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脱原発に必要な抑止力とは

ニューズウィーク日本版 2015年8月18日 17時4分

 2013年9月に関西電力大飯原子力発電所が定期点検で停止して以来、日本は再び稼働原発ゼロの状態にあった。今月、鹿児島の九州電力川内原発が13年7月施行の新規制基準を満たして初の再稼働を行う予定だ。

 このまま日本政府が主張するように、原子力を日本の電源構成(エネルギーミックス)の20~22%(経済産業省「2030年時点で望ましい電源構成」案)まで復活するのを認めてもいいのだろうか。

 原発は「夢の先進技術」ということになってきたが、基本はウランという奇妙な鉱石が自分で熱くなるのを利用して湯を沸かし、蒸気でタービンを回して発電するだけの、原子ならぬ原始的な原理に基づく。原子力は安価というが、今は天然ガスの価格が低水準にある。最新の環境技術を活用してCO2排出を抑えれば石炭でさらに安価に発電できる。

 現在は規制緩和の議論はあるものの、国立・国定公園では地熱発電の開発は制限されている。火山国の日本にとって「地下の自然ボイラー」である地熱こそ、大きな潜在力を持つ。同じ火山国のニュージーランドでは、地熱発電が発電設備容量全体の約5%を占めている。

 休耕田に太陽光発電パネルを敷き詰めれば、発電と農村の経済振興策が一度にできる。

自己目的化する原発再開

 一方、廃棄コストなどを勘案すると、原発は実は割高なエネルギー源だ。廃炉にすれば、原発の立地する自治体への補助金等が減って(完全に撤去するまで数十年。その間補助金はあまり減らないのだが)、地方の経済・政治構造が揺らぐ。しかし、原発が海岸に立地していることを利用して、石炭・天然ガス発電所、あるいは海上輸送を活用した工場に衣替えしていけば、この面での悪影響は限定できる。

 それなのに政府は今、「2030年時点で望ましい電源構成」なるものを決定し、原発を再開しようとしている。原発再開が自己目的化しているように見えるし、新国立競技場建設と同様、手続きを踏んで決めたように見せながら、責任の在りかは巧妙に隠されている。

 日本は、国王に権限が集中する西欧型絶対主義を経ずに近代国家に移行した。国民に直接課税し、その膨大な国富で軍隊や原発という強大な装置を備える近代国家という化け物を、日本は強力なリーダーなしに「なあなあで」運営している。これでは「想定外」の事態に敏速に対応できず、決定に対して責任を取る者もいない。衆議の中で合意をつくり上げていくのが大変だから、途中で問題を指摘しても取り上げない。

 その結果、日本の原発は、隕石落下はまああり得ないにしても、テロやミサイル攻撃、地盤崩落といった事態には脆弱なままとなっている。国土の狭い日本では、集団大量避難を強いかねない、しかもいざというときには責任の在りかが不透明な、原発のような大型装置は置かないに越したことはない。

 原発は、原爆と切っても切れない関係にある。原発を持っているだけで、核武装能力ありと思われ、核保有国も注意を持って接する。日本の周囲ではロシアだけでなく、中国、北朝鮮が核兵器を保有し、韓国も保有への野心をのぞかせる。

 この環境で日本が原発を全廃するには、サウジアラビアがパキスタンと合意しているといわれるような有事の原爆「融通」の約束か、原爆に代わる抑止力を整備しないといけない。ミサイルを撃破できるだけでなく、日本に核テロを仕掛けようとする国に対しては、同等の被害を与える報復能力も備えなければいけない。他方、核の研究・利用は人類にとって絶対必要なので、量子コンピューター開発、常温核融合技術の開発などで専門家を維持していけばいい。

 コンセンサス社会にありがちの「この辺りがせいぜい」という大人びた諦めではなく、各省庁の縄張り、規制の網の目を創造的に組み替えて、目標を実現する工程を提言する、チャレンジ精神を持とうではないか。

[2015.8.11号掲載]
河東哲夫(本誌コラムニスト)

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