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江戸時代にも勿論あった歌舞伎界の男色習慣「早朝から夕刻までは舞台を勤め、夜は男の相手」異なる性を演じる“境のゆるい”世界

集英社オンライン / 2023年6月24日 19時1分

「“歌舞伎はもともと女が男を演じ、同時に男も女を演じる“という性の境のゆるい中で、エロスが醸成されてきた」という。今回は歌舞伎界のBL文化の歴史を『ヤバいBL日本史』(祥伝社新書)から一部抜粋・再構成してお届けする。

熱心に口説けば世間並みの衆道のように、
その人と男色関係になっていた

公家の姫らしき妹君が歌舞伎役者を屋敷に呼んだものの、結局、兄に取られてしまった『男色大鑑』のエピソードがありました。

いわゆる役者買いで、こうした風習がいつ始まったのかと考える時、『男色大鑑』巻五「命乞ひは三津寺の八幡」が参考になります。同話では、女太夫や女歌舞伎も絶えたあと、塩屋九郎右衛門座に岩井歌之介、平井しづまといった末代にもありそうにない美少年がいた、と記されます。そして、



「そのころまでは、歌舞伎役者が昼は舞台をして、夜は客を取るということもなく、昼でも招けば酒盛りをして日を暮らし、熱心に口説けば世間並みの衆道のように、その人と男色関係になっていたが、それを誰も咎める者はなかった」(〝その頃までは、昼の芸して夜の勤めといふ事もなく、まねけばたよりて酒事にて暮らし、執心かくれば世間むきの若道のごとく、その人に念比すれども、誰とがむる事もなし〟)

と言います。

『新編日本古典文学全集』の注には、「色茶屋で揚代を取って夜の勤めをするようになったのは、承応以後の野郎歌舞伎時代にはいってからである」と言い、昼は歌舞伎、夜は客を取るということが常態になったのは承応年間(一六五二~一六五五)以後のこととされています。

役者の夜の勤めが常態化するのは
若衆歌舞伎から野郎歌舞伎に移り変わってから

ここで歌舞伎の歴史をおさらいすると、はじめに女歌舞伎が発生し、やがて風紀を乱すというので禁止され、並行して行なわれていた少年による若衆歌舞伎が盛んになり、これも風紀を乱すからと禁止され、前髪のある若衆でなく、前髪を剃った野郎頭の野郎歌舞伎という今の形になったのが承応元(一六五二)年以降です。

ちなみに女歌舞伎の禁止によって「若衆歌舞伎」が始まったと説明されることが多いのですが、実は少年による「かぶき踊り」は女歌舞伎の発生期と同時代から行なわれていたため、「この説明は正確さを欠くものとして、現在ではとられていない」(武井協三「若衆歌舞伎・野郎歌舞伎」、岩波講座『歌舞伎・文楽』第2巻所収)そうです。

また、女歌舞伎を始めた出雲阿国と、『常山紀談』で戦国三大美少年の一人に数えられる名越(名古屋、名護屋)山三郎は、夫婦として共に歌舞伎を始めたという伝説の持ち主です(歌舞伎学会編『歌舞伎の歴史――新しい視点と展望』)。

いずれにしても、役者の夜の勤めが常態化するのは若衆歌舞伎から野郎歌舞伎に移り変わってからで、若衆歌舞伎のころは、執心すれば世の常の男色のように欲得を離れてねんごろになっても誰にも咎められなかった、というわけです。

早朝から夕刻までは舞台を勤め、夜は男色の相手をする

といっても、若衆歌舞伎の時に役者が性を売っていなかったわけではなく、武井氏によれば、むしろ若衆歌舞伎のほうが「男色を売りもの」にしており、「野郎歌舞伎以後、『容色』から『技芸』へと、芸の重点が移っていく。売色のためその美しい容姿を舞踊によって展観するのが、若衆歌舞伎までの舞台の大きな意味であった」(武井氏前掲論文)と言います。

