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「登山家・栗城史多を殺したのは私かもしれない」河野啓氏が『デス・ゾーン』に反省と考察を書き加えた理由

集英社オンライン / 2023年3月17日 11時1分

2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗城史多氏を描き、注目を集めた『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』。その文庫化にあたり、著者の河野氏が解説文の執筆を頼んだのが、TBS『報道特集』の特任キャスター・金平茂紀氏だった。金平氏は『デス・ゾーン』をどう読んだのか? 対談の後編をお届けする。

メディアの「自発的隷従」

河野 いまは地方にも吉本興業など大手プロダクションが進出して、ローカルの深夜番組も東京と変わらない。これを地方局がありがたがっていてはいけないと私自身は思っています。

ところで、金平さんはご著書などでメディアの「自発的隷従」という言い方をされています。いつしか威勢がいいのは体制寄りの人ばかり。もういろんな場面で「忖度」が増え、息苦しさを感じるような現場になっています。



私の経験で言うと、7~8年前、北海道の3つの離島を旅する番組をつくったんです。そこで礼文島に「日本最北の島、礼文島」とナレーションを入れたら、東京の営業が「“日本”を取れ」と言ってきた。

金平 あぁ、北方領土か。

河野 そうなんです。択捉島の北の岬が、宗谷岬や礼文島の最北端よりも北にある。わずかに。それで営業が、大事なことを見つけてやったかのように現場に下ろしてくる。

金平 まあ、そういう検察官みたいなのがいるんですよね。

河野 だけども、礼文町が出している観光パンフレットにも、フェリーターミナルの看板にも、「日本最北」の文字が踊っているんですよ(笑)。

金平 こないだ僕は、自費でモスクワに行ってきたんですよ。「戦争をやっている当事国の人間がどういう年末年始を送っているのか見たい」と、そう言ったら、会社の番組は後ろ向きで、ダメだって。

「わかった。じゃあ自費で観光客として行くんだったら文句ないだろう」って。それで行ってみたら、もうビックリ。まったく戦争の影が、無い。

金平茂紀氏(撮影:野﨑慧嗣)

河野 そうなんですか。ロシア兵もたくさん死んでいるのに。

金平 すごいですよ。みんなお祝いで「赤の広場」が遊園地みたいになっている。ウクライナでは夜中に防空壕に避難したりしているというのに。パラレルワールドですよ、まったく。

そして、モスクワの郊外に「ロシア連邦軍主聖堂」というのがあるんです。これは連邦軍と宗教が合体した、ロシア正教の教会で。普通、教会といえば白っぽかったりクリーム色だったりするのが、ここはカーキ色なんです。

河野 へえー。

金平 軍服の色なの、全体が。中に入って、たまげましたよ。「ロシア正教は、ロシア人が起こした戦争を守護神として、天上から見守っています」というモザイク画が沢山あって、勝利を祝福している。

中の一枚が、1945年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を破って満州や千島、樺太に侵攻してきましたよね。その時のことが、軍国主義日本を打ち倒した、というモザイク画で描かれていた。日の丸やナチスの旗が打ち倒されてある。そこにロシア兵が集まって、天空を見ると神々が祝福している。

もう、すごくデカいモザイク画。それを見ながら皆で新年を祝っている。そんなところに「北方領土を返してくれ」とか言っていたんですよね。

ロシアのメンタリティを僕らは知らなすぎるっていうか。考えてみると、彼らは戦争をやることが悪いことだって、ロシア革命以来一度も思っていない。そう思いました。話がズレちゃったんですけど。

河野 ああ、いえいえ。サハリンでドラマのロケをしたとき、私たちスタッフが泊まったのはサハリン州の第一書記が別荘として使っていた屋敷でした。ロシア語で山とか丘を指す「ゴルカ」と呼ばれる建物で、その名の通り山から街を見下ろしている。街中の、壁が剥がれ落ちた4、5階建ての労働者アパートとは対照的でした。

