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企業という「神」に選ばれなかった「下流中年」の現実

ニューズウィーク日本版 2016年6月21日 16時0分

<「下流老人」よりむしろ深刻なロスジェネ世代の逆境にクローズアップした『下流中年 一億総貧困化の行方』。介護離職から非正規スパイラル、ひきこもり、ワーキングプアまで多くの問題を取り上げているが、下流中年たちの生の声はここにはあえて引用しない>

『下流中年 一億総貧困化の行方』(雨宮処凛、萱野稔人、赤木智弘、阿部彩、池上正樹、加藤順子著、SB新書)は、介護離職、非正規スパイラル、ひきこもり、ワーキングプアなど、さまざまな逆境に直面した中年層の現実にクローズアップした書籍。

「生きづらさ」をテーマにした数々の著作を発表している作家・活動家の雨宮処凛、哲学者の萱野稔人、フリーライターの赤木智弘、子どもの貧困の問題について尽力する首都大学東京都市教養学部教授の阿部彩、引きこもり問題に詳しいフリー・ジャーナリストの池上正樹、団塊ジュニア世代のライター、フォトグラファーである加藤順子の共著となっている。

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 主役は、バブル崩壊後の1994年から2005年ごろまでの就職氷河期に就活を行っていた「ロスジェネ世代」だ。いまや40歳を越える中年となった彼らを取り巻く"リアル"に焦点を当てているのである。

 いったん、派遣社員などの形で非正社員となると、そこから正社員に這い上がることはなかなか困難(非正規雇用のスパイラル)で、「中年フリーター」と呼ばれる人たちの増加として統計数字上はっきりあらわれてきているのだが、彼らの受難、「生きづらさ」とは一体どのようなものなのか。(5ページより)

 このことについては、雨宮と萱野との対談からなる第1章『「生きづらさ」について』から8年、生きづらさはどう変わったか」に明らか。両者は、2008年7月に刊行された『「生きづらさ」について』(光文社新書)の共著者であり、そこでは「ロスト・ジェネレーション」が直面していた過酷な現実について論じられていた。つまり本書では、そこから8年を経た現在、彼らの現状について検証されているわけである。とはいえ予想に違わず、浮き彫りになっているのは、今や"下流中年"となったロスジェネ世代の過酷な現実だ。

 たとえば「団塊ジュニア世代とそれより若い世代をくらべた場合、後者には比較的マシな面もあったのでしょうか?」という問いに対し、萱野は「基本的には何も変わっていないと思います」と前置きしたうえで次のように解説している。

 1998年から2000年頃にかけては、100社以上の採用試験を受けて「内定ゼロ」というのも珍しくないほどの超就職氷河期でした。しかしそれ以降になると、嘘のように簡単に採用される年もありました。リーマン・ショックの前年(2007年)とか、あるいは2014年、2015年とか。2015年なんてまさに人手不足で、特に新卒は売り手市場になっています。(22ページより)

 端的にいえば、「何年に生まれたか」というだけのことで人生が左右されるわけで、そのあおりをもろに受けているのがロスジェネ世代だということだ。雨宮はそのことについて、「ある意味では、『社会実験のモルモット』にされたようなものかもしれませんね」と述べているが、これはあながち間違った解釈ではないだろう。



 第2章「我々はいかにして『下流中年』にさせられているのか?――働くことの意味を問い直す」で、このことについてさらに深く掘り下げているのは、1975年生まれで、自ら「下流中年」になったと認める赤木だ。バブル崩壊の余波を全身で被った世代として、学生時代のバイト代と大差ない賃金を得ながら、なんとか生き延びてきたと彼は自負している。

 そして、下流中年とは、企業という「神」に選ばれなかった存在だとも主張する。実際のところ、大半の日本人が企業から多くのものを授かっているだけに、これは決して大げさな表現ではないだろう。

