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赤狩りと恐怖の均衡について(下)「核のない世界」を諦めない その5

Japan In-depth / 2024年5月1日 11時0分

赤狩りと恐怖の均衡について(下)「核のない世界」を諦めない その5




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・1955年7月9日、「ラッセル=アインシュタイン宣言」が発表された。





・キューバ危機において「恐怖の均衡」は最初から存在せず、むしろ「不均衡」が危機の引き金になった。





・核戦争に対する抑止力とは「恐怖の均衡」ではなく、政治指導者たちの理性。





 





1955年7月9日、英国ロンドンにおいて「ラッセル=アインシュタイン宣言」が発表された。





英国の哲学者バートランド・ラッセルと、前回も紹介した米国の物理学者アルベルト・アインシュタインが共同で起草し、発表に際しては世界中の高名な科学者11名が署名した。その中には、日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹の名前もある。





実はアインシュタイン自身は、発表からさかのぼること約3ヶ月、同年4月17日に世を去っており(享年76)、11日に起草されたこの宣言について、人類に向けての遺言であると受け取る人も多い。





内容をかいつまんで述べると、広島・長崎に投下された原子爆弾よりも数千倍強力な水素爆弾の開発競争が始まっていることを広く知らしめ、核兵器の使用だけではなく、紛争解決のために軍事力を用いること自体を禁止すべきこと、そして、科学技術は平和目的にのみ利用されるべきである、としている。





この宣言に呼応して、1957年7月7日、カナダの片田舎であるバグウォッシュに10カ国22人の科学者が集まり、核問題を討議した。これが有名な「バグウォッシュ会議」で、以降、ほぼ毎年開催されているが、名称は最初の開催地のそれを踏襲している。





1995年には、この会議に対してノーベル平和賞が授与されたが、会議が回を重ねるごとに、核兵器廃絶を求める世論が高まっていったわけではなく、むしろ逆に近かった。





まず、当初は核兵器の存在自体を「絶対悪」と規定していたのだが、一部の学者は、米国の核実験に対しては痛烈な批判を加えるのに、ソ連邦の核実験にはそれほどでもない、という態度をとるようになった。これでは大衆的な支持を得られるはずもない。





日本から参加した学者も、こうした一部参加者たちの態度に業を煮やして「京都会議」を立ち上げたほどである。





このように述べると、赤狩りは結局正しかった(少なくとも、やむを得なかった)のでは、と考える向きもあるやも知れぬが、私は同調しかねる。





まず、米国の核実験ばかりを批判した学者がいたことは事実だが、そもそも彼らは、帝政ロシア支配下のポーランドなどから亡命したユダヤ系の学者たちで、共産主義と言うより、帝政ロシアとナチス・ドイツを打ち負かしたソ連邦に対してシンパシーを抱いていたに過ぎない。





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