共産主義という理念と出来上がった社会の実態はかけはなれているな、と。お話を聞いてサハリンの景色を思い出しました。

栗城さんの悲劇の原因はどこにあったのか

金平 あの、河野さん自身は、開高健ノンフィクション賞も受賞されたし、こういう形で記録として栗城さんのことを残して良かったと思われているでしょう、いま。

河野 そうですね、本当に。発表することに怖さもありましたけど、彼の山の先輩や幼馴染など関係者も評価してくれてホッとしました。

金平 本の中でも書かれていたけど、栗城さんっていう人は死に場所を求めて「虚構」の中を生きていたっていうか。読んでいて、辛い。

栗城さんはスターになりたかった人ですよね。「メディア・スター」に。だけど、それがどんなに大変なことか、わかんなかったんだろう。大きな意味で言うと被害者っていうか。

だから最終的に「こんなヤツ、死んで当たり前だ」とは決してならなかった。僕はぜったいに。

河野 彼はよくユーチューバーのハシリだと言われてきましたし、私もそうだと思います。ただ、いま問題になっている迷惑動画をウケると勘違いした人たちとは違って、栗城さんは理想の自分、理想の見られ方を持っていた。

「日本を元気にするヒーロー」「夢に向かうカッコいい大人」。目指す世界はきわめて単純で、自己承認欲求は強かったでしょうが、決して歪んでいたとは思いません。少なくとも当初は。むしろ単純すぎて批判を招き、単純すぎて、批判に対して反論や偽りの自己弁護をしちゃってはボロを出し、炎上していたように思います。

『デス・ゾーン』著者・河野啓氏(撮影:定久圭吾)

栗城さんの悲劇は、危険な山を「劇場」にできると思ってしまったことです。その劇場で自分が主役を張れると勘違いしてしまったこと、ではなかったのか。カッコよく見られたい、誰かを元気にしたい、が企画のベースにあった。でも、挑戦を重ねるうちに自分の力のなさも自覚してきた。それでも演じ続けなくてはならない……。

どこかの段階で「やめる」という決断は難しかったのかな。登ること、生きることに限界を感じながら迷走していったのではないか……。

━━栗城さんは「単独・無酸素登頂」をうたいながら、実際には「単独」とは言いがたい、シェルパらの助けを借りながらカメラにその姿が映らないようにし、ベースキャンプでは酸素ボンベを使っていた。多少のズルはバレなければいいという安易さがあった。それは残念であるとともに、きわめて現代的なキャラクターだとも思いました。

河野
栗城さんのズルさは「サービス精神」の裏返しだったのかもしれません。「自分が頑張る姿が子供たちの胸を打つ」と思い込み、そのためにはズルしてもやむをえないと考えていたフシもあります。作品としての自分がカッコよく見えるなら、と。

でも彼が立った舞台は、嘘の通じない劇場でした。彼のことを「登山家というより、表現者だった」と擁護するスタッフもいましたが、「表現者」であるなら「登山家」と名乗らないのがスジです。

最近は「ごめんなさい」と言える人が減った

河野 最近なんとなく感じるのですが、「ごめんなさい」と言える人が少なくなった気がします。政治家は絶対に言いません。

以前、広島に原爆を落とした「エノラ・ゲイ」の米軍パイロットだった男性が、戦後60年を経て、初めて広島の地を踏み、原爆資料館を訪れるドキュメンタリーを観ました。

当初、彼は「私は国の命令に従っただけ。謝罪する理由などない」と話していましたが、資料館を見学した後、涙を流しながら「Sorry」とつぶやくんです。美しい響きでした。僕は、栗城さんから「Sorry」を聞きたかった。

いまのテレビは深く考える人間より、言葉を反射的に返せる人間、地べたの石ころでもなんでも拾ってすぐに相手にぶつけられる人間を「面白い」と重用する。金平さんもおっしゃられていますが、ニュース「ショー」なんですね。ネットも「〇〇をフルボッコ」と煽る。

