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そこにない幻の匂いを感じる「異嗅症」を知ってる?

ニューズウィーク日本版 2024年4月25日 18時25分

コリン・ジョイス
<数年前から始まった、同じ時間に漂ってくるあるはずのない匂いの正体は...>

今回は、イギリスについての話題やいつもブログに書いているようなネタというよりもずっと「私的な」ものだが、興味を持ってくれる人もいるかもしれない。実を言うと、この奇妙さを語りたいと時折思っていた――僕は「幻の」匂いを感じることがあるのだ。他にそういう人に会ったことはないが、どうやら僕だけではないようだ。

僕はそれをとても奇妙だと表現するけれど、同時にとても慣れっこになってもいる。それは、自覚するよりずっと前から始まっていた。

8年ほど前のこと、突然クローブタバコを思わせる(でもクローブタバコそのものではない)独特の香りがしているのに気付いたことがあった。それは煙のように「くすぐったい」ものでやや甘く、1日のうちで同じ時間、つまり夕方ごろに感じられる傾向にあった。

これが幻想だと気付かなかったのは、本物の匂いだと思い込んでいたから。当時、僕の隣の家の住人はポーランド人で、僕のキッチンのすぐ外の庭でタバコを吸っていた。古い家ではよくあるように、僕のキッチンにも空気を出し入れする換気口がある。

だから、多少の煙が漂ってきていると考えるのが当然で、たまたま隣人一家は何かしら香りのするポーランドのタバコを吸っていたし、いつも午後4時くらいに帰宅していたし......ということで、全ての合点がいった。

原因なく発生する大抵は無害な症状

僕の思い込みが間違っていたと気付いたのは、彼らが引っ越して行って、それでもまだ匂いが続いてからのことだった。この段階で、僕はこの現象を調べて以下のことが分かった。①幻の匂い(異嗅症)はよくあることで、②無害なケースが大半であり(まれに重い疾患と関わっていることも)、③通常は判別可能な原因も無く発生し(医学用語では「特発性」)、④大抵は悪臭であり、しばしば「ゴムが焼ける匂い」などと報告される。

最後の④に関しては、僕はラッキーだったようだ。当初から僕は、感じられる「ハーブタバコ」の匂いが気に入っていた。

本当に奇妙なのは、それがある時点で変質したこと。今では全く違う匂いを感じるが、時間帯はほぼ同じだ。通常は仕事をしている時で、家にいる時しか感じない。表現するのが難しいが、例えるならとてもいい香りのするせっけんのよう(幻の匂いを体感しているのだと判明していなかったら、単に自分が使っているせっけんの匂いだと思っていたことだろう)。でももう正体が分かっているから、僕は自分のせっけんの匂いを「確認」してみて、感じている匂いとは別物であることが断定できた。さらに、トイレに行って手を洗った後だけでなく、勝手なタイミングで匂いが現れることにも気付いた。

今ではこうした匂いが僕の生活の大きな部分を占めているだけに、その匂いをうまく表現できないのは皮肉なことだ。この現象が起こる時、僕はある種の「嗅覚の世界にいる」ようなもの。その際には匂いを感じることが最重要の出来事になり、僕の感覚を支配する。言うなれば、大画面の前に座って、4Kの実力を見せつけるために作られた色鮮やかな映像を見ているようなものだ。

僕の感じるせっけんの香りはバニラに少し似ているが、洗練されていてより複雑だ。これをボトルに詰められたら販売できるんじゃないかと時々思ったりする。

このことをいま書こうと思ったきっかけの1つは、まさにいま僕が変化の時を迎えているから。新たな2つの匂いが出現しているようなのだ。1つは夜に現れて、そのせいで目を覚ましてしまうこともある。

不愉快な気分になりそうなものだが、奇妙なことに、逆だ。言葉で言えば「安心できる」という感じ。奇妙に聞こえたら申し訳ないが、例えるならその匂いは、自分らしい匂いがし始めているから今日は着たけど明日はもう着ないほうがいい着心地のいいTシャツ、というたぐいのもの。

この場合も、実際に僕のパジャマや枕カバーの匂いではないかと徹底的に「確認」したが、翌朝しっかりと嗅いでも同じ結果にはならなかった。確かに夜中に目を覚ますほどの強力な匂いには至らなかった。

もう1つの新しい匂いは、タバスコソースに似たものだ。ちょっと辛めで激しい感じ。僕は、料理がやや薄味な時にたまにタバスコを使うことがある。でも頻繁に使うわけでもないし大好きなわけでもないので、今やこの匂いが僕の生活の大きな部分になっているのはおかしな感じだ。

「治したいか」と問われると...

最近、神経学的に普通とは異なる人々について取り上げたラジオ番組を聞いていた。具体的に言うと、頭の中で物事のイメージを思い描けない人たちだ。彼らは例えば、レモンとはどういう姿か頭の中でイメージを呼び起こすことができない。そのため彼らは、例えばトラック運転手ごっこをするなどして子供の遊びに付き合うことも苦手だ。

また、彼らは眠れない夜をやり過ごすために好きな人の顔を思い浮かべる、ということもできないとの話も出た。そのため、この症状を抱える人々は特に写真を好むのだという。

最後に一番興味深かったのは、ある医師によると、こうした人々は症状を「治したいか」と尋ねられると、1日だけ「普通の人になる」経験もしてみたい......それがどんなふうか見てみたいから、と答えることが多いらしい。そして、一度体験したらその後はいつもの自分に戻りたいのだという。

それを聞いて僕は、自分の奇妙な部分をなくしてしまいたくはないと思った。僕はそこにない匂いを感じており、それが僕自身の一部でもあるのだから。



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