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収入を決めるのは遺伝か親の七光りか:行動遺伝学者 安藤教授に聞く.2

ニューズウィーク日本版 2017年2月24日 16時30分

行動遺伝学が明らかにした知見の1つは、収入にも遺伝が影響しているということです。ならば、私たちの人生は生まれた時点で概ね決まってしまうのか......? 行動遺伝学者 安藤寿康教授に尋ねました。

(その1はこちら)



•安藤寿康著『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(SB新書)

収入に与える遺伝の影響は45歳がピーク

――先の記事で特に反応の大きかったトピックが「収入に与える遺伝の影響は、歳を取るほど大きくなる」です。20歳くらいだと、遺伝よりも共有環境の方が収入の個人差に影響するのだけれど、年齢が上がるにつれ遺伝の影響が大きくなっていくと。「45歳で遺伝の影響はピークを迎える」ということなんですが、これはどう考えればいいんでしょう。どういう経験を積んでも、結局は持って生まれた遺伝子セットによって収入もある程度決まってしまうと言うことなんですかね?

安藤:遺伝の影響が大きくなるというのは、確かにわかりにくいですね。山形や中室ら研究者が行った研究がどういうことを表しているのかイメージしやすいように、双生児で極端な例え話をしてみます。

ある一卵性双生児の1人は、大学卒業後、なりたい職業が思いつかなくて、その気もなく受けた会社にことごとく落とされたのでフリーターになり、もう片方はやっぱり特になりたい職業が思いつかなかったけれど、たまたまその気もなく受けた会社から気に入られたのでとりあえず会社勤めをしたとしましょう。でも、それから数十年して45歳くらいになると、だいたい似たような社会的ポジションについている可能性が高いということなんです。フリーターになった前者はそのままフリーターを続け、後者は会社に入ったもののやっぱり合わなくてフリーター的な生き方を選ぶかもしれない。あるいは、フリーターになった前者がやっぱりどこかの会社で頑張ろうという気になって、後者と同じような働き方をするようになるかもしれない。そういう傾向が見られるということです。

一方、共有環境が小さくなるということは、次のように説明できます。ある二卵性双生児の1人は外向的でコミュ力が高いけれど、もう一方はそれほど高くない。親が金融関係で活躍していたので、そのコネでどちらも名の通った銀行に勤め、若いころのお給料はどちらもよかった。しかし外向的な方はその後海外に赴任して業績を上げどんどん出世したけれど、内向的な方は海外赴任の機会もあったのに辞退したりしてパッとせず、ずっと平社員にとどまった......みたいな感じです。

もちろん、どういう仕事に就くことになるかについては、たまたま遭遇した社会的な文脈も大きいですよ。例えば、一卵性双生児の片方が日本で銀行員になり、片方が何かの事情でアフリカに行くことになったとして、後者がアフリカでは日本の銀行員で発揮されるような素質では通用しないかわりに、まったく違う職業適性を見つけることもあり得ます。それは遺伝と環境の交互作用、つまり違う環境ではちがった素質が出てくるという現象として理解されます。

収入と遺伝の相関を調べた研究が示しているのは、少なくとも今の日本において、学校を卒業してから20数年間のうちに人が行う収入に関わる行動の出方や環境の選択には遺伝の影響があり、人はある程度、その社会の中で向かうべくして向かう方向へ動いているらしい、ということなんです。

――一卵性双生児であっても、入試の成績が数ポイント違ったことで違う学校に進み、それによって人生が大きく変わってくることはありそうな気がしますけど。

安藤:程度問題ですから、多少の差は出てくる可能性はもちろんあります。しかし、この研究が示しているのは、全体として見ると学校の違いがその後の人生における収入の劇的な差にはつながっていないということですね。学校の違いはもともと能力や才能の違いを反映していて、たまたま違った学校に行かざるを得なくなったとしても、結局はもともとの持ち味がその後のいろんな場面でものを言ってくる、ということなんだと思います。



遺伝でなく、環境で収入が決まるのはよいことか?

――ただ女性の場合、収入に対する遺伝の影響は、生涯にわたりほぼゼロということでした。

安藤:そうなんですよ。日本においては、男性のほとんどは就労しているので、遺伝的な影響が仕事そして収入に現れてきます。仮に、日本でも女性のほとんどが就労していれば、男性の場合と同じように収入に対する遺伝の影響が出てくるでしょう。この研究では、就労している女性とそうでない女性を区別していません。ただそうした違いまでふくめた女性全体を眺めたとき、何らかの才能があってもそれを収入を得るという形では発揮せず、あるいは「女だから」とみなされて発揮できず、例えば家庭を支えることを選択する女性が一定数いる、といったことを表していると考えられます。

――男女で遺伝的な能力差のようなものはあるのでしょうか?