私自身は口喧嘩番長よりも、訥々でも真実味があって心に染みる言葉を聞きたいんですが、なぜか居丈高な極論、暴論ばかりが称賛を浴びるんですよね。

金平 そうですね。ああ、最近、こんなことを言われたんだよね。「電話をいきなりかけるのは暴力的ですから」と。

河野 ああ、かけますね、私も(笑)。

金平 ハハハハ。いや「暴力的」と言われたのは、ある学会があって、若い学者たちと懇談する場で、「いきなり電話をかけてくる失礼なヤツがいるんだよ」っていわれたから、「僕、しょっちゅう電話かけるんですけど」って返したら、「いやぁ金平さん、電話をする前にメールで一言『いまから電話入れて、いいですか?』と聞くのがエチケットでしょ」っていうから、エーッ⁉

河野 アハハハハ。私は金平さんに解説のお願いをしたとき、まずショートメールを送りましたよ。返信がなかったので翌日、電話しましたが(笑)。

金平 「いきなりの電話は暴力的です」と断言されちゃって。そうか、コミュニケーションを教える学者がそう言うのかと。

いまはチームをつくるのに、お互いに知らなくてもいい。SNSで呼びかければいいんだという。いま騒ぎになっている事件(関東広域強盗殺人)なんかもそうですよね。

河野 自分で手を汚さなくていいから、「抵抗されたら何をしてもいい」みたいな残虐な指示が出せちゃうのかもしれませんね。遠隔地からのSNSを使った戦闘命令。

イラク戦争のときに米軍がドローンを戦場で初めて本格的に使いましたけど、敵の基地を目がけて飛んでいくドローンとSNS強盗、ちょっと似ているように感じます。

また栗城さんのような人間が現れてくるかもしれない

━━『デス・ゾーン』は、主人公の栗城さんのことを知らない、登山のことにも興味がない人が読んでも惹きつけられるものがあると思うんです。

金平
それ、まさに僕だな(笑)。

━━読み始めた時は「嫌なヤツだなあ」と。チャラけた若いお兄ちゃんっぽくて、マイナスイメージで読んでいる。だけども、いろんな人の証言から本人の素が見えてくるにしたがい、「弱さ」が覗きみえ、憎めないやつに思えてくる。「ああ、これ俺と一緒だ」「俺よりもまだ頑張ってる。だって俺、登山行かないもんなあ」と。

プロフェッショナルな登山家からしたら格好だけに見えたにしても、彼なりに頑張りはしている。その頑張りのメッキが剥げれば剥げるだけ、不思議なことに好感情を抱いている。栗城さんって『ザ・ノンフィクション』に出てくるちょっと情けない主人公の一人に思えました。『情熱大陸』向きではなくて。距離感の近さを感じるんですよね。

河野
そうですね。最初は彼の実力もわからないから『情熱大陸』向きだと思ったんですよね。

━━そのあたりの、河野さんの捉え方の変化を話していただけますか?

河野 一言でいうと、彼には酷い目に遭わされたんですよね。だんだんと。取材の約束はスッポカされるわ。せっかく通した番組の企画はダメにされるわ。正直に言ってくれればこっちも「ああ、わかった」って言えるようなことも、何の説明もないまま放っておかれたり。最後には一方的に連絡を絶たれるような形で別れが来たんです。

腹が立つ一方で、スッキリもしたんです。もう彼と付き合わなくていいや、と。それ以降の8年間は、ほとんど思い出すこともなかったんですが、彼がエベレストで死んだという予期せぬニュースにふれたときに「まだ登っていたのか」と。「まるで本物の登山家みたいな最期じゃないか?」って驚いたんです。彼はエンターテイナーだと思っていたので。

『デス・ゾーン』著者・河野啓氏

なぜ無謀な挑戦を続けたのか? 私が取材をやめた後の空白の8年間に何があったのか、と。栗城さんの足取りを調べるうちに、想像もしなかったことがわかってきて。その時々の彼の思いを想像して、私自身の心も少し柔らかくなっていく。そんな気がしました。

━━その単行本が出て、文庫本化するまでに2年経過しましたが。栗城さんに対する想いに変化はありましたか?