しかしだからといって役者の売笑はなくならず、夜の仕事としてきっちりカネを取るというふうに、商業的かつシステマチックになったということなのでしょう。

「少なくとも元禄期までの歌舞伎界においては、若女方・若衆方など、若くて美貌の歌舞伎若衆は、早朝から夕刻までは舞台を勤め、夜は茶屋で客の求めに応じて男色の相手をする、というのがしきたりであった」(暉峻康隆 『新編日本古典文学全集 井原西鶴集 二』解説)

承応年間以後、元禄年間、少なくとも一六五二年から一七〇四年までのあいだ、歌舞伎役者は夜の勤めをしていたわけです。

もちろん「命乞ひは三津寺の八幡」の言うように、承応年間以前にも若衆がゆるい感じで客と遊ぶことはあった上(そもそも風紀を乱すというので若衆歌舞伎が禁じられたくらいなので)、元禄以後も個々に客の求めに応じてはいたでしょうから、実際には役者買いというのはもっと長い期間行なわれていたわけです。

異なる性を演じる「境のゆるい中で」感じるエロス

先に私は、「性や年齢を超えて変身する、演じるという能の特性は、性や年齢の境を薄くして、男同士、女同士の性的関係をより結びやすく導く働きがあるように思います。江戸時代の歌舞伎役者が、芝居のあとで男にも女にも性を買われていたのも、男をも女をも演じ得る存在だからこそ、どんな性にも応え得る存在に見えていたのではないか」と書きました。

歌舞伎はもともと女が男を演じ、同時に男も女を演じ……という性の境のゆるい中で、エロスが醸成され、権力者からは「風紀を乱す」としてたびたび禁令が出されてきました。

そんな中、役者に近づきたい、性的関係を結びたい、その時間や性を買いたいという欲求が、観客側に出てくるのは自然な成り行きです。

そして役者買いというと、私などは男が男を買う図が頭に浮かぶのですが、白倉敬彦によれば、男色が盛んだったとされる元禄期でも、それは「上方のことであって」、江戸では庶民のあいだに流行するには至っておらず、江戸で活躍していた鳥居清信が描いたのは奥女中たちの役者買いの風俗であり、それよりあとの奥村政信も似たようなものだったようで、「清信にしろ、政信にしろ、役者買いの主力を、女性と見ていたのではないか」と言います(『江戸の男色――上方・江戸の「売色風俗」の盛衰』)。

身分や性別より「カネがあれば買える」…
身分制崩壊の始まりとも

確かに、有名な江島(絵島)生島事件(一七一四)も、月光院に仕える奥女中の江島が、代参の帰り、役者の生島と乱行したとして共に流刑に処せられた事件でした。

もっとも江島は、総勢百人を超える女中たちと芝居に立ち寄り、酒宴をしたのであって、江島本人は三日三晩一睡もさせてもらえずに尋問されても「情交は否認し続けた」(山本博文編著『図説 大奥の世界』)そうです。

しかも当人たちが流罪であるのに対し、江島の兄は斬罪、江島に逢い引きの場を提供したとされる者は死罪、その他、処罰された者は数多く、月光院派が大打撃を受けたことから謀略説もあって、果たして当人たちが本当に性的関係を結んでいたかどうかは藪の中です。

いずれにしても江戸時代、役者は女にも男にも買われていた。

平安・鎌倉時代の白拍子や、室町時代の猿楽者を、囲い者にできるのは男性権力者に限られていたことを思えば、役者の夜の勤めが常態化した承応期から元禄期にかけては、金さえあれば商人なども芸能人を買えるようになったのですから、身分や性別よりもカネがものを言うという意味で公平というか、身分制の崩壊はすでにこのころから始まっていたとも言えます。

人形の男色…人形がしゃべっていることがまず怖いのに

男による役者買いというと思い出すのが『男色大鑑』巻八の不気味な話です。

ある時、備前から上京した人々が、竹中吉三郎(延宝・元禄期の上方役者。若女方として評判)、藤田吉三郎(貞 享・元禄初期の京都の若女方)など、神代よりこのかた古今にまれな美少年役者五人を座敷に呼んで、春の枕を並べ、夜を徹して酒盛りをしていた。

