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サウジ「改革派」皇太子に期待し過ぎるな

ニューズウィーク日本版 2018年3月20日 15時0分

<欧米にもてはやされた独裁者たちの見果てぬ夢――抑圧的支配による民主的改革という矛盾>

「中東の狂犬」ことリビアのムアマル・カダフィ大佐は2000年代半ばに国際的孤立から脱し、主要な欧米メディアは彼を共感できる人物として報じるようになった。一方で、彼のトップダウンの改革が従来の暴力による支配と変わらないことは、ほとんど注目されなかった。11年のリビア内戦でカダフィが死亡した後は、混乱と残虐な暴力が国中を打ちのめしている。

カダフィは、欧米諸国から時期尚早に「改革者」ともてはやされた中東の指導者の典型的な例だ。どういうわけか、このところアラブ世界や欧米で、強権的指導者の人気が高い。

なかでもサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子に関する最近の報道は、国際的な指導者なら誰でも憧れるに違いない。3月7日に皇太子昇格後初の外遊でイギリスを訪れたムハンマドを、テリーザ・メイ英首相は手厚くもてなし、両国の経済的および軍事的関係の強化を売り込んだ。

独裁的指導者の人気が高まっている理由の1つは、ドナルド・トランプ米大統領だ。トランプは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領やフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領、エジプトのアブデル・ファタハ・アル・シシ大統領など「タフガイ」への共感を隠そうとしない。

欧米の政府が他国の支配者を選ぶことはできないが、彼らは独裁者が安定をもたらすという考えを信じているようだ。しかし現実には、強権的支配者は善意のあるなしにかかわらず、優れた実績を残していない。

50年代~60年代、アラブ革命によってエジプトでガマル・アブデル・ナセルが、アルジェリアでウアリ・ブーメジエンが、シリアでハフェズ・アサドが政権に就き、発展と社会改革と国力の増強を約束した。ただし、彼らが築いた国家は、機能したとしても短期間だった。

革命の情熱が薄れ、穏やかな経済成長が尻すぼみになると、その空白を武力が埋めた。彼ら革命指導者の後継者はイデオロギーで世論を動かそうとしたが、中途半端でしかなかった。

「チャベス革命」の末路

そもそも国家制度の構築ほど革命の英雄に無縁なことはない。ブーメジエンによるアルジェリアの独立戦争や、73年にナセルとアサドがイスラエルと戦った第4次中東戦争を、経済発展に必要な過程だったと言うのは無理がある。

その後、エジプトのホスニ・ムバラクや、アルジェリアのシャドリ・ベン・ジェディド、シリアのバシャル・アサドがそれぞれ大統領の座を継いだ頃には政権の正統性が弱まっていた。国が方向を見失いかけた状況では市民を抑圧的に支配する以外に、統制を取る方法はほとんど残されていなかった。



これはアラブ世界だけの問題ではない。ベネズエラでウゴ・チャベスが始めた「民主的革命」は、後継大統領のニコラス・マドゥロが経済破綻という形で完成させようとしている。オスマン帝国を倒してトルコ共和国を樹立したムスタファ・ケマル・アタチュルクによる政教分離の世俗主義さえ、今では多くの国民にとって魅力が薄れている。

一方で例外もある。シンガポール、アラブ首長国連邦(UAE)、カタールは、発展と安全保障と国際的な地位の確立において、堅実な実績を収めている。非民主主義的ではあるが基本的に強欲ではない政府が、富を築き、その富で優れたインフラを整備して、より長寿で健康的な生活とさまざまな機会を市民にもたらしている。

ただし、これらの成功例は、人口が少ないこと、独特の地理的条件、膨大な富、さらにはカリスマ的指導者という条件がそろった特別な事例だ。ほかの状況では、強権的指導者の国はたいてい搾取的になる。

大規模で複雑な社会で改革を実現するためには、ある程度の国民の合意と権限の移譲が必要だ。どちらも典型的な独裁者にとっては、いくら改革志向が高かったとしても受け入れ難い。

その結果、強権政治は社会の不安定を招き、暴力や腐敗、過激化などの病をもたらす。これは分かり切った事実に思えるのだが、欧米諸国は強権的支配者の考えに迎合するだけでなく、促進してきた。

エジプトのシシは、欧米からムハンマドほど温かく歓迎されているわけではないが、テロリストを残虐に殺害し、経済改革を推進する姿勢が主要国から称賛されている。政敵や批判を徹底的に封じるやり方も、形式的に非難されているにすぎない。

欧米の為政者にしてみれば、独裁者のほうが付き合いやすく見えるに違いない。何しろ、民主主義は厄介なものだ。世論に敏感な民主主義者より独裁者のほうが、例えばアメリカに迎合しても、それほど国内に気を使う必要はない。

民主主義は扱いにくい?

さらに、民主主義が選ぶ指導者は、欧米から見れば独裁者よりはるかに都合が悪い場合もあるだろう。リビアとイエメンが現在の混乱を生き延びることができるとしたら、おそらく強権的な支配者の下でのことだ。国際社会の指導者も基本的に彼らを歓迎し、流血と混乱がようやく終わることに安堵するというわけだ。

ただし、独裁者がもたらす安定と治安は決して堅固ではない。彼らの権力を脅かすような社会のひずみが生まれ、反発、抑圧、急進化、暴力の悪循環が繰り返されることになる。



それでも、ムハンマドのような人物の登場に内外からの期待を感じずにいられない。隣国イエメンの内戦への介入は泥沼化を招いているが、自国では新しい社会契約を築こうとしている。サウジアラビアを「投資のハブ」にして、女性に自動車の運転を認め、若者に機会を与える。これらの改革は、サウジアラビアが崩壊するか、崩壊する危機よりはるかに好ましい。

しかし、欧米がムハンマドを歓迎する本当の理由は、彼がイスラム教を「正す」と改革を約束していることだ。同じ目標を掲げるシシよりも、メッカとメディナという「二聖モスクの守護者」であるサウジ国王の後継者ムハンマドのほうが言動に重みはある。

イスラム教の中でも厳格な復古主義を掲げるサウジアラビアのワッハーブ派はかつては寛容で穏やかだったが、イラン革命の恐怖から妥協と寛容さを失った――。ムハンマドが語るこの「物語」は歴史的な記録とは異なるが、彼と対話をした欧米の人々が至る所で繰り返している。

とはいえ、サウジアラビアの人々や欧米の支配層がムハンマドに熱い視線を送るのは筋違いだろう。彼が改革を実行する基本的な手法は、権力をできる限りかき集めることだ。

ムハンマドが改革を達成できず、国民に約束している生活と現実の差が明らかになって、抗議の声が広がったときに、代償を払うのは彼を支持している人々だ。

失敗するとは限らないが、強権的な支配者が民主的な改革に成功するとしたら、予想外であり皮肉な結果だ。

From Foreign Policy Magazine

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[2018.3.20号掲載]
スティーブン・クック(米外交評議会上級研究員)

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