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「早大1浪2留中退」名家の母を嘆かせた彼の後悔 早稲田行きたい一心で浪人を決意、彼のその後

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 7時0分

休みのない生活を送っていたためか、小学校のときの成績はとてもよかったそうです。通知表の評価は高い順に「とてもよくできました」「よくできました」「頑張りましょう」の3つでしたが、「『頑張りましょう』が1個でもあったら、親に心配されて指摘されました」と、彼は当時を振り返ります。

優等生だった西さんは、そのまま地元の公立中学校に進学します。

中学ではバスケ部に入ったそうですが、小学生のときと同様に勉強にも力を入れていたため、部活のみに集中することはできなかったそうです。

「180~200人くらいいた学年で10番以内の成績だったのですが、親は満足しておらず、2年生から地元の塾の英進館に通いました。バスケはレギュラーだったのですが、塾に行かないといけなかったので、毎日大変でしたね」

高校に合格したことに満足してしまった

漫画やテレビゲームを買ってもらえず、見てもいいテレビ番組に制限がある中、受験勉強をひたすら頑張った西さん。その努力の甲斐あって、高校受験で見事、福岡の名門、筑紫丘高等学校に合格します。

英進館では「通い出してから、3カ月後に表彰をもらった」と語るほど、集中的に勉強し、成績を伸ばした西さん。

しかし、「高校に合格したことに満足した」彼はすぐに遊び始めたそうです。

「もともと自分は、やさしく楽しい道をすぐに選びたがる人間なんです。入ったときは学年523人中で200番以内の成績だったと思うのですが、Jリーグが始まってから(テレビで)サッカーが見たくなって、勉強をしなくなりました。その結果、480番くらいまで成績が下がり、それからもずっと400番台が定位置でしたね」

高校3年生になった彼は、私立文系コースに進み、早稲田大学に進もうと勉強を頑張ります。彼はもともと、中学のときにはすでに「早稲田しか行かない!」と志望校を心に決めていました。

「家族がラグビー好きで、早稲田のえんじ色のユニフォームがかっこいいと思っていましたし、早稲田と同じくバンカラな校風の高校も好きだったので、高校に入ってからは、よりいっそう早稲田しかないと思っていました」

一方で、現役で合格できる気はまったくしなかったそうです。

「高校2年生まで模試をまったく受けていないので、偏差値は不明でしたし、指定校推薦をもらおうともしたのですが、評定平均4以上ないとダメだったので、3.2だった自分は論外でした。

ここで下手に勉強をして、早稲田以外の大学に受かったら、そこに入れさせられると思いました。そこで、6月から3カ月間は忙しくなる、高校の大事な行事であった体育祭のリーダーに立候補して、浪人できる口実を作りました。結局、体育祭が終わったあとの9月には見事に燃え尽き症候群になってしまったので、もうこの時点で親に浪人する宣言をしました」

早稲田しかないと思い込んでいた

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