安藤:男性は女性よりも数学的な能力に優れ、女性は男性よりも言語的な能力に優れているという傾向は見られます。

ところが、「女性は数学が苦手」というのは心理的な影響によるところが大きいようなんです。実際、数学に対する苦手意識を取り除く措置を執ることで、女性の数学の成績が上がったという研究もあります。どうやら、女性は数学が得意でも社会的に評価されない、あるいはそう思い込んで数学的な能力を抑圧しているようですね。

これは男女の平均値の違い、集団としての違いです。男女で、遺伝的素質の個人差が違って現れることを示した研究はまだありません。何か、ありそうな気はしますけどね。男性は会社組織を大きくするような野望を持つかどうかがものをいうのに対して、女性は製品やサービスにどれだけ心を込めた表現ができるかがものをいうとか。ん〜、でも結局、男も女も違わないのかな......。

――収入に対する遺伝の影響がゼロということは、その人が持って生まれた素質が活かされていない社会的な状況にあると考えていいのでしょうか?

安藤:そういうことが示唆されているような気がしますね。遺伝の話が嫌いな人は、遺伝の影響が少ないほど望ましいと考えがちなんですが、それは錯覚だと思います。遺伝ではなくて、生まれた家庭や偶然といった環境だけで個人差が決まってしまう状況がいいかといえば、そういうわけではないでしょう?

人類の歴史では、家柄やたまたま生まれ落ちた境遇で一生が決まることを理不尽とみなしてきました。本当の力を評価される機会さえ平等に与えられればだれでも平等になれると信じ、闘争や革命によって、機会の平等を勝ち取ろうとしてきたわけですから。しかしその「本当の力」に遺伝の差があることを過小評価しすぎていた。あるいは機会の平等化が遺伝の差を顕在化させ増幅させてしまった......。

――それでは、望ましい社会的な状況とは?

安藤:今のロジックが正しいとすれば、遺伝の差異が理不尽な社会的格差に結びつかない社会システムにしてゆくということでしょう。人によって、音楽が好きとか、頭を使うのが好きとか、体を動かすのが好きとか、いろいろな個人差があるのは当然です。そうした個人差はあっても、社会的に重要な指標については分散が小さい、つまり格差が少ない状態が望ましいとは言えるでしょう。

世間から光が当たらなくてもよい収入が得られる、あるいは収入は多少低くても、納得のいく生き方ができて、その生き方が周囲の人々から本当に愛されて、尊厳を持って生きていけるのならいいですが、収入も尊厳も得られない人、したくもないことをして最低限の収入すら得られない人だっているわけです。多くの人がしたくないと思っている日陰の仕事、誰でもできそうだからと思われて人に任せきっている「ありきたり」な仕事、そういうところで使われている能力、才能というものを、いかにしてそうでない「輝かしい」才能と同様に評価できるようにしていくか。それは社会が健全に育つために必要なことです。

もちろんそんなことには多くの人が気づいていることでしょう。だって多くの人がそういう状況にあるんだから。でもそれを社会全体として実現できないでいる。やはりなかなか難しいことです。適材適所で人が能力を発揮できる、そういう方向を目指し、不適在不適所に陥ってしまっている人たちが声を上げ、あるいは互いに声なき声に気づき、何かできる素質のある人たちが何かをすることによって、社会として調整を繰り返していくしかないのでしょう。教育も本来そのためになければならないんじゃないかと思います。



親の資産は、子どもの将来と関係ない?

――収入と遺伝の相関の話が出ましたが、これに関して疑問があります。例えば、先祖から財産を受け継いだ資産家なら、不労所得で食べていけるわけじゃないですか。それこそ家の庭に油田が湧いているなら、遺伝的な素質と収入は無関係ということになりませんか。

安藤:しゃくだけど、そういうことはありえそうな気がしますよね。金銭的な資産であれ文化的な資産であれ、もしその家に育つ人が同じように恩恵を受けるのだとすれば、共有環境としてその影響が出てくるはずです。でも先にも述べたように、確かに若いうちは共有環境の影響が強いのですが、45歳になるとその影響はほとんどゼロになり遺伝的な影響の方が強くなります。

超富裕層に関しては、全体に占める割合が圧倒的に少ないので、僕たちが調べている統計には出てきていないのかもしれません。どうしてもサンプル数が少なくなってしまうため、行動遺伝学のスコープからは外れています。収入にしても1500万円以上については一括りにしてしまっていますから。そうした視点を持った方といっしょに、もっと本格的な研究がしてみたいですね。

