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父親が組長、姉は14歳で駆け落ち…“極道の娘”が「思春期にグレなかった」理由

日刊SPA! / 2024年2月5日 15時53分

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人はどんな両親の元に生まれてくるかを選択できない。裕福で何不自由ない家庭に生まれることもあれば、「こんな家に生まれたくなかった」と運命を恨む人もいるだろう。
今回話を聞いた天草ナオさん(20代)は、暴力団の組長の娘としてこの世に生を受けた人物。自身を“極道二世”と称する天草さんは、一体どんな人生を歩んできたのか。本人の口から語ってもらおう。

◆同級生の両親たちが「変な人に見えた」

――自分の家庭が他と違うと、初めて感じたのはいつですか?

天草ナオ(以下、ナオ):小学校に入ったくらいの時です。同級生の親御さんを見て「なんか変な人たちがいっぱいいるな」と思ったんです。

――変な人たち?

ナオ:シワのついたスーツを着ていたり、髪型もパリッとしていなかったり……。自分の父やその周囲の人は、何かある時はしっかりしたスーツを着ていましたから。ちなみに父は普段着である作業服も、アイロンでキチッとセンタープレスをつけていました。

――その環境下であれば、ネルシャツやジーパンなどいわゆる“普通の格好”でもだらしなく見えるかもしれませんね。

ナオ:そうですね。私は当時、そんなお父さんをカッコいいと思っていました。テレビドラマ『ごくせん』が放送されていたころに印象的な出来事がありました。家で見ていたら、父に「こういうの好きなのか?」と言われて。「好きだよ。学校でも流行ってるし」と答えたんです。すると「お父さん、この仕事をしてるんだよ」と言われました。

――そこで、他とは違う感覚に裏付けがされたんですね。

ナオ:そうですね。そして私が「お父さん何組なの?」って聞いたら「パンダ組だよ」って言ってました(笑)。

◆「娘には甘かった」組長だったが…

――それまで怖い一面を見せたことはなかったんですか?

ナオ:甘やかされて育ったので、私に対して怖い姿というのは見たことがありません。ただ、感情の起伏が激しいところがあって、キレると止められなくなって大変でした。

――ナオさんには甘かったということですが、お母様にはどうでしたか?

ナオ:小学校5年の夏休みに、私と友人とそれぞれのお母さんという、女4人で沖縄旅行に行ったんです。その時、母は「色々うるさいからお父さんには内緒で行くよ」と。基本的に父は別の家があり、たまに私と母の住む家にくるというスタイルだったので、短期間の旅行であればバレないと思っていたみたいです。でも、いざ帰って来たら家の前には父の車が止まっていて……。玄関を開けた瞬間に物が飛んで来ました。そして、父が母の髪の毛を掴んでリビングに引きずって行き、肋骨が折れるほどボッコボコに殴られてましたね。

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