そこへ誰からともなく箱が届けられたが、開けてもみずに放置しているうちに、若衆を迎えに駕籠が来たので、いずれもまたの約束をして、備前の人々が寝入っていたところ、箱の中から、

〝吉三ーー〟

と呼ぶ声がする。一同の中で気の強い者が蓋を取ってみると、角前髪(十五、六歳の者の半元服の髪型)の人形が入っていて、目つきといい、手足の様子といい、さながら生きた人間のよう。

よく気をつけてみると、手紙が添えてあり、

「私はこのあたりの人形屋ですが、この人形はひとしお心を込めて作り、長年看板に立てておきました。いつのころからか、この人形は魂があるように身を動かすことがたびたびとなり、しだいにわがままになっていき、近ごろは〝衆道 心〟(男色の気持ち)がついてきて、芝居帰りの太夫(若衆)たちに目をつけます。これだけでも不思議なのに、夜ごとに名指しでその子を呼びます。何となく恐ろしく、内緒で川原に流すこと二、三度になりますが、いつの間にか戻って来てしまいます。

木の端が喋ることは前代に例がなく、聞いたこともありません。我が物ながら持て余し、困っていた折も折、藤田・竹中の両太夫どのがその座におられることを見及びまして、この人形を差し上げます。後の世までの話の種に、試してごらんなさいませ」と、はっきり書いてあります。

お前は人形の身で若道(衆道)の心を持つとは優美なことだ

中でもたいていのことには驚かぬ男が進み出て、人間に挨拶するように、「お前は人形の身で若道(衆道)の心を持つとは優美なことだ。二人の吉三郎に思い入れがあるのか」と言うと、人形はすぐさまうなずきます。

人々はすっかり酔いがさめ、人形の歴史を語るなどしたあと、まだ枕元にあった飲み捨ての盃を取って、「これはお二人のお口が触れたものだぞ」と人形の口に差してやって、

「だいたいこの若衆たちに焦がれる見物人たちは数知れぬほどだ。とても叶わぬ道理だ」と、望みの叶わぬ子細を囁くと、人形ながら合点のいった顔つきをして、その後は諦めたといいます(「執念は箱入りの男」)。

役者買いバブルのような現象が起きていたのかも

少年の年ごろの人形が若衆に恋をするのが不気味でありながら切ない話ですが、西鶴はこの話を紹介したあと、「人形ですら聞き分ける賢い世の中なのに、親の意見をないがしろにし、野郎狂いが高じて家を失い、飽かぬ妻子に離縁状を遣わし、都を出て江戸に行ったからといって、小判の一升入った壺が埋まっているわけもない。

しかし一代使っても減らぬ金の棒があるなら、一手に持ちたいのは竹中吉三郎と藤田吉三郎だ」と、役者買いが高じて家や妻子を失う者がいる世相を嘆きながらも、二人の吉三郎には千金の価値があると締めくくっています。

カネの世の中が極まって、豊かになった元禄の世では、役者買いバブルのような現象が起きていたのかもしれません。

ヤバいBL日本史 (祥伝社新書)

大塚ひかり

2023/5/1

1,034円

232ページ

ISBN:

978-4396116798

BLは日本史の表街道である

BL(ボーイズラブ)、すなわち男同士の恋愛や性愛が描かれた作品は、近年のエンタメ業界で存在感を高めている。
こうしたBL作品を理解するうえで欠かせないのが、「妄想力」を土台とする「腐の精神」だ。
そして、これは突然変異で生まれたものではなく、日本の歴史に脈々と受け継がれてきた精神であると著者は言う。
本書は、『古事記』から『万葉集』『源氏物語』『雨月物語』といった古典文学や史料を題材に、「腐」を軸とした鮮やかな解釈で、新しい歴史観を提供するもの。
院政期に男色ネットワークが築かれた本当の理由や、男色の闇にあった差別と虐待の精神史など、これまで語られてこなかった日本史の本質を描き出す。

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