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トランプ政権はキューバと再び断交するのか? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2016年11月29日 15時30分

<カストロ死去に際してキューバとの再度の断交まで示唆するトランプだが、キューバ系移民への政治的配慮は理解できるとしても、すでに始まった両国間のビジネスを止めることはできない>(写真:ハバナ中心部に掲げられたカストロの写真と、追悼のために行列を作るキューバ市民)

 フィデル・カストロ前議長の訃報に際して、ドナルド・トランプ次期大統領はかなり辛口のコメントを出しています。「(オバマ政権による)キューバとの取引は良いディールではない」というスタンスで、このために、様々な紆余曲折の結果として実現した国交正常化を「キャンセル」するかもしれないというニュース解説まで出ています。

 この「トランプの辛口発言」ですが、少々わかりにくい点があります。というのは、他でもないトランプ氏が「カストロは冷酷な独裁者だった」「キューバにおける人権の確保、政治犯の釈放が絶対に必要だ」などという「リベラルな価値観」に基づく発言をしているからです。

 例えばですが、ロシアのプーチン大統領や、シリアのアサド大統領に対してトランプ氏は「独裁的な方が、話が早い」と言わんばかりの姿勢を見せており、この両国に対しては「人権」とか「政治犯の釈放」といった要求をしたことはありません。

 では、どうしてキューバに対しては「人権外交」めいた発言になるでしょうか?

【参考記事】カストロの功罪は、死してなおキューバの人々を翻弄する

 その背景には、フロリダのキューバ系移民社会の複雑な対立軸があります。それを理解するには、少々古い話になりますが、1999年に発生した「エリアン・ゴンザレス少年事件」が分かりやすい例になると思います。

 ゴンザレス少年(事故当時5歳)は、キューバから、母親、そして母親の新しい交際相手の男性と一緒にボートに乗ってフロリダに亡命しようとしました。ところが荒れたカリブ海で嵐に遭遇してボートは転覆、大人達は死亡して、ゴンザレス少年だけがアメリカの沿岸警備隊に助けられたのです。

 フロリダには、死んだ母親の親戚が住んでいました。彼等は、少年の亡命を強く主張しました。ところが、キューバ政府は、キューバに残る父親と祖母を政治的なシンボルに仕立てて、少年奪還の「国民大会」を連日繰り広げたのです。



 対応に苦慮したクリントン政権は、ジャネット・リノ司法長官(当時)が陣頭指揮に当たりました。リノ長官は、フロリダ側で「永住亡命」を主張する「アメリカの親戚」と、「奪還」を主張する「キューバの家族」の間に入って、国際法、国内法、国内世論、対キューバ政策を考えての複雑な判断を迫られたのです。

 当時のアメリカの世論、特にフロリダの世論は、このゴンザレス少年の処遇についてまっぷたつに割れました。そして、その対立軸は、単純ではありませんでした。

 まず民主党系あるいはリベラルの側には、「自由と人権の擁護、移民受け入れ拡大」という考え方から「永住亡命賛成」という意見がある反面、「キューバとの関係改善」のためにキューバの主権を認めて「送還せよ」という考え方もあったのです。

 一方の共和党系あるいは保守の側には「反共の大義に基づいてキューバとは徹底対決」という考え方から「永住亡命賛成」という立場があり、その反対に「移民受け入れ反対」という考え方からの「送還」論もありました。

【参考記事】オバマの歴史的キューバ訪問で、グアンタナモはどうなる?

 つまり、この問題に対しては、キューバ系移民を中心としたフロリダの世論には、4つの「イデオロギー」的なリアクションがあったわけです。更に、永住亡命にしても送還にしても「かわいそうなゴンザレス少年」を何とかしたいという感情論がその上に乗っかる形で、世論は迷走しました。

 この99年の事件ですが、最終的には、リノ司法長官(当時)がキューバから少年の父親を呼び寄せ、その父子の様子をテレビで放映し、アメリカの世論を安心させて、最終的に父子をキューバに送り届けてドラマの幕引きを行いました。

 それから17年の年月が流れ、民主党のオバマ大統領がキューバとの国交回復に漕ぎ着けたのには、この「ゴンザレス少年事件」への対応によって、カストロ政権がアメリカの民主党に対して信頼感を持ったのが遠因の一つという解説もあります。

 では、この2016年の現時点でトランプ次期大統領は、いったい何に基づいて「カストロの死に対して断交を匂わすような辛口発言」を行っているのでしょう?



 一つには99年から今に至るまで続いている複雑な対立軸の中から「使える」ロジック、つまり「反共という大義」や「移民流入拡大への反対」というようなものを「混ぜ合わせて」話していることがあります。

 それ以前の問題として、オバマ大統領は、議会の承認を経ずして「大統領令(エグゼクティブ・オーダー)」を使って、このキューバ国交正常化を実現したわけです。そうしたオバマの「大統領令による政治」についてトランプは「全て白紙還元する」と言っているわけで、この「アンチ・オバマ」というスタンスが軸になっているという面もあります。

 実際に、このオバマによるキューバ国交回復に関しては、前述したような「複雑な対立軸」を抱えたフロリダの世論の中には「一方的すぎる」という声が確かにあり、この州でのトランプ勝利の遠因の一つとして数えられるという見方もあります。

【参考記事】キューバ系アメリカ人を乗せない客船が象徴するカストロ抑圧体制

 いずれにしても、対立軸を考えると、共和党の次期大統領であるトランプ氏が「キューバ国交の見直し」を言うということは、過去の経緯や対立軸を考えると、とりあえず政治的な筋は通っていることになります。ただ、実際のところはすでに経済関係は走り出しており、アメリカの航空会社による直行便乗り入れも、この今週28日にマイアミ発のAA便を手始めに各社の初便が就航しています。ここまで来ての「ちゃぶ台返し」は、事実上難しいと思います。

 ちなみに、99年の時点で「ゴンザレス少年奪還」運動を指揮したのは亡くなったフィデル・カストロ本人で、以降、フィデルは少年の父親代わりとして様々な形で面倒を見たそうです。今回、その死に際して、22歳の立派な青年になったエリアン・ゴンザレス氏は、メディアの取材に応じて丁重な弔意を表していました。

 一方で、当時のアメリカ側では司法長官として毎日のように記者会見で淡々と法律論を語っていたジャネット・リノ氏も、今月8日、大統領選の前日に静かにこの世を去っています。享年78。実は彼女はマイアミに生まれ、マイアミで亡くなったという「ゴンザレス少年事件」における「地元住民」の1人でした。

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