉妹と住んでいる家へ向かい、ポーチに座ってワイルド・アイリッシュローズを飲んだ。その週の初めに少女たちは隣人の家で盗みをしていたが――裏口近くの窓を割って侵入し、90ドルを取って逃げたのだ――盗んだ金はほとんど使い切っていた。お菓子を買った後、4人の手元には25セント硬貨が数枚残っているきりだった。


ルース・ペルケさん(COURTESY OF PELKE FAMILY)

エイプリルが自宅の真裏に住む老女のことを持ち出した。「あのおばさん覚えてる? 前に裏に立ってた人」 ポーラとカレンは老女を覚えていた。「あのさ、おばさんとこに押し入ろうよ」とエイプリル。「大金やら宝石やらいろいろ持ってるんだよ」。

少女たちが話しているのは、裏道の向かいにあるルース・ペルケさんの家だ。玄関に円柱のある真っ白い家だ。ペルケさんについて知っているのはエイプリルから聞いた話だけだった。聖書を教えていて、高齢で、一人暮らし。聖書の勉強について聞けば家の中に入れてもらえる、とエイプリルは言った。

気温の高い午後3時すぎ、ポーラとデニースとカレンはエイプリルの家のポーチを出て、聖書教師を訪ねた。アダムス・ストリートの白い家の裏道を渡った。

3人は刈り込まれた平坦な芝生を横切り、階段を上った。玄関のひさしの下にある、手入れの行き届いた2本のシダと両サイドに建つ円柱を通り過ぎ、ポーチの上に集まった。

カレンが呼び鈴を押した。

ポーラは耳を澄ませた。床板の向こうからゆっくり足音が近づく。ガラス窓の向こうの動きが手に取るようにわかった。ペルケさんがドアを開ける。ポーラはカレンの背中越しに、初めて老女を見つめた。ひょっとすると農場育ちで工場勤めだったかもしれないが、ペルケさんは上品な女性で、白くて細い首をしていた。カールした明るい白髪はセットされ、頭の上に眼鏡をのせていた。優しく、落ち着いたまなざしだ。背はポーラよりわずかに低い程度だったが、ずっと小柄に見えた。誰もが思い浮かべるいいおばあさん、優しいお母さんだった。

「伯母が聖書のクラスについて知りたがっているんです」とカレンが言った。「いつ開催されていらっしゃるのかなって」。

「今は都合がよくなくてね」と老女は言った。「伯母さまと一緒に土曜日にいらしてくれたら、詳しく教えてさしあげるわ」 ペルカさんはそう言ってドアを閉めた。

少女たちはゆっくり方向転換し、来た時と同じ道を戻っていった。

「じゃあ、これでおばさんを脅そう」――家に戻ると、エイプリルはポーラにそう言った。少女たちはキッチンに立っていた。エイプリルは引き出しからナイフを取り出した。幅広で刃渡り12インチの肉切り包丁だ。

今度はおばさんの家に行って、クラスの情報を紙に書いてほしいと言わなきゃ――日にちとか、住所とか、電話番号とか。ポーラはホワイトデニムのジャケットを脱いで、ナイフをくるんだ。

一行は裏道を渡り、再び角を曲がって、アダムストリートの入り口を歩いて行った。

再びカレンが呼び鈴を鳴らす。

再びペルケさんがドアを開けた。一番後ろにいたポーラはジャケットを胸元に抱えた。ペルケさんが網戸を開ける。1人、2人、3人。少女たちはそれぞれ敷居をまたいだ。

居間に入ると、大きな暖炉があった。壁紙にはツタ模様が広がり、書き物机には葉っぱがプリントされていた。そこかしこに、穏やかな風景や雪が積もる小屋などの小さな写真が飾ってある。ポーラは注意深くジャケットをソファの上に置いた。

一行は老女の後に続いてダイニングルームに入った。大きなテーブルに足踏みオルガン、書き物机。机の上には息子のオスカーさんが少年時代、馬の隣に立つ白黒写真が飾ってある――少女たちはそれが誰だか分からなかったし、この家でその写真がどれだけ重要なのかも知らなかった。ペルケさんは机の前で立ち止まり、紙とペンを引き出しから取り出した。少女たちに必要な情報を書きとめるためだ。老女がかがむ――するとポーラが後ろから近づいて、突き倒した。

ペルケさんはカーペットの上に座り込んだ。両脚を前に広げ、厚底シューズのつま先は天井を向いていた。手の届くところ、テーブルの上にガラスのペーパーウェイトがあった。ポーラはそれを取り上げ、老女の頭に振り下ろした。

