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和歌山カレー事件、林眞須美死刑囚の長男が綴る「冤罪」の可能性とその後の人生

ニューズウィーク日本版 2019年8月21日 17時55分

<21年前に日本中を騒がせ、4人が死亡した毒物混入事件は、冤罪だったという説がある。ツイッターを始め、『もう逃げない。』という著書を出版した長男は何を語るのか>

『もう逃げない。~いままで黙っていた「家族」のこと~』(林眞須美死刑囚長男・著、ビジネス社)の著者は、今から21年前の1998年7月に発生した「和歌山毒物混入カレー事件」の犯人として逮捕された、林眞須美死刑囚の長男。

事件当時は小学5年生だったが、同年10月4日の早朝に両親が逮捕されてからは、高校3年生まで和歌山市内の養護施設で暮らし、現在は会社員として働いている。

67人が中毒症状を起こし、4人が死亡した和歌山毒物混入カレー事件については、林眞須美が無罪を訴えつつも、2009年に最高裁判所で死刑が確定しているが、実は冤罪だったのではないかという説がある。林夫婦が事件以前に大掛かりな保険金詐欺を働いて巨額の富を得ていたことは事実で、それは長男である著者も認めている。しかし、カレー事件については、関与していない可能性が高いのだという。

その根拠の全てをここに書くわけにはいかないが、当時はまだ子供だった著者もここで「自分の目で見たこと、聞いたこと」を具体的に明かしており、それらは全て辻褄が合う。

 事件翌日、ニュースを見ながら父が、「これは、あれやな。あの犬を殺ったヤツが犯人やな」 と言っていたのを覚えている。 父は、近所の人たちから胡散臭がられていた一方で、何人か親しい人もいた。昔からの地主だという近所のSさんという高齢の女性とは、母も交えて一緒にカラオケに行ったりしている仲だ。 ぼくら家族が引っ越してきてしばらくしてから、そのSさんがうちに来て父と世間話をしているとき、こんなことを言っていた。「林さん、あんたえらいところに引っ越してきたな。ここらは物騒なことが多いんやで。あんたら越してくる前に、この辺の飼い犬が何十匹も毒殺されてるんよ。あんたの家の裏の畑に毒がまかれて、1年間使われんこともあったんよ」 父は、Sさんから聞いた、この犬の毒殺事件とカレー事件を結びつけたのだ。もちろんこの時点では、父にとってカレー事件は他人事にすぎなかった。(32〜33ページより)

例えばこんなところからも、ある種のリアリティーを感じることができるかもしれない。カレーには青酸化合物だけではなくヒ素も混入されていたと聞き、父親の健治は背筋をゾッとさせたという。しかしそれは、ヒ素を摂取して体調不良を起こすことで、保険金をだまし取っていた過去があるからだった。

なお両親は保険金詐欺関連の容疑で逮捕されたあと、和歌山市内の別々の警察署で取り調べを受けることになる。カレー事件では直接証拠がなかったため、警察も検察も、眞須美に自白させる必要があった。だが彼女は自白をせず、取り調べ中に自分を殴った刑事を殴り返し、刑事たちから恨みを買ったそうだ。



一方、眞須美に自白させることは無理だと考えた検察は、健治を抱き込むことにし、まずは離婚を勧め、離婚届を差し出した。しかし健治がサインをしなかったため、眞須美には愛人がいたと言ってモーテルの領収書を見せ、揺さぶりをかけた。

 父はあとから、「あんなデブのおばはんの相手を誰がするんや。あれは検事が自分でモーテルに行ったときの領収書や」 と言っていたが、内心は揺れていたかもしれない。(93ページより)

もちろん保険金詐欺をしたのは事実だが、本当にカレー事件に関与していないのだとしたら、ふたりが頑なに抵抗するのは当然の話ではないだろうか。

だが問題は、夫婦以外にも被害が及んでいたことである。言うまでもなく、著者をはじめとする夫妻の子供たちのことだ。

1998年10月4日、両親の逮捕後、市内の児童相談所に一時入所したぼくたちは、何度も警察署へ連れて行かれ、刑事たちから話を聞かれた。「カレーは好きか?」と笑顔で尋ねてきた刑事もいた。冗談を言って和ませようとしたのかもしれないが、とても笑う気にはなれなかった。 母がカレーにヒ素を入れたというストーリーと矛盾するようなことを言うと、「そうじゃないだろう!」と机をバンバン叩かれた。容疑者でもないのに、まるで「取調べ」だった。 怖くて言うことを変えると、つじつまが合わないとしてウソつき呼ばわりされた。本当のことを言ってもウソつき呼ばわりされ、言うことを変えてもウソつき呼ばわりされ、しまいには頷くことしかできなくなった。(100ページより)

