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結成10年「シダマツ」、敬語やめ遠慮が消えて心一つに…「2人でどんなことも乗り越え」銅メダル

読売新聞 / 2024年8月4日 17時42分

バドミントン女子ダブルスの3位決定戦で勝利し、観客の声援に応える松山奈未選手(左)と志田千陽選手(3日、パリで)=上甲鉄撮影

 パリオリンピックは3日、バドミントン女子ダブルスの3位決定戦が行われ、志田千陽、松山奈未組(再春館製薬所)の「シダマツ」ペアが、マレーシアのパーリー・タン、ムラリタラン・ティナア組に2-0で勝利し、銅メダルを獲得した。

 あふれ出る涙を抑えきれず、松山奈未選手(26)が両手で顔を覆う。そんな後輩を志田 千陽 ちはる選手(27)がほほ笑みながら抱きしめた。初めて組んで10年。正反対の性格の「シダマツ」ペアが、心を一つにバドミントン女子ダブルスで銅メダルに輝いた瞬間だった。(上田惇史)

 出会いは2013年に全国のジュニア選手を集めて行われた福岡での合宿。地元の中学3年だった松山選手が思い切って、1学年上の志田選手に尋ねた。「連絡先を教えてください」

 秋田出身で青森山田高1年だった志田選手は明るくて、いつも輪の中心にいた。人見知りな自分にも優しく話しかけてくれた。「友達になりたいと思った。普段はそんなことしないのに」と笑う。

 2人は翌14年に初めてダブルスを組んだ。志田選手は、後輩の実力に目を見張った。「誰もまねできないトリッキーな動きで、スピード感も一致した」

 松山選手は志田選手を追いかけ、1年遅れで同じ会社に入った。本格的にペアを結成した2人は東京五輪の出場を逃すと、誓い合った。「自分たちがパリに行く」。選考レースの序盤、負けが込んだ。志田選手が語りかける。「笑顔でやろう」。うまくいかない。

 徐々に会話が減った。松山選手は「何か言えるほどの自信がなかった」。意見を言って悪い方向に進むのが怖かった。2人を見た誰もが同じことを言った。「松山が変わらないと」

 きっかけは昨夏だった。五輪出場という目標を再確認し、互いに思っていることを吐き出した。話し合いは2時間に及び、2人は悔いなく戦おうと決めた。

 松山選手が考えを伝えるようになった。敬語を使わず、「チイ」「ナミ」と呼び合いながら、どこかにあった遠慮が消えた。「ついていく気持ちから対等になれた」。崩れると立て直せない悪癖が改善された。

 今大会でもそうだった。前日の準決勝で敗れ、悔し涙を流した2人。「全てを出し切ろう」と気持ちを切り替えた。序盤から持ち味のスピードを生かした攻撃で、相手ペアを圧倒して勝利をつかんだ。

 「ありがとうという気持ち。ナミが泣きすぎて、涙が出てこない」と志田選手。その隣で、松山選手は言った。「2人でどんなことも乗り越えてきた」

 互いにたたえ、励まし合い、初めての五輪を戦い抜いた。志田選手は最後に松山選手の手を引いた。握った手を掲げ、客席に向かって何度も頭を下げる。歓声の中、そろって笑顔でコートを去った。

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