一瞬、時間が止まった。すると老女の頭から赤い鮮血が吹き出した。血は飛び散り、白髪が赤く染まった。

ペルケさんはぴくりともしなかった。ポーラは老女を見下ろした。今までこんな風に誰かを、ましてや大人を叩きのめしたことはなかった。

のちにポーラは、この後のことをこう振り返る。突然、テーブルの上にナイフがあった。ちょうどそこに、手の届くところにあったのだと。彼女はナイフに手を伸ばした。


ポーラ・クーパー(2012年)とビル・ペルケさん(2015年)SARAH TOMPKINS/THE TIMES/AP; CHRISTIAN K. LEE/AP



ここからはポーラの動きをざっくり駆け足で追っていこう。彼女は老女の両腕と両足をさっと切りつける。「金はどこだ、ビッチ?」と叫んでいる。何度も何度も叫んでは老女の服を切り裂き、だんだんやけを起こし、刃物で肌を切りつける。ポーラが老女に馬乗りになる。またがって老女の顔を見下ろすと、銀ボタンのようなペルケさんのイヤリングや、眼鏡グレームの下の血だまりや、老人の肌にありがちなシミが見て取れた。老女の口から単語の羅列が漏れ聞こえる。ポーラに聞き取れたのは「こんなことをすると後悔しますよ」という一節だけだった。

ポーラの中でカギがかちっと回り、止まると、彼女は一気に動きだした。老女の胸を刺し、ナイフを引き抜いて、また刺した。30回以上刺してようやく動きを止め、ペルケさんの腹にナイフを突き立てた。

ようやくポーラは力尽きた。デニースを見ると――彼女は壁にもたれかかったまま、その場にずっと立ち尽くしていた。「こっちに来なよ」とポーラが言う。「ナイフを握って」。

デニースは体中が震えていた。自分には無理――まだ子どもだもの。カレンがやってよ。ポーラは立ち上がって、カレンに場所を譲った。

だがカレンは身動きしなかった。「おばさんを見られない」 カレンはダイニングルームを出ていくと、バスタオルを持って戻ってきた。白いテリー織のタオルをペルケさんの顔の上に落とすと、カレンは死にかけている老女の両脚にまたがった。

ポーラとデニースは家の中を物色した。エイプリルがやって来て加勢した。少女たちは寝室のクローゼットからバッグやハンガーや毛布を引っ張り出し、ドレッサーの引き出しやソファのクッションを出して、ようやく10ドル見つけた。3人が物色している間、カレンはペルケさんの上にまたがって、ナイフを握ったままだった。最初の15分間が経過したところで、カレンはナイフがどこまで深く入るのか試してみることにした。ナイフを押し込む。押し下げると、ナイフは胸を突き抜けて反対側――背中からカーペット、木製の床材まで貫通した。その後彼女は柄を左右にゆらし、刃先が固定されているのを感じた。

ルースさんは標本のように、自宅のダイニングルームの床に釘付けにされていた。眼には何も映っていなかった。老女は間もなく息を引き取るだろう。少女たちはまだ家の中をぐるぐる歩き回り、孫の写真をひっくり返したり、オスカーさんのものに触れたり放り投げたりしていた。ルースさんの家を訪れたその他大勢の子どもたちと変わらなかった。だからこそ、彼女は少女たちを中に入れたのだ。

数日中に少女4人は全員逮捕され、レイク郡のジャック・クロフォード検事はポーラ・クーパーに死刑を求刑することになる。1年後、留置所で16歳の誕生日を迎えたポーラは、大勢が傍聴席に詰めかける法廷で死刑を言い渡される。クロフォード検事は「ある種の犯罪では、15歳の若さでも究極の代償を支払わなくてはならないと法に定められている」と報道陣に語る。だが数カ月もしないうちに、ビル・ペルケさんは祖母を殺した少女を許そうと決心する。彼は死刑を待つ少女に連絡を取る。「ポーラさん、あなたに手紙を書かなくてはいけない気がしています……僕はすべての出来事には理由があると信じています……」

Penguin Pressより3月28日に出版、アレックス・マー氏の『Seventy Times Seven』より抜粋
Penguin Random House株式会社、Penguin Publishing Group出版
Copyright © 2023 by Alex Mar

関連記事:悲劇の死刑因、25年間にわたる「闘争と不条理」

from Rolling Stone US


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください