「真田信繁」家康に自刃を覚悟させた日本一の兵 49歳でようやく満天下に力を示し散った義の知将
東洋経済オンライン / 2023年12月3日 10時0分
NHK大河ドラマ『どうする家康』第45回「二人のプリンス」では、関ヶ原で敗れた武士が立派に育った秀頼のもとに集結し、徳川との対立姿勢を強めました。第46回「大坂の陣」では14年ぶりの大戦が勃発。そこで今も語り継がれる活躍をした真田信繁について『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者・眞邊明人氏が解説します。
「真田幸村」の通称で広く知られる真田信繁は、1567年に真田昌幸の次男として生まれます。信繁の半生は波乱に満ちたものでした。
まず、武田家滅亡を受けて、織田家に恭順したことを受け、信繁は関東守護に任じられた滝川一益のもとに人質として送られます。
そのわずか数カ月後に織田信長が本能寺の変でたおれると、甲斐信濃は混乱し、滝川一益は所領を捨て撤退。その際に信繁は木曽義昌に引き渡されました。
その後、父・昌幸は一度、徳川につきますが沼田をめぐって対立し、今度は上杉につくことに。信繁は、父や兄・信之とともに徳川の大軍を迎え撃ちます。この第一次上田合戦に真田は勝利し、昌幸の武名は天下に響き渡りました。
その後、信繁は上杉に人質として送られ、さらに昌幸が羽柴秀吉に臣従すると、今度は大坂に送られます。信繁の青春時代は各所を人質として転々としていたといえるでしょう。
秀吉の馬廻衆に抜擢される
大坂に送られた信繁は、その才を秀吉に認められ馬廻衆に取り立てられます。そして秀吉の側近である大谷吉継の娘を妻とし、父・昌幸とは別に知行を与えられ、豊臣の姓も下されました。
秀吉は、人質というよりも豊臣家の直臣として信繁を取り立てようとしたとみられます。この背景には、義父となる大谷吉継の意向もあったようです。
いずれにせよ信繁は、徳川家康の有力な家臣である本多忠勝の娘(形式としては家康の養女)を妻とした兄・信之と違い親豊臣でありました。
秀吉が死ぬと、天下は五大老筆頭の徳川家康と石田三成との対立が鮮明になります。真田家も、その渦に巻き込まれることに。石田三成は、全国の諸将に自陣営への参加を呼びかけます。
真田昌幸にも、この誘いがきました。昌幸は三成の誘いに乗ることにしますが、長男の信之は反対します。信繁は、義父の大谷吉継のこともあり父に従いました。
関ヶ原を前に家を割る真田
ここで真田家はふたつに分かれることになりますが、これはあえてのことと思われます。家を両陣営に分けることで、どちらが勝っても家を守れるという策だったのでしょう。
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