河野 彼の言葉を聞くことはできませんが、読者の方から「(栗城さんを)抱きしめてやりたくなりました」という声が届くと、私も、さっき心が柔らかくなったと言いましたけど、書いて良かったなと実感します。人間の難しさとか愛おしさとかを少しは描けたのかなと。

文庫の「あとがき」にも書きましたけれど、大学時代に彼が慕っていたKさんは、いまだに最後に会った栗城さんの表情が忘れられない、トラウマのように脳裏に蘇ると。

そんな話を聞いたりすると、彼の人生は、何だったんだろうか。何を求めて、何がやりたかったのか。ただウケればいいと思っていたのか、と考え込んでしまいます。彼自身も整理しきれなかったんだと思うんですよね。

金平 (うなずく)

河野 登山ライターの森山憲一さんが、栗城さんが亡くなる前年に、「このルートを登ると公言するのは正気の沙汰じゃない」「いつか死ぬ。止められるとしたら登山界の人間だろう」と思って彼に会いに行ったそうなんです。でも多くの登山界の人たちは栗城さんを無視した。

黙殺がすなわち登山界の評価なのでしょうが、私は発言すべきだったと思います。専門家が声を上げれば、私を含む愚かなメディアは栗城さんを取り上げることにもっと慎重になったはずです。

「メディアの責任」については、開高健賞に応募した原稿でも多少触れてはいたんですが、「栗城さんを殺したのは私かもしれない」という反省と考察は、本にする際に書き加えました。

なぜそうしたかというと、追加取材と修正稿を重ねるうちに、また彼のような人間がこれからも現れてくるぞ、という不安に駆られたんです。

実現不可能に近いことを、思い込みの激しさから「No Limit」と言い、声援を求める。自分を痛めつけてでもウケたい。認められたい。

「承認欲求」に駆られた人間がこれからどんどん現れてくる、そんな懸念から。一つの警句として、しっかり書いておかなければと加筆しました。

取材のカメラに囲まれるという経験

河野 ところで金平さんは、取材のカメラに囲まれたことはありますか?

金平 ありますよ。

河野 私は一回だけ。「オウム真理教」の札幌支部を取材した時に、10人ぐらいの信者に囲まれたんです。1989年の、坂本堤弁護士の失踪事件が起きてすぐで、まだオウムのことは一部のワイドショーでしか取り上げられていなかった。私たちはワイドショーの取材で、札幌支部へ行ったんです。

そこはまったくのヨガ道場でした。拍子抜けするぐらいの。みんな車座になって瞑想してピョンピョン跳んでいる。

いくつかのヨガの修行と信者のインタビューを撮って、スタッフが一足先に道場を出たところで、私だけ囲まれました。「自分たちが弁護士を誘拐するような人間に見えますか?!」「取材して、どうでした?」と詰め寄られた。メディアへの怒りが彼らを逆取材に走らせたんでしょうね。

あの時の僕は、ぼくじゃなかった。「皆さん熱心にやっている姿に感銘を受けました」って。「熱心」「感銘」を連呼した記憶があるんですよ。放送の後、報道の人間に随分怒られました。「疑惑だけで取材に動くのはいかん」と。

金平 なるほど。

河野 ところが1995年にオウムの問題が弾けると、私が撮った札幌支部の映像を報道が当然のように使って、しかもTBSの番組にも売り込むんです(笑)。

札幌支部である男性を取材したんですけど、彼が教団を脱会した後、どういう人生を送ってきたのかを知りたくて、随分後、取材から20年ほど経っていましたが、連絡を取ったんです。

再会したらいきなりこう質問されました。「池で子供が沢山溺れている。その中に自分の子供もいる。さあ、アンタどうする?」と。

なんでこんなこと言われるのかと思いながら、「まあ、他の子には悪いけど、真っ先に自分の子供を助ける」って言ったんです。彼は「ワシはそうやないんよ。ワシは池のそばにいる子から順番に助ける。なるべく沢山の子が助かる方法をとる」という。

