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ローカル列車から特急まで「国鉄型気動車」の軌跡 日本の鉄道近代化を支えた懐かしの車両たち

東洋経済オンライン / 2023年12月23日 6時30分

キハ55形を先頭に白銀の磐越西線を行く急行「あがの」(撮影:南正時)

戦後、日本の鉄道近代化に大きな役割を果たしたのが気動車(ディーゼルカー)の存在である。まだ電化がそれほど進んでいなかった当時、全国各地の路線で蒸気機関車牽引の客車列車を置き換え、「無煙化」と同時にスピードアップや快適性向上の立役者となったのは気動車だった。

【写真100枚を一挙公開】只見線を走るキハ58系の急行「奥只見」から、登場時のキハ183系「おおぞら」まで、国鉄が生んだ「気動車」の数々。

国鉄時代には通勤列車用から特急用までさまざまな気動車が登場し、一部は今も活躍を続け、鉄道ファンの注目を浴びている。今回は戦後に登場した国鉄の気動車について、筆者の取材時の思い出とともに述べてみたい。

SL置き換え「無煙化」の立役者

現在の気動車はディーゼルエンジンを動力源としているが、戦前はガソリンエンジンによるガソリンカーがほとんどだった。当時、気動車用ディーゼルエンジンの開発に取り組み実用化に至った例もあり、南満洲鉄道ジテ1形(1934年)、相模鉄道キハ1000形(1935年)がそれだ。しかし、第2次世界大戦によってその技術が生かされないまま開発は中断し、戦後の鉄道復興を待つことになった。

戦後の気動車の基礎を築いたのは、1953年に登場したキハ10系だ。当初の形式はキハ45000形で、その後の気動車の一般的な動力伝達方式となった液体変速機を搭載した国鉄初の気動車、キハ44500形を改良して量産化。1957年までに合計728両が製造された。

キハ10系の成功はローカル線の無煙化に貢献し、SLの引く旅客列車を置き換えて日本全国に活躍の場を広げた。筆者も昭和30~40年代の旅行ではよく乗り、撮ったものである。形式的には両運転台のキハ10、11形、片運型のキハ16、17形、寒地型のキハ12形など、多数のバリエーションが存在した。

キハ10系に次いで1957年に登場した一般形気動車がキハ20系だ。軽量化のため車体がやや小さかったキハ10系に比べ、一般的な電車や客車と同等の車体で居住性が向上し、全国各地の路線に投入された。

キハ20系もさまざまなタイプがあり、エンジンを2基搭載してパワーアップしたのが1958年に登場したキハ52形で、高原鉄道の愛称で知られる小海線など勾配線区で活躍した。近年までJR線で活躍しており、最後に残った大糸線では2010年3月のダイヤ改正で引退した。同線で走っていたキハ52形は千葉県の第三セクター、いすみ鉄道に移籍し、今も元気な姿を見せている。北海道向けには1958年から耐寒耐雪構造で窓が小さくデッキ付きのキハ22形が開発され、東北地方でも活躍した。

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