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金利がある世界、過度な楽観は禁物

ニューズウィーク日本版 2024年3月22日 20時15分

<日本銀行は3月19日に、マイナス金利含めた大規模な金融緩和手段の多くを止めることを決定。その意味を考える>

日本銀行は3月19日に、マイナス金利を含めた大規模な金融緩和手段の多くを止め、政策目標を短期金利(無担保コールレート)として0-0.1%に設定することを決定。これは、会合直前に複数のメディアが報じた通りの政策変更だった(政策の変更の詳細を大手メディアが事前に正確に報じたのは、ガバナンスの観点から深刻な問題だが本稿では扱わない)。

2月の時点から、植田総裁を含めた日本銀行のメンバーから、2%インフレが見通せる状況になりつつあるとの見解が、相次いで示されていた。その上で、今回の声明文で「2%物価安定の目標が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断」「(マイナス金利政策などが)その役割を終えた」との認識が明示された。

植田総裁らは「インフレと賃上げ」の好循環を重視

植田総裁らは「インフレと賃上げ」の好循環を重視、これが進展すれば、政策変更に踏み出す考えが一貫して示されていた。多くの市場参加者にとって、マイナス金利などの非伝統的な政策の取りやめは、想定された政策変更と位置付けられる。

 

3月15日に判明した、春闘の賃上げ率(連合による初回集計)は5.2%と、前年実績3.6%を大きく上回った。筆者は春闘賃上げ率について4%台と高めの伸びを予想していたのだが、かなりの上振れである。もちろん、初回集計値は下方修正されるので5%賃上げというのは出来すぎではあるのだが、これを踏まえると、23年度に1.5~2.0%付近で推移していた賃金が、24年度には1%p以上伸びが高まりそうである

であれば、24年夏場から名目賃金が3%程度は伸びることになる。名目賃金3%の伸びは、2%インフレと整合的との考えを、黒田前総裁らは示していた。この条件が、ようやく満たされる可能性が高まったと位置付けられる。

再びデフレに陥るリスクは更に低下した

22年以来インフレが上振れたのは、原材料価格や円安によるコストプッシュが主たる要因であり、持続性を伴わない物価高である。労働市場の需給改善によって賃金が3%上昇しつつあるならば、インフレの性質は異なる。政府・日銀が目指す安定的な2%インフレが、賃金上昇を伴いながら実現する状況が近づいており、再びデフレに陥るリスクは更に低下したと言える。

また、本来、賃金は、インフレの遅行指標と位置付けられる。賃金動向を重視した政策運営を行ったことで、金融緩和が長期に及んだ。それが22年からの円安進展をもたらし、脱デフレを後押しした。原材料高や大幅な円をきっかけに、コスト抑制を優先していた多くの日本企業の行動を変えるに至り、脱デフレのプロセスが一段と進んだということだろう。

今回の政策枠組みの転換で、日銀は他の中央銀行同様に、短期金利の操作を軸に政策運営を行う。また、「当面緩和的な金融環境が続く」との声明文が、ハト派的と解釈されているが、この文言に「今後ゼロ金利を長期間続ける」という意味合いは、ほぼないだろう。日銀の判断次第で金利はいつ上昇してもおかしくない、と想定した方がよい。

2000年や2006年の拙速な利上げとは相違点が多い

今回の日銀の政策変更は、日本経済にどう影響するか?わずかでも金利引き上げなのだから、住宅投資など金利敏感セクターにはブレーキがかかり、経済成長を抑制する。「金利上昇で利子所得が増える家計には恩恵」「金利上昇によってゾンビ企業の淘汰が進む」「金融正常化は変革の好機になる」など、金利がある世界が望ましいかのようなメディアの報道は的外れだろう。

一方、当面短期金利はゼロ近傍で推移するが、日本のインフレ期待は2%に向かい今後定着する過程にあるとみられる。いわゆる実質金利でみれば、当面かなりのマイナスのままで推移すると見込まれる。このため、今回の利上げが日本経済を失速させて、デフレリスクを高めるには至らないとみられる。なお、筆者の予想外の動きなのだが、日銀の政策転換はこれまでのところ円高を招いておらず、経済安定にとって朗報である。また、日銀の利上げの失敗ケースと言えば、2000年や2006年などがあるが、当時の拙速な利上げと、今回の利上げでは相違点が多いと筆者は考えている。

明確な賃上げによるインフレ環境の変化が、政策転換をもたらす、という理屈に関して筆者は理解できる。ただ、賃金上昇率を含めてより多くの情報が得られる4月会合まで、判断を待たなかった理由は植田総裁からは聞かれなかった。できるだけ早く金融緩和を止めたかった、という情緒的な植田総裁らの思いが、早期の判断に影響したのだろうか。また、新たに定めたゼロ金利をやめる条件などを日銀は全く明示していない。この曖昧な対応が今後行き過ぎた引締めを招くことになれば、日本株市場などにとってリスク要因になる。

実際には、今後日銀は追加利上げを見据えることになるが、より確かなエビデンスがなければ、利上げに踏み出すのは難しいだろう。24年夏場以降の実質賃金上昇が、個人消費を刺激して需給ギャップがプラス領域に転じ、インフレ圧力が高まることが、次の利上げの条件になるだろう。このハードルは相応に高いため、追加利上げはせいぜい24年末までに訪れるかどうかではないか。

日本が普通の経済状況に戻る通過点の一つ

2024年になって、日経平均株価は1989年のバブル期以来の最高値を更新するなど、日本経済の長期停滞が終わりつつある事を示唆する動きがみられている。かつては、日本は人口減少のおかげで成長停滞が続くため、デフレは避けられないなどの言説も散見され、金融緩和も不十分にしか実現しなかった。実際には、黒田前体制で実現した政策レジーム転換で金融緩和が強化されたことで、デフレはようやく克服されつつある。

デフレ克服に必要な政策手段は役割を終えたと判断する日銀の判断は、長年にわたった日本経済の異常な停滞が終焉しつつあることを意味する。もっとも、異常な状況を是正する対応により必然的に、「金利がある世界」に戻りつつあるというだけで、日本が普通の経済状況に戻る通過点の一つに過ぎない。象徴的な出来事ではあるが、一方的に楽観視するべきではないだろう。

金融緩和は、衰退企業を延命させるよりも、前向きな企業行動を促す大きな効果がある。金融緩和が弱まるネガティブな影響に配慮しながら、日本銀行は拙速かつ行き過ぎた引締めに踏み出さないことが肝要である。今回の政策変更によって、事実上フリーハンドを得た日銀の政策判断が、株式市場の不確実性を高める新たな要因になった、と冷静に認識すべきだろう。

(本稿で示された内容や意見は筆者個人によるもので、所属する機関の見解を示すものではありません)

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