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『週刊ベースボール』での手記が球団批判と取られ…… ドジャース戦法を取り入れた川上哲治と広岡達朗の確執前夜

日刊SPA! / 2024年4月8日 15時50分

ここで特筆されるのは、プロ野球史を紐解くうえでも大きな転換期となった〝ドジャース戦法〟とは一体なんぞや、だ。そもそもプロ野球界に戦術・戦略を初めて持ち込んだのは、川上巨人だと言われている。六〇年の秋、川上は一八年間の現役生活を終えて監督に就任。六〇年のシーズン、リーグ五連覇中だった巨人だが、打撃陣は三割バッターが長嶋のみ。投手陣は藤田元司の故障により堀本律雄が29勝と孤軍奮闘するが、他のピッチャーが総崩れで二位に終わり、水原が辞任に至ったという形だ。

監督になった以上、初年度から是が非でも優勝するためにどうしたらいいのかと川上が思案に暮れていると、一冊の本に巡り合った。ブルーの表紙でタイトルに『ドジャースの戦法』(五七年ベースボールマガジン社発行)と記されている。ページを開くと、今までやってきた野球とは違うことが書いてある。選手個人が勝手にプレーするのではなく、チーム全体がサインによって連携してプレーする。目からウロコだった。

◆日本球界に初めて持ち込まれた“考える野球”

早速、翌春の宮崎キャンプでドジャース戦法を取り入れるべく練習するが、上手くいかない。連日のミーティングでも説明をするが、誰もがちんぷんかんぷん。そりゃそうだろう。川上自身もやったことも見たこともないから、選手たちができないのは当たり前だった。

その後、宮崎からフロリダのベロビーチに移ってブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)と一緒に練習することになった。百聞は一見に如かず。そこでようやく「ドジャース戦法」のなんたるかがわかった。

そもそも、それまでのキャンプといったら、起床時間、練習時間の開始だけが決まっているだけで、細分化されたスケジュールなど存在しなかった。レギュラーは昼までちょこちょこっと練習して、後は麻雀三昧。それが、ドジャースのキャンプはいくつもの球場を使用し、打撃、守備、走塁の練習がタイムスケジュールで管理されていたことに巨人の選手たちは驚いた。とにかく、川上は今までのキャンプのやり方を刷新し、効率良いスケジュールを立てることから始めた。そのうえで徹底的に組織プレーを反復練習させ、毎夜ミーティングをやり、〝考える野球〟を定着させたのだ。

巨人がドジャース戦法を取り入れるまでは、日本のプロ野球チームがサインプレーによって連携することなど皆無だった。例えば一塁ゴロのとき、ピッチャーがファーストベースカバーに入るという練習をしないため、実戦では各々がぶっつけ本番で判断してプレー するしかなかった。ましてや、相手がバントしてきたらひとつアウトにすればいいというのが基本の考えで、今のようなバントシフトでファーストとサードが飛び出してくることもなかった。つまり守備側の意思でバントを成功させないようにする発想がなかったのだ。

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