心の中では、「いざそうなってみろ、真っ直ぐ自分の子のところに行くさ」と思ったんですけど。あまりに彼の眼が真剣だったんで、気づいたんですよ。

ああ、出家するっていうのはそういうことなのか。突き詰めると家族も捨てるし、社会も捨てる。そこまでして宗教的なパワーを求める。それが出家なんだ。この人はそういうことを言いたくて、このたとえ話をしたんだな、と。

金平 あの、河野さん。いまのオウムの話はとても興味深く聞きました。僕は筑紫哲也さんの『NEWS23』にいる時にオウムの取材を最前線でやっていて。教団の中の人間ともかなり深く付き合いました。

信者に対する印象で言うと、みんなものすごく真面目だったですね。凶悪な事件をやる感じでは全くなかった。それで「サリン事件」の本当のところは何だったのか? 立花隆さんと一緒に取材したし、実はまだ取材を続けています。

河野 そうなんですか。

「取材」とは相手から「何かを奪う」行為である

金平 統一教会の問題も酷いですけど。もうワイドショーではだんだんやらなくなったでしょう。『ミヤネ屋』を除いては。僕はそういうのが嫌なんです。一回関わったら、メディアとか取材者の責任は一生ついてまわるから。

ジャーナリスト・金平茂紀氏

僕が自分のことを「ニュースバカ」とか「報道バカ」と言っている理由は、取材するというのは一度関わったら足抜けできないから。

取材する、撮るっていうのは、英語ではshootと言う。「弾を撃つ」のと同じ単語で、「相手を殺す」ぐらい深い関係を結ぶ、という意味がある。「取材」と言うくらいなので、相手から何かを奪うってことですから。河野さんもそうだと思うけど、相手とそういう関係をつくることが「取材」だっていう思いがある。

だから、その場しのぎだけにはならない。忘れているようなことでもある日、急に蘇ってきたりして。

河野 ありますよね。私もある高校と、ヤンキー先生のいた学校ですが、30年以上つきあっています。一度関わったら足抜けできないという言葉、よくわかります。

金平 まあとにかく、テレビっていうメディアは、こわいです。ひとの人生変えるから。

いまはインターネットとかSNSで、誰でも自撮りをして「わたしを見て」というのが普通になったけど、テレビは自分が撮ったものじゃなくて、「報道機関でございます」「これは番組です」と撮ったものが飛び込んでくる世界ですから。強制的に目に入っちゃう。お金を払って映画を観に行くのとは違う。

そういう「テレビの力」って、本当に怖いですよ。そこに出てしまった人の運命を変えてしまう。そこについての思いは、この仕事をし続けていると必ず返ってきますよね。自分に。栗城さんみたいな人、イッパイいますもん。

河野 映像は強いですからね。その強い映像を、誰もが操れて発信できる時代になった。技術や表現や報道倫理とかも関係なく、「一億総メディア」。みんなが劇場の主人公になっちゃいましたよね。

そんな恐ろしい世の中にあっても、慎重に、でも臆さずに、伝えるべきことを伝えていきたいと思います。表現者のはしくれとして。

聞き手・構成/朝山実 撮影/野﨑慧嗣(金平氏) 定久圭吾(河野氏)

同書と「冒険」をテーマにした過去の受賞作2作を合わせた形で、丸善ジュンク堂書店の複数店舗で「開高健ノンフィクション賞20周年記念ブックフェア」が開催中。

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

河野 啓

2023年1月20日発売

825円(税込)

文庫判/384ページ

ISBN:

978-4-08-744479-7

第18回開高健ノンフィクション賞の受賞作『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)の文庫版が1月20日に発売された。2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗(くり)城(き)史(のぶ)多(かず)氏を描き、注目を集めた一冊だ。

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