【映画作家・想田和弘に聞く】NYから牛窓に移住した理由と新作「五香宮の猫」のこと…「猫は社会の状態示す」
読売新聞 / 2024年10月25日 19時0分
映画作家の想田和弘と、その作品のプロデューサーであり妻である柏木規与子は、2021年、27年間暮らした米国ニューヨークを離れ、岡山県瀬戸内市の港町、牛窓に移住した。公開中の最新作「
「観察映画」第10弾
想田は、米国ピーボディ賞などに輝いた初長編「選挙」(2007年)をはじめ、自らの作品を「観察映画」の手法で撮ってきた。その手法は、自身が掲げる「観察映画の十戒」に基づいているが、要するに、テーマも台本もあらかじめ設けず、目の前にある現実を観察しながらカメラを回し、何かを発見していくスタイルだ。ナレーションや説明テロップも原則使わない。観客は、想田が撮影・編集の過程で発見していったことを追体験するように映画をみることになる。テーマ第一主義の作品が陥りがちな予定調和はそこにはない。だから面白い。
「観察映画第10弾」である「五香宮の猫」も、テーマやメッセージありきで始まった作品ではない。牛窓に移住して間もない想田と柏木が、路頭に迷っていた野良猫の兄弟、茶太郎とチビシマを保護し、地元の猫の保護活動に携わる人の世話になったことから、ことが転がり始めた。柏木は五香宮の野良猫たちの避妊去勢手術に取り組む活動に携わるようになり、想田はその様子を撮り始めた。想田は、五香宮の日常にカメラを向けながら、コミュニティーを維持する人々のささやかな営みに気づいていく。野良猫をめぐる意見の相違が地域の火だねになっていることにも。
「人間様」の都合本位の世界から「降りたい」
インタビュー場所の東京・新宿の映画配給会社を訪れると、いい色に日焼けした想田がそこにいた。風光
牛窓は、柏木の母親の故郷。今は亡くなった祖母のもとを訪ねたり、夏休みを過ごしたりするために、以前から訪れていた場所だ。これまでにも「牡蠣工場」(15年)、「港町」(18年)と、2本のドキュメンタリーを、そこで撮っている。
しかし、なぜ、長年暮らしたニューヨークから日本に――? 想田は「日本に帰ってきたというよりも、牛窓に移住したという感覚なんですよね」と言う。契機はコロナ禍だった。「東京で実感したコロナと牛窓で実感したコロナって全然違うんですよ」
2020年春、想田は、前作「精神0」のプロモーションのため、東京にいたが、緊急事態宣言で身動きがとれなくなった。ニューヨークに帰ろうにも帰れない状況。「とりあえずちょっとどこかに逃げたい」と、向かった先が牛窓だった。
「で、牛窓に行くと、もう全然世界が違って見えるわけです。例えば、猫とかマスクしてないじゃないですか。魚もしてないし、海とか、山とか、木とかも、コロナ関係ないですよ。それで、すごく思ったのは、そうか、『人間様』だけが困ってるのがコロナだったんだなって」。視界がひらけた。
「東京も、ニューヨークも、人間様によって人間様のために作られた人工的なものばかり。人間しかいない大都市にいると、映画館も飲食店も閉まり、公園ですら立ち入り禁止みたいになっちゃったり、どこへ行ってもコロナの影響が及んでいて、全部終わってしまったかのように感じたけれど、実はそれは世界の一部分」。自然から離れて生きていると、見失ってしまうことがあると実感したという。
「(多くの人間は)自然から隔絶されて生きているから、自然を利用し尽くす対象としかみていない。だからばんばん破壊もできちゃう。それは文明の病なんじゃないかな、と思うんですよね。もうそこから降りたい。もっと自然に合わせた生き方をしたい」。そして、牛窓に移った。
「もっと、もっと」は、きりがない
想田は、1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部を卒業し、ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科へ。それから27年、ニューヨークに拠点を置いた。やはり、そちらが良かったんですよね――?「そうですね。僕自身、すごく上昇志向の強い人間だったので。でも、きりがない」と想田は言う。
「人間の欲望って、渇きのようなもの。ドラッグと同じで、打てば打つほどもっと欲しくなる。上昇志向もそうで、一生懸命自分を駆り立てて、嫌な言い方ですけど、いわゆる『上』を目指すみたいなことを、僕もずっとやってきたんだと思うんです。人を押しのけて、競争して。でもそれで勝ったって、ずっと勝ち続けるわけがない。必ず負ける。勝ちが大きければ大きいほど、負けもきつくなる。だから、この競争にずっと身を置いていくことは、あまり自分にとって幸せなことではないなっていうことにだんだん気づいてきた。特に