 現在日本においては、企業に見出され正社員としての刻印を受けることが人間の始まりであり、人間になって初めて車を買ったり、家庭を築いたり、家を建てるだけの賃金を得ることができる。そもそも結婚して「家」を築くことですら、正社員として働き、一定の安定した収入を得ることでしか成し得ないのだ。
 ではそれを得られない人間は......? ずっと年200万円以下の賃金で、たった一人で1年1年何とかしのいでいくしかない。(69~70ページより)

 多くの人にとってこの点は、実際のところなかなか気づきにくい問題でもあるだろう。少なからず「神」に選ばれている以上は、報道などを通じて目にすることはあったとしても、皮膚感覚として理解しにくいことだからだ。

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 しかし、選ばれなかった人たちは、「ずーっとそうした生活を続けている」と赤木はいう(蛇足ながら、この「ずーっと」という表現の生々しさを少し恐ろしく感じた)。多少の増減があったとしても、非正規の人はいつまでも非正規のままで、ただ同じ生活を繰り返すことしかないとも。そのぶん、"非正規を数字で見るような報道"には違和感があるというが、無視すべきでないのはこの点だ。

 つまり下流中年は、「そこに生きる意義」を欠いたままの状態で生かされているのである。もちろん収入は多ければ多いほどいいし、そのぶん生活も安定するだろう。しかしそれ以前に彼らも、社会の一員として認められるようなシステムが確立されなければならない。

 中年層は、活き活きとして働ける場がないと、決してハッピーにはなれません。潤沢な生活保護があってもダメです。社会で自らの役割や居場所があり、そこで自分の能力を発揮できる。そういった職場があることが、中年層には大事です。(123ページより)

 第3章「それでも、『下流転落』に脅えることなかれ――分断社会から安心社会へ」において、阿部もインタビューを通じてそう主張する。ちなみに"潤沢な生活保護があってもダメです"という彼女は、厳しい状況に追い込まれている人たちには支援が必要で、そこから抜け出す方法を考えていく一歩の一つが生活保護であるべきだとも主張している。

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 一見すると、これは矛盾した論理展開だ。「生活保護があってもダメ」といいながら、「いざというときは生活保護を」と訴えているのだから。ただし、ここには、そういうこと以前に注目すべきポイントがある。

 つまり、「活き活きとして働けて、人間としての尊厳が保てる」状況があるべきなのだが――それは当然の理想論なのだが――「それ以前に、まず生きなければならない」という切羽詰まった状況に置かれている人が、それだけ多いということだ。つまり、結果的に論理の矛盾を生んでしまうほど、問題は複雑化していると捉えるべきなのではないか。



 今は社会に関わりを持てている"働き盛りの"中年世代であっても、突然、転落するかもしれないリスクは誰もが持っている。それどころか、真面目で、他人の痛みを理解できる優しい普通の人が、"社会のレール"から外れて、抜けられなくなっていく。
 1日に10時間以上働いても、月に10万円余りにしかならない実態にあえいでいる働き盛りの世代も多い。(235ページより)

 池上と加藤による第4章「ルポ・下流中年 12人のリアル」のまとめ部分には、上記のように書かれている。ではそんななか、中高年世代にもっとも必要なものはなにか? それはセーフティネットだ。彼らは生活困窮者自立支援法では対象になっているものの、窓口の対応では想定されていないというのである。だから、それがまた彼らを苦しめる。社会の役に立ちたいと思っても、道が用意されていないのだ。いま、すぐにでも取り組むべきが、その点の改善であることは明らかだろう。

 なお、この章で明らかにされている下流中年たちの生の声をここに引用しなかったことには理由がある。あまりに生々しすぎるだけに、引用の確認で済ませず、一字一句読んでほしいという思いがあったからだ。現実的に、いま、私たちにできることは少ないかもしれない。しかし、だからこそ、彼らの真実を受け止めることが大切だと考えるのである。


『下流中年 一億総貧困化の行方』
 雨宮処凛、萱野稔人、赤木智弘、阿部彩、池上正樹、加藤順子 著
 SB新書


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。



印南敦史(作家、書評家)

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