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ヨーロッパ中心の近代科学史が「でっち上げ」な訳 グローバルな文化交流という忘れ去られた事実

東洋経済オンライン / 2023年12月7日 10時30分

コペルニクスが科学研究を進めるうえで頼りにした数学的手法は、アラブやペルシアの文書から拝借したものでした(写真:Perszing1982/PIXTA)

コペルニクスやガリレイ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインといった科学者の名前は、誰もが知っている。そして近代科学は16世紀から18世紀までにヨーロッパで誕生し、19世紀の進化論や20世紀の宇宙物理学も、ヨーロッパだけで築かれたとされている。
しかし、科学技術史が専門のウォーリック大学准教授、ジェイムズ・ポスケット氏によれば、このストーリーは「でっち上げ」であり、近代科学の発展にはアメリカやアジア、アフリカなど、世界中の人々が著しい貢献を果たしたという。
今回、日本語版が12月に刊行された『科学文明の起源』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

コペルニクスの地動説

近代科学はどこから生まれたのか? ごく最近までほとんどの歴史家は、もっぱら次のようなストーリーを語っていた。近代科学は1500年から1700年までにヨーロッパで編み出されたと。

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そのストーリーはたいていポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスから始まる。著作『天球の回転について』(1543)の中でコペルニクスは、地球が太陽のまわりを公転していると唱えた。革命的な学説だった。

古代ギリシア時代から天文学者は、地球が宇宙の中心であると信じていた。しかし16世紀にヨーロッパの科学思想家たちが、その古代の学説に初めて異議を唱えはじめた。

コペルニクスに続いて、「科学革命」と呼ばれる運動の先駆者たちが何人も活躍した。イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイは1610年に木星の衛星を初めて観測し、イギリスの数学者アイザック・ニュートンは1687年に運動の法則を導き出した。

ほとんどの歴史家は、このパターンがそれから400年間続いてきたと論じるのが常だ。従来、近代科学の歴史はほぼ何人かの人物に絞り込まれてつづられてきた。19世紀イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンが自然選択による進化の理論を展開し、20世紀ドイツの物理学者アルベルト・アインシュタインが特殊相対論を提唱したと。

19世紀の進化論から20世紀の宇宙物理学まで、近代科学はヨーロッパだけで築かれたとされている。

近代科学はグローバルな交流から生まれた

しかしこのストーリーはでっち上げである。本書では近代科学の起源について、それとはまったく違うストーリーをつづっていきたい。科学はヨーロッパ文化固有の産物ではなかった。つねに近代科学は、世界中のさまざまな文化の人々や考え方が一緒になることで発展してきた。

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