以前から「違和感は感じていた」と言う。「上昇志向が強くて、成績も悪くなかったから、勉強して、東大に合格するわけですよね。合格したらもう自分の人生はバラ色、すごいハッピーになるだろうと思った。実際、しばらくはバラ色の気持ちでしたけど、慣れると、また、『もっと、もっと』と思うわけですよね。その時から『あれ?』と」
映画も、最初は「生涯に1本でも作って、映画館でかけられたら、もうそれでいい」と思っていたのが、「もっと、もっと」になった。「それで幸福感が高まるわけではなく、むしろ渇いていく。『選挙』はあんなに売れたのになんで今度の作品はそこまで客が入らないんだろうとか、もう余計なことばっかり考える。ほかの人と競争するだけじゃなくて、自分自身とも競争し始めちゃうわけです」
「そういう欲望、考え方そのものをどうにかしない限り、心の平安みたいなものは得られないんじゃないか」と言う想田。どうにかするすべを探りながら、映画を撮ってきたということか――。「どうしたら幸福でいられるかっていうことを、ずっと模索している感じはあると思います。それは自分だけじゃなくて、他人も含めて、猫や植物や、虫や、その他生きとし生けるものの幸福。その問いがあって映画を作ってきている、ということはずっと一貫してあると思います」
鬼に金棒、想田に猫
「五香宮の猫」の世界初上映は、今年2月、ベルリン国際映画祭で文字通り満席の中、行われた。その後も作品は世界各地の映画祭をめぐっているが、「猫パワーはすごくて、香港でもシドニーでも、サンフランシスコでもどこでも(チケットは)結構ソールドアウト」。ロンドンでは発売と同時に売り切れ、追加上映を望む声がSNSなどにあがっていたという。ただ、それは、単に猫の映画だから、ということではないだろう。
想田のドキュメンタリーは、これまでも幾多の国際映画祭で上映され、数々の賞を受賞。前作「精神0」は、フランスのナント三大陸映画祭グランプリなどに輝いた。
ベルリンには、「選挙」以来、繰り返し正式招待されている。記者は、「五香宮の猫」のベルリン上映を見たが、満席の場内は心地よい熱気に包まれていた。会場はドイツ最大のアートハウス映画館だという、デルフィ・フィルムパラスト(640席)。想田、柏木との質疑応答も盛り上がり、2人が、世界初上映を前に、牛窓のご近所さんたちを一軒一軒回ってあいさつしてきたことを明かすと、観客から「ベルリンからもよろしく!」の声。2月の寒さを忘れさせる温かさがあった。
猫はこれまでも想田の作品にさまざまな形で登場してきたけれど、要するに、想田和弘という映画作家には世界中にファンがいて、その人が猫を撮るということは「鬼に金棒」ということでは――とインタビュー中に言ったら、ご本人は「想田に猫?」と笑った。
タブーをタブーでなくす
ただし、「五香宮の猫」を撮ることは、冒険でもあった。「猫の映画で、のほほんとしてるかと思いきやですね、結構これは本当に繊細な問題を扱っている」。というのは、「牛窓にも、『猫を大切に守りたい』『世話したい』という人たちもいれば、『そうやって餌をやるから、うんちを庭にされて困っているんだ』という人たちもいるわけですよ」。その亀裂を表面化させないために、「猫について語ること自体がタブー」のような空気もあったという。
「だから、こんな映画を作ることには、みんな『え……』みたいな感じでした。最初のうちは特に猫に困っている人たちから疑心暗鬼の目で見られていたんじゃないでしょうか。『何を撮りよるんじゃろう』と」
そうした気配もこの映画はとらえていて、猫の話が、五香宮エリアの自治会の役員会の議題に上がる場面では緊張感がただよう。「
ただ、このシーンを見れば、話す場を設ける重要性を感じる人も多いはずだ。「感情とか、考えていることを表出して、お互いに確認する。これが実はすごく大事。何か明確な解決策を出さなくても、そうやってシェアすること自体がもう、何らかの解決だったりする。それってもしかしたら伝統社会で培われた知恵なんじゃないかなっていう気もします。けんかにならないためのね」
4月には、「ご近所さん」約70人を呼んで、牛窓町公民館にて「出演者試写会」を行った。「すごく緊張しました。猫が好きな人もそうでない人もみんな一堂に会して見るわけですから、大丈夫かなと思って」。でも
「それ以来ちょっと、猫はタブーじゃなくなった感じがします。僕らももっとおおっぴらに世話できるようになったというか」。猫への餌やりに否定的だった人にとっては、立場を異にする人たちの
