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シリアの核施設を空爆で破壊せよ

ニューズウィーク日本版 2019年6月28日 15時40分

<米情報機関さえ気付かなかった砂漠の「北朝鮮製」原子炉――07年のイスラエルによるシリア核施設攻撃はこうして実行された>

シリアが砂漠の中に建設していた原子炉を、誰にも知られずに破壊する――イスラエルの秘密ミッションの詳細を描いた、エルサレム・ポスト紙編集主幹ヤーコブ・カッツの新著『シャドー・ストライク(Shadow Strike)』から内容を抜粋して掲載。

◇ ◇ ◇


07年4月中旬、頭の薄い小太りの男が杖を突きながらホワイトハウスの西棟に入ってきた。携行する小さなブリーフケースには、書類のフォルダーが乱雑に詰め込まれている。

警備担当には既に指示が出ていた。公式訪問者名簿に男の名前を記録しないこと、そして国家安全保障問題担当大統領補佐官スティーブン・ハドリーの部屋へ秘密裏に案内すること──。

室内では、ハドリー本人に加えて2人の人物が男を待っていた。1人は副補佐官のエリオット・エイブラムズ。もう1人は、驚くべきことにディック・チェイニー副大統領だった。

3人が出迎えた男はメイル・ダガン。泣く子も黙るイスラエルの情報機関モサドの長官だ。

数日前、イスラエルのエフド・オルメルト首相がジョージ・W・ブッシュ米大統領に電話をかけ、ダガンが重要な情報を持ってワシントンに行くと伝えていた。「会っていただけるとありがたい」

異例の要請にブッシュと側近たちは驚いた。一国の指導者が自国の情報機関トップとの単独会見を大統領に要請することはまずない。会うにしても、きちんとした外交慣例にのっとって手続きを進めるのが常識だ。

そのため側近たちは、まずスタッフがダガンに会い、問題の情報を評価した上で、必要なら大統領に会わせることにした。

チェイニーはこの訪問について説明を受け、自分から同席を決めた。以前からダガンを知っていたし、オルメルトの特別な要請を考えれば緊急事態に違いないと判断したからだ。

ダガンはソファに腰を下ろすと、単刀直入に言った。「シリアが原子炉を建設している。シリアの核兵器開発計画も、核兵器の保有も容認できない」

ダガンは数十枚のカラー写真を取り出し、テーブルに置いた。チェイニーが1枚を手に取り、ハドリーとエイブラムズは別の写真を取った。

建設中のコンクリートの建物であることは、はっきりと分かった。大きなパイプが内部に設置されている。これはプルトニウムを生産するための黒鉛減速ガス冷却炉で、構造は北朝鮮の寧辺(ニョンビョン)の原子炉とほぼ同じだと、ダガンは言った。外側のコンクリートの建物は内部を隠すためのカムフラージュだという。

アメリカ側の3人は言葉を失い、ダガンの写真の説明に聞き入った。そのうちの1枚で、2人の男がコンクリート構造物の前でポーズを取っている。1人はアジア系で、青いジャージーを着ていた。隣に立っているのはシリア原子力委員会の責任者イブラヒム・オスマンだと、ダガンは言った。

稼働開始はもう間もなく

次にダガンは別の写真を見せた。同じアジア系の男が写っているが、今度はスーツ姿。3人はぴんときた。先日、北朝鮮の核開発を止めるために開かれた6カ国協議の写真だ。この男はチョン・チブという名の科学者で、寧辺原子炉の責任者の1人だと、ダガンは言った。

驚天動地の情報だった。アメリカは証拠どころか、手掛かりさえつかんでいなかった。北朝鮮が最初の地下核実験を行ったのは、半年前の06年10月。核兵器保有の野望は誰もが知っていたが、北朝鮮による核技術の拡散とシリアの核武装支援を示唆する情報は皆無だった。



イスラエルは既に場所を特定したと、ダガンは言った。建設中の核施設はシリア北東部の砂漠の奥深く、ユーフラテス川沿いのデリゾールという地域に隠されているという。

以前からチェイニーは北朝鮮とシリアの関係を情報機関に探らせていた。01年には、武装組織やならず者国家が闇市場で核製造技術を売買する危険性を警告している。

アメリカの情報機関はダガンがホワイトハウスに来る数カ月前、チョンがシリアの首都ダマスカスを頻繁に訪れている事実を突き止めていた。寧辺原子炉の責任者であるチョンは監視リストに入っている。チェイニーは情報機関の報告を受ける際、そこでチョンが何をしているか、それが核開発をめぐるシリアと北朝鮮の協力を示唆するものかどうかを担当者に尋ねた。