僕自身、行動遺伝学の研究を行っていながら、収入や家族の文化的傾向(音楽やスポーツなど)に関する共有環境の影響が少ないことは不思議に感じています。「食は三代」などといいますが、政治家や芸術家などにしても、二代目、三代目で本当にすごい人が出てくることは多いような気がするじゃないですか。

――音楽なら音楽にだけ没頭できるとか、若い時から仕事に巡り会うチャンスが多くて才能を開花させやすいといったことはありそうですよね。

安藤:個別の事例は多いんですが、まだエビデンスがないため、確かなことが言えません。ただそれでも、文化的なものを含めた代々の資産で、本人の収入や社会的なポジションなどをすべて説明できる、ということにはならない気はします。同じ親からも異なる方向性をもった遺伝的素質の子が生まれることはけっこうあるし、親の資産を食いつぶす子どももけっこういますからね。

個人差を包摂した社会

――アメリカではトランプが大統領になり、移民の入国を制限する大統領令を出しました。ヨーロッパでも移民の制限を主張する政党が勢力を拡大していますが、そうした政策を支持する人たちが増えているということですよね。これらの動きをすべて遺伝で説明しようとするのは不適切だと、書籍には書かれていました。しかし、「あらゆる能力は遺伝の影響を受ける」というのであれば、他人に対する共感性や想像力についても個人差があるのではないでしょうか? また、「あらゆる文化は格差を広げる方向に働く」ということですが、ソーシャルメディアなどのツールがこうした共感性や想像力の格差を広げているということはありませんか?

安藤:そういう風にも言えるかもしれませんね。しかし、科学的な知見を、社会的な行動に移す際の原則は、自然主義的誤謬をしてはいけないということ。要するに、「事実がこうである」ということと、「こうであるべき」ということをすり替えてはいけません......と言いつつ、前回の記事で僕も教育の無償化については、「確信犯的に」このすり替えをやりましたが。

「自分たちと違う奴らと交わりたくない」という人たちが一定数いることが事実であっても、そういう人たちを排除することがよいことかどうかはまた別問題です。その解がどんなものになるのかは僕にはまだわかりません。ただ1つ明確だと思われるのは、特定の人を排除することを正当化するロジックは成り立たないと思うんですよ。そのロジックによって、自身も排除されるわけですから。

2016年の相模原障害者施設殺傷事件を起こした犯人は、「障害者なんていなくなってしまえ」という趣旨の供述をしていると報道されましたが、その結果本人が危険人物として社会から排除されました。

移民が多くなることで職が奪われたりテロの潜在的脅威が増す、健常者が食うのに困っているのに障害者がぬくぬく生きている、そんなのは理不尽だ、だから移民入国を制限しろ、障害者はいなくなれ。問題を視野狭窄的にそこだけ見れば、一見それが問題解決になるように見えるのかもしれない。しかしそうして排除された人たちはどうなるのか。そうさせている原因は、排除しようとする人たちにもあるんですからね。気に食わないヤツがこの世界からいなくなっても問題解決にはならないなんて、ちょっと想像を働かせればわかることじゃないですか。

トランプのやり方についても、たぶんそのままやろうとしてもうまくはいかないと思います。ただ彼を選んだ人があれだけいるという事実は、そういう想像力すら働かせられない状況がまだ解決してないアメリカ社会を、そして人類史の今の段階を表しているということなんでしょう。

遺伝的多様性をもつ人たちの誰もが、自分の欲望と他者の間で、折り合いを探る。そしてどんな遺伝的組み合わせで生まれてこようと、生まれてきた以上、そのすべてがきちんと生きていける仕組みを作り続けようとする。政治も科学と同じくデータに基づいて人々の不満を改善し、システムの不具合を検証し、また別のところで不具合が出たらそれを改善していく。そのプロセスを試行錯誤で繰り返すしか、人類が、生命が、生き延びる道はないでしょう。AIやゲノム編集の技術なんかも、文化的意思決定や遺伝資源の均質化に向かうのではなく、遺伝的多様性、生物多様性という生命の本質に逆らわず、そういった方向に生かされるのであればいいんですが。

今の世界は「こうすべきだ!」という感情論を唱える人が現れて、それが人々を扇動していますが、そういう時代はさっさと通過してもらいたいものです。そういう意味で、人類史はまだ始まったばかりなのかもしれません。

<プロフィール>
安藤 寿康(あんどう じゅこう)
1958年 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、慶應義塾大学文学部教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学。主に双生児法による研究により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティに及ぼす研究を行っている。著書に『遺伝子の不都合な真実』(ちくま新書)、『遺伝マインド』(有斐閣)、『心はどのように遺伝するか』(講談社ブルーバックス)など。


山路達也

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