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トランプとキヤリア社の雇用維持取引は詐欺だ

ニューズウィーク日本版 2016年12月9日 17時38分

<メキシコに工場を移転しようとしていた空調メーカーが従業員850人を国内で雇用し続けることにしたのは、トランプが会社に補助金を握らせたから>

 米空調機器大手キヤリア社との「取引」に成功した、と豪語するトランプ次期米大統領の言葉を真に受けてはいけない。あれは取引ではない。たちの悪い賄賂であり、詐欺だ。

 トランプと現職のインディアナ州知事で次期副大統領のマイク・ペンスは、工場移転でインディアナ州の2000人の雇用をメキシコに移そうとしたキヤリアに対し、雇用の一部を守る代償に700万ドルの税制優遇措置を提供した。トランプは工場を国外移転すればただでは済まないと大企業に警告してきたが、実際は、解雇話が出るたび雇用主のポケットに札束を詰め込むつもりらしい。

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 取引の結果、850人の雇用が守られた。ただし一方でキヤリアは、数百人分の仕事をメキシコに移す。今回雇用が維持された従業員も、先の保証はない。

 トランプは、一部の従業員のために本当に解雇されるまでの僅かな時間稼ぎをしたかもしれない。だが、彼らの今後の雇用を保証する助けにはなっていない。それどころか、企業に悪用されかねない危険な前例を作ってしまった。国内の雇用を人件費の安い海外に移すと言えば、米政府は雇用の一部を残すことと引き換えに巨額の補助金を提供してくれる、というのだから。

雇用創出より企業にエサ

 もしそれがトランプ次期大統領のやり方なら、労働者は大いに憂慮すべきだ。トランプ流の経営介入の主眼は企業に「エサ」を与えることであり、労働者の権利の拡大や雇用創出ではないからだ。

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 労働者に資する真の解決策を見出すには、中間所得層の雇用をせっせと海外に移す大企業に限られた財源を垂れ流すのではなく、労働者にもっと発言力を与えることだ。重要な決定の場には、労働者が立ち会う。例えばドイツ企業では、買収の決定には必ず労働者の代表が取締役会に立ち会わなければならない。対してアメリカでは、移転騒動に揺れたキヤリアの従業員の多くが加盟する全米鉄鋼労働組合(USW)は、交渉の場から完全に締め出された。

 しかも海外移転は完全に中止されたわけではなく、キヤリアと親会社であるユナイテッド・テクノロジーズの工場では、1000人近い従業員を3年以内に解雇する予定だ。

 企業の海外移転の影響を抑制するための方策は他にある。例えば、850人の雇用を守るために費やした700万ドルを全従業員の職業訓練に活用することもできた。どうせいずれは工場閉鎖に追い込まれるのだから。

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 海外移転に勤しむ企業に税制優遇措置を与えるより、労働者の再訓練を目的にしたプログラムを支援する方がよっぽど賢い公共投資だ。再訓練をすれば労働者は新しい仕事を見つけ、生産性を高め、キャリアの構築にもつながる。そうした人材に投資するタイプの投資は、労働者の長期的な経済的安定を確立するのにも役立つ。



 労働者がより現代的な仕事に適した訓練を受ければ、経済全体が上向く。かつて鉄鋼業などが盛んだった「ラストベルト」と呼ばれる地帯で、成長率の高い産業を生み出して全体の需要を底上げする。インディアナ州の経済に必要なのはこういう取引だ。長期的な利益がないのに税収をみすみす逃し、労働者やその家族を置き去りにするのは得策ではない。

 アメリカ大統領に就任すれば、トランプはこの種の課題に何度も遭遇するはずだ。今回のトランプの対応からは、彼が労働者世帯をないがしろにする米企業との取引を好み、労働者の人的資本やアメリカ経済全体の増強につながる投資を控えようとする姿勢が鮮明になった。

 そのうえ、大企業が気前のいい連邦政府や州政府との場当たり的な取引を求めるあまり、労働者の雇用を人質に取るのを助長するような、悪しき前例を作ってしまった。

 ビジネスの世界ならそれでいいかもしれない。だが国を動かすのに、トランプ流は通用しない。


アンジェラ・ハンクス(米国先端政策研究所副参事)、ケイト・バーン(同エコノミスト)

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