返ってくる答えは、いつもノーだった。両国がミサイル技術で協力していることは分かっているが、核兵器で協力している証拠はないというのだ。

しかしダガンの情報は、チェイニーの直感が正しかったことを実証した。おまけに、北朝鮮は核に関するノウハウを提供していただけでなく、シリアで原子炉を建設していたのだ。

07年8月のある夜、輸送用ヘリ「CH53シースタリオン」2機がレーダーに捉えられないように低空飛行していた。機内には、いつものM16自動小銃の代わりにAK47(カラシニコフ)を携えてシリア軍兵士に変装した特殊部隊員たちが乗っていた。

イスラエル国防軍(IDF)情報部(略称「アマン」)のトップであるアモス・ヤドリンが立案した計画に基づき、最精鋭の特殊部隊「サイェレット・マトカル」がシリアに送り込まれた。部隊に課された使命は、原子炉にできるだけ接近し、写真を撮影して、土壌のサンプルを持ち帰ること。ただし、イスラエルの兵士がそこにいたことは、誰にも知られてはならなかった。

モサドが入手していた現場の写真は多くが数年前のものだったし、人工衛星が日々送ってくる画像でも正確な状況は把握できなかった。イスラエルは、原子炉に燃料棒が運び込まれているかを知りたかった。それが分かれば、原子炉が稼働開始にどのくらい近づいているかが明らかになる。

サイェレット・マトカルの隊員たちは原子炉の近くまで来ると、プラスチックの箱に土やほこり、植物を採取した。探していたのは、ウランのかすかな痕跡だ。原子炉が建設されれば、近くにウランが散らばる。

このミッション自体は、ものの数分で完了した。その後、別の兵士が小さなほうきのような道具を持ち出し、自分たちが活動した痕跡を全て取り除いた。何も後に残すわけにはいかなかった。



オルメルトとブッシュ KEVIN LAMARQUEーREUTERS

土のサンプルをラボで調べると、結果は陽性だった。これにより、この施設が間違いなく原子炉だと分かった。しかも、稼働開始が近づいていた。攻撃して破壊するなら、早期に実行する必要があった。

隠密に実行された作戦

サンプル採取を行った数日後、オルメルトはヤドリンをイギリスに派遣した。同盟国に報告しておきたいと考えたのだ(米政府は既に、シリア空爆を実施しない意向をイスラエル側に伝えていた)。オルメルトは英首相のゴードン・ブラウンに電話し、対外諜報機関であるMI6(英国情報部国外部門)の長官ジョン・スカーレットとヤドリンの面会を求めた。

このときイスラエルが提供した情報は、イギリス側が全く想定していないものだった。スカーレットは直ちに、それを「容認し難い状況」と位置付けた。

MI6は、アラブ諸国に深く浸透していることで知られている。スカーレット自身もシリアのバシャル・アサド大統領と会ったことがあり、彼のことはよく分かっているつもりだった。ところが、アサドが核兵器の開発を進めているという情報を全くつかめていなかった。英政府は、それが中東地域の、ひいては世界の安定に及ぼす影響について強い懸念を抱いた。

「君たちのミッションは、シリアの原子炉を爆撃することだ」。07年9月5日、イスラエル空軍参謀長のエリエゼル・シュケディは、パイロットたちにそう述べた。彼らは顔を見合わせた。「イスラエルの人々と国家の安全を守るために極めて重要なことだ」と、シュケディは説明した。パイロットの1人は「驚いたけれど、考えている時間はなかった」と振り返っている。

この作戦には、3つの目標があった。原子炉を破壊すること。1機も失わずに帰還すること。そして、できるだけ静かに、誰にも知られずにミッションを完了させることだ。この点は「ソフト・メロディー作戦」という作戦名にも表れていた。シュケディは隊員の一人一人と握手し、「君たちを信じている」と激励した。