野良猫が暮らしていける街は、いい街だ
もちろん、野良猫と人間の関係については、まだまだ考えることがある。
「(避妊去勢)手術の問題は、特に猫好きからするととても複雑ですよね。すごく不自然なことをしていることには間違いない。猫を世話していきたい人たちと、
「野良猫が暮らしていける街は、いい街だ」というのは、想田の持論。「猫って人間のケアなしではサバイバルできない生き物で、その猫が生きていけるということは、誰かがケアしているということ。そうやって身近な生き物、隣人らのケアができるコミュニティーっていうのは多分、人間にとっても住みやすい社会なんじゃないかなと僕は思うんです」
「まち」の猫の存在、あるいは不在は、「私たちの社会の状態を如実に示すサイン」だと考えているとも言う。「現代社会では、すべてを整理整頓して、消毒して、制御可能なものにしていこうとする意志がどんどん強まっている。そうした潔癖症的な考え、感覚が強まれば強まるほど、制御不能でイレギュラーな存在である野良猫や野良犬は、生きていく余地がなくなる。その流れは多分、公園からホームレスの人を排除するような流れと同じ根を持っていると思うんです」
他者とかかわりながら暮らす
作品中、印象的な光景の一つは、本業は太極拳師範、ダンサー・振付家である柏木が海辺で太極拳をする場面。柔よく剛を制す武術は、共生への道筋を示しているようにも見えるが、「単純にあれは、いつもの光景なんですよ」とのこと。「柏木が太極拳をしていると、なぜか、茶太郎やチビシマはじめ、地域の猫が横のほうでくつろぐんですよ」
「猫、特に外で暮らしてる猫って、人間に関心を示したり、なついたりする印象がないと思うんですけど、実際に仲良くなってみると、僕らのことを家族だと認識していると思う。柏木の説では『家族は一緒にいるものだ』『チーム感が必要なんだ』というふうに彼らはたぶん思っている。実際そんな気がするのは、たとえば、自動餌やり機があっても、茶太郎やチビシマは僕らを呼びにきて、一緒に行かないと食べない。不思議ですよね、猫って。ちゃんと意識を向けないと、不満が残るんですよ」
他者とかかわりながら暮らす。その可能性も、この映画は見せる。都会は無関心、小さな町は過干渉が問題になったりすることもあるが、実際、移り住んでみて、どうですか――。
「光が当たれば影が生じるように、セットなんですよね。牛窓で暮らすことと、匿名性の喪失みたいなことは。もうどこへ行ってもみんな私たちの行動をお見通し、みたいな」
でも、それは「安心感ともセット」だという。「やっぱり気にかけてくれるわけなので。無関心じゃない。家族もそうで、心配してくれるのがうざかったりもするわけですけど、それはありがたいことでもある。ただ、その関係をよく保つためにはそれなりの努力が必要。それはトレードオフというかね、何を選ぶかですよね」
想田自身は、そこにすごく魅力を感じているという。「ずっとそういうのから逃げていたはずなんですけど、自治会に入っちゃったりしてね。なんかもう自分じゃないみたいですよね」。屈託なく笑う。
分け隔てなく
自治会以外にも、語り合う場がこの映画には出てくる。「てんころ庵」というサロンだ。「てんころ庵は、近所の80代、90代の女性たちが中心になって運営している民間のサロン。週に1度、みんなでとっている生協の配達がある日に、一緒に体操したり、ごはんを作って食べたり、集まってワイワイガヤガヤする。ほとんどの人は、旦那さんはもうなくなっていてお一人暮らしなんですけど、ご近所さん同士すごく仲がいいから楽しそうです。非常に開かれていて、外の人も遊びに来る」
地方の町の多くがそうであるように、牛窓も超高齢化の問題に直面しているという。ただ、この映画はそのことをことさら悲観的に見せたりはしない。高齢者についても、子供についても、動植物についても、それぞれのありようをあるがままにとらえていく。生きとし生けるもの、その命を分け隔てなく慈しむように。
ただし、決して大上段には構えないのが、想田映画のいいところ。年齢も性別も種も関係なく、みんな同じ生きものなのだと思わせる要素は思わぬ形であらわれる。それはたとえば、集音マイクのふわふわしたカバーに対するリアクション。「老いも若きも猫も好きなんですよね、ふわふわが」
※「五香宮の猫」は、10月19日から東京・シアター・イメージフォーラムなど、10月25日から岡山・シネマ・クレールほか全国順次公開。想田和弘によるフォトエッセー集「猫様」(発行:ホーム社/発売:集英社)も刊行された
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