繰り返すが、著者は当時小学5年である。長女は中学3年、次女が中学2年、三女にいたっては4歳。そんな子たちが警察で犯罪者のような扱いを受け、児童相談所や児童養護施設ではいじめを受けることになる。

 当時まだ4歳だった愛美は、なぜ両親と離れて暮らしているのかが、理解できていなかった。しかし姉たちもぼくも、そのほうが愛美のためだと思い「お父さんとお母さんはお仕事で遠くへ行った」と話していた。 ところが、わざわざ愛美に「あんたのお父さんとお母さん、本当はどこへ行ったか知ってる?」と聞き、カレーに毒を入れて逮捕されたのだと得意げに説明する子どももいたのだ。(108ページより)
(愛美は仮名)


こうして施設内でいじめを受けながら育った4人のきょうだいは、成長した現在、別々の人生を歩んでいる。具体的には、著者を除く3人は両親との関係を断つことを選択し、母親の面会にも行っていないという。

一方、著者は、きょうだいの平穏な生活を守りたいという思いもあり、父親とふたりで母親を見守っていきたいと考えているそうだ。



「大事な娘を死刑囚の息子にやれるか!」

なお、「結婚願望が強すぎる」と自己分析している彼は、何度か交際女性のとの結婚を意識している。しかし、結婚に対する憧れはあるものの、なかなか実行に移せなかったようだ。「ぼくと結婚する人が、たいへんな重荷を背負うことになるのはたしかだ。生まれてくる子どもは、『死刑囚の孫』になるのだから」という思いがあったからだ。

しかし、何人かの女性との交際を経て、本気で結婚したいと思う相手と出会う。その女性は、"「父が前科者で、母は死刑囚」の施設育ち"という過去を受け入れてくれた。

女性の両親にはそれまで「両親は交通事故で亡くなった」と話しており、著者のことを息子のようにかわいがってくれた。そして結婚が具体的になり、先方の父親が「ご両親のお墓にもお参りしないといかんね」と言いながらビールを注いでくれたとき、著者は真実を明かすことを決意する。それ以上のウソをつくことはできないという思いからのことだった。

「あのぉ」 そこで一息ついてから、ぼくは一気に言った。「カレー事件ってありましたよね。ぼく、その息子なんです」 かなり言葉を省略したが、これで十分通じるはずだと思った。(中略)「もしかしたら素性を知っても、お父さんはぼくを受け入れてくれるのではないだろうか?」 という淡い期待もあった。 しかしその期待は、お父さんの次のひと言で木端微塵にくだかれた。「大事な娘を死刑囚の息子にやれるか!」 お父さんの怒号を聞いて、台所にいた彼女が驚いてすっ飛んできた。お母さんはわけがわからず呆然としていた。 彼女に、「言ったの!?」 と聞かれたので、頷いた。「どうして言ったの!?」 と問う彼女の目は、怒りに満ちていた。お父さんは言葉の限りを尽くしてぼくをののしった。 ぼくはお父さんの罵声を浴びながら、彼女の家をあとにした。お父さんも追いかけては来なかったし、彼女も追いかけては来なかった。(190〜191ページより)

本書の巻末で著者は、母親の無実をことさら声高に主張しようとは思っていないと綴っている。100パーセント無実だという証拠がないからだ。そして、もし本当に犯人だったなら、死刑に処されるのは当然だとも考えているという。

とはいえ、やったという確証もない。もしもやっていないのなら、見殺しにはできない。そんな思いがあるからこそ、最近になってツイッターを始めた。

大手メディアを通じて一方的に発信するだけではなく、カレー事件や母親のことに多少なりとも関心を持ってくれる人々と直接やりとりをしたかったというのである。

当然のことながら辛辣な意見も届くようだが、「林真須美の息子」であることから「もう逃げない」と決意したからこそ、全てを受け止めていく覚悟はできていると結んでいる。

この事件に対する印象はさまざまだろう。しかし、少なくとも本書に目を通しておくべきだと感じる。私がそうであったように、見方が変わる可能性があるからである。


『もう逃げない。~いままで黙っていた「家族」のこと~』
 林眞須美死刑囚長男 著
 ビジネス社


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。

印南敦史(作家、書評家)

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