任務に出発した8機の戦闘機は、レーダーに捕捉されずにシリア領空に侵入するために地上60メートルの超低空飛行を続け、パイロットと乗務員はひとことも言葉を発しないようにした。

シリア側は戦闘機を目にすることさえなかった。戦闘機は午前0時すぎに標的上空に達して編隊を解き、一旦高度を上げてから次々に原子炉目がけて急降下した。

数秒で各機2発ずつ爆弾を投下。爆弾は原子炉の屋根や壁を直撃し、その様子は全てカメラに収められた。連続して大爆発が起き、まず屋根が、続いて壁が崩落した。原子炉は修復不可能なまでに破壊された。

戦闘機は2分弱で標的上空を離れて作戦のチーフパイロットに無事を報告、チーフパイロットがテルアビブに無線で報告した。「アリゾナ」。ミッション完了という意味だ。



ヘブライ語で「ボア(穴)」と呼ばれるIDFの地下司令室では喝采が起きたが、シュケディはまだ緊張を解くわけにはいかなかった。パイロットとの最終ブリーフィングで、シリア戦闘機と直接対峙してはならないと指示していた。シリア機が撃墜されたらアサドは「否認モード」に引きこもって見て見ぬふりをするわけにはいかなくなる。

作戦自体がなかったかのように見せ掛ける必要があった。戦闘機は一気に加速してデリゾールを後にした。午前2時、作戦開始から4時間弱で全機がそれぞれの基地に戻った。

「否認モード」に賭けて

「穴」に緊張感が漂った。だがヤドリンは部下たちの読みどおり、アサドは「否認モード」に引きこもるはずだと考えていた。アサドは長年そうしてきたように、今回もイスラエル機の領空侵入に見て見ぬふりをするだろう。戦争に踏み切るには、9月6日の謎の空爆に対して、イスラエルと戦争を始める理由を国民に説明しなければならない。1973年の第4次中東戦争以来最大の戦争に、だ。

経済が破綻しかけているのに、なぜ負け戦に国を引きずり込むのか、国民はいぶかるだろう。アサドがひそかに原子炉を建設していたと知ったら、国民が食べるものにも困っているのに原子炉に無駄金を使うとは何事か、と猛反発する恐れもあった。

一方、分裂し不満を抱く国民を結束させるには戦争が一番だということも、アマンの分析官たちは知っていた。アサドが報復を決断した場合、国民を納得させる口実はある。「軍事力を増強してシリアを超大国にしようとした」が、シオニストがその可能性を奪った。だから戦争に踏み切った――と言えばいい。

だが実際にはアサドの側近数人を除いて、シリア政府内で原子炉の存在を知っていた者は皆無に等しかった。IDFの北部軍が有事の際は援軍到着まで前線で持ちこたえるべくシリアとの国境付近で待機した。

空爆に加わったパイロットたちは離陸前、着陸して燃料を補給し再び離陸する可能性もあると聞かされていた。アサドが最終的にどう出るか、誰にも分からなかった。

IDFはさまざまなシナリオに備えた。オルメルトは空爆直後にアサドに内々にメッセージを送ることも考えた。イスラエルは原子炉を破壊したが作戦はそれだけだ、「そちらがおとなしくしていれば、こちらも何もしない」と知らせるためだ。



結局オルメルトはアサドに連絡しないと決めた。何が起きたのか、アサドには分かるはずだ。

数時間ほどで、ヤドリンはアマンの思惑どおりに事が運んだと確信した。シリア側の動きに変わった点はなかった。部隊の動員も空軍機の急発進もスカッドミサイルが発射台に搭載されることもなかった。戦争が起きる気配はなかった。

軍事顧問の最新報告を受けたオルメルトは直ちにブッシュに連絡。APEC(アジア太平洋経済協力機構)の会議でオーストラリアにいたブッシュは「何かあればアメリカはイスラエルの味方だ」と答えた。

数日後、米大統領執務室からオルメルトに電話してきたブッシュは一転して有頂天だった。「エフド、友よ!」と叫び、イスラエルは正しいことをしたと言った。国の存亡に関わる脅威を排除したのだ、と。

<本誌2019年7月2日号掲載>


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ヤーコブ・カッツ(エルサレム・ポスト紙編集主幹)

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