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花粉症、温暖化、放射性廃棄物の処分──「昭和」からのツケを引き継ぐ「令和」

ニューズウィーク日本版 2019年4月12日 11時15分

「令和」の時代に期待感が高まる。とはいえ、残念なことに「昭和」「平成」とわが国が選択してきた資源・エネルギー政策のもたらした人の健康や環境問題のツケは、新時代に持ち越される。典型は、花粉症、温暖化による被害、そして放射性廃棄物の処分である。いわば自然界からのしっぺ返しとも言える未解決課題だが、その解決に向けて「令和」の時代には、人と自然との「調和」が一層迫られることになる。

戦後の拡大造林が生んだ「花粉症」

今や「国民病」ともいわれる花粉症。気象予報によると、関東地方ではスギ花粉の舞うピークからヒノキ花粉の時期に移ったとされるが、4月中旬までに収まりを見せるだろうか。前年夏の日射量に影響されて春先の花粉飛散が増える傾向があるだけに、今年の花粉症の発症に苦しめられた知人の声を多く耳にする。

そもそもスギ花粉症問題は、戦前・戦中の軍需や戦後の復興用の木材需要に応じるために森林の伐採が増大し、ハゲ山になるまで山林が荒廃したことに起因する。荒れた国土を襲う台風などの自然災害も招いた。昭和31年から国内の木材需要に対応して、全国で針葉樹のスギ、ヒノキを積極的に植樹する「拡大造林政策」が推し進められた。ブナなどの天然林を切り倒し、木目が真っすぐで軟らかく加工しやすいという経済性の理由だけで、スギ、ヒノキが選ばれた。

その後、燃料革命を迎えた昭和40年代には、生活に使用する燃料は薪炭から石油・天然ガスに転換していった。木材の需要もコストの安い外国の輸入材に依存した。このため、ますます山林経営が成り立たなくなり、人工林の間伐や伐採が進まなくなった。そして育っていたスギ林は、花粉を付ける樹齢30年以上のものが増加していった。

林野庁によると、国土の約7割を占める森林面積(2508万ヘクタール)のうち人工林は約4割(1029万ヘクタール)。この人工林のうちスギの人工林は44%(448万ヘクタール)、ヒノキの人工林は同25%(260万ヘクタール)に上る(2012年調査)。1000年を超すものもある長寿命のスギだが、仮に短く見積もって樹齢100年まで花粉を飛ばすとして、この花粉の大量飛散はいつまで続くのだろうか。

花粉症対策として林野庁は、花粉が付きにくい品種に改良したスギの苗木を開発、植樹を進め、2016年までに通常の苗木生産量に対する割合を3割に、2033年には約7割まで増やす計画だ。しかし今後、この割合が100%に達成しても、その苗木の効果が表れる樹齢30年まで成長を待つことになる。それでも樹齢30年以上100年までの通常のスギは存在し、すべて入れ替わるにはさらに70年かかる計算だ。スギ、ヒノキの利用促進が、むしろ解決策につながる。



石炭・石油の消費による「温暖化」

産業革命以降、人類は石炭、石油という地下に眠る「化石燃料」に依存した。その燃焼による大気中の二酸化炭素の増加と、大気の温度上昇に関係があるとの警鐘が鳴らされたのは約30年前。国連環境計画と世界気象機関によって1988年に設立された「国連気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の科学者たちの予測である。ちょうど「昭和」が終わる前年のことであった。

IPCCの報告によって、温暖化問題は国際政治の舞台に登場した。1992年にはブラジルのリオデジャネイロで「地球サミット」が開かれ、気候変動枠組み条約が署名された。その後、温暖化防止の各国の義務をめぐり、常に南北間の対立が伴ったものの、2016年に発効した「パリ協定」ではようやく途上国との足並みがそろった。とはいえ米国のトランプ大統領が同協定の離脱を宣言したことから、国際政治の上で先が見えなくなった。

当初、政治家や科学者の間でも、温暖化は二酸化炭素が原因であるかとの「懐疑論」もあった。しかし、この平成の30年間に世界では洪水や干害、山火事といった災害が多発してきた。国内の気象現象も激しくなり、集中豪雨が長く停滞する「線状降水帯」による災害をはじめ、山からの土石流や流木被害が目立つようになった。西日本豪雨、九州北部の災害は、その象徴だ。政府も温暖化への「適応策」として防災強化などに支出するようになった。

IPCCは、2018年の報告書で「産業革命以降、地球の気温は約1度上昇し、このまま続けば、2030~2052年の間に1.5度上昇する」と、パリ協定で決めた以上の意欲的な対策を呼び掛けた。人や自然は「適応」にも限界があり、1.5度を超えて2度の上昇になれば、さらに健康や水供給、食糧、経済成長、人間の安全に対するリスクが増大すると警告した。地球が誕生した46億年前、高温で二酸化炭素も高濃度だった大気から、生物が長い時間をかけて地中に封じ込めた炭素の化石燃料。その消費をどう節制するか。

先が見えない原発の廃炉

常磐炭田(現在の福島県いわき市周辺)での石炭時代の繁栄と衰退を見ながら、原子力エネルギー導入の道を選んだ福島県。昭和35年、大熊町・双葉町に原発の誘致を決め、その東京電力福島第1原子力発電所の1号機は同46年3月に運転を開始した。40年間運転中だった平成23年3月11日の東日本大地震と大津波に続く事故で、周辺市町村の住民避難を強いた原子力災害を引き起こしたのだった。

拡散した放射性物質によって汚染したため、除去されて中間貯蔵施設に集積されている土などは今後どうなるか。さらに第1原発の格納容器の底に塊となっている「燃料デブリ」はどう処理されていくか、いずれも先が見えていない。



燃料デブリは1、2、3号機の原子炉下部に、核燃料が溶けて燃料棒から落下し、圧力容器や格納容器の床を溶かして高い放射線を出し続けている。人も近づけないためにロボットでデブリの状態を探っており、どのように取り出すかは探査次第である。高いレベルの放射性廃棄物を含むだけに、取り出した後にどこに廃棄するのか決まっていない。東京電力は、福島原発の「廃炉には30年も40年もかかる」という。

政府がこれまで掲げてきた核燃料サイクル政策では、原発で発生した使用済み核燃料は各原発サイト内のプールに一定期間置かれ、冷却された後に、青森県六ケ所村の再処理工場で再処理されることになっていた。ここで生じる高レベル放射性廃棄物はガラスで固められ、地下300メートル以上の深さの地下に埋設、万年単位で放射線が減衰すると推定しながら長期管理する方法だが、その最終処分地をどこにするか選定できていない。

大きな意味で言えば、昭和、平成時代のエネルギー消費のツケを先の世に押し付けることになる。花粉症、地球温暖化、放射性廃棄物とも「昭和」時代の政策が生んだもので、人の健康被害、生態系・環境の破壊を引き起こしたことが、人間の寿命を超える自然界の時間によって明らかになった。「昭和」は遠くならず、解決にはさらに明治にさかのぼる近代150年を振り返ることも必要となる。

[執筆者]
佐藤年緒(さとう・としお)
環境・科学ジャーナリスト
時事通信編集委員、科学技術振興機構(JST)の科学教育誌『Science Window』編集長などを歴任。環境、水、災害、科学コミュニケーションなどをカバーする。日本科学技術ジャーナリスト会議会長。著書は『つながるいのち-生物多様性からのメッセージ』、『科学を伝える-失敗に学ぶ科学ジャーナリズム』(いずれも共著)など。

※当記事は時事ドットコムからの転載記事です。




佐藤年緒(環境・科学ジャーナリスト)※時事ドットコムより転載

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