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阪神大震災の被害、遺族の証言「オーラルヒストリー」で残す…きっかけはビートたけしさんの発言

読売新聞 / 2025年1月13日 5時0分

被災建物の写真や部屋の間取り図なども盛り込んだ「阪神・淡路大震災―犠牲者の記録―」

[記憶の継承 阪神大震災30年]<1>

 国内初の震度7を観測した1995年1月17日の阪神大震災では、住宅など25万棟が全半壊し、6434人が亡くなった。復興や減災のため、悲しみを乗り越えて被災の記憶を継承してきた人々の30年の営みを追った。

 「苦しいけど残してほしい。忘れてほしくない…。何年か後に皆様の目に残るということはありがたいと思うんです」

 防災研究機関「人と防災未来センター」(神戸市中央区)5階資料室の書棚に並ぶA4判の冊子「阪神・淡路大震災―犠牲者の記録―」には、大切な人を失った遺族の悲しみや後悔、願いが、語られた言葉の通りにつづられている。行政機関が事実関係を整理した公的記録と異なり、「オーラルヒストリー(口述記録)」と呼ばれる。30年の時を超えて、被災の記憶を継承していく力強さを持つ。

5000人いたら5000通りの死のあり方ってのがあるはずだ

 遺族から犠牲者の人生や被災状況を聞き、記録する――。震災発生時は工学部教授だった室崎益輝よしてる神戸大名誉教授(80)がそんな計画を思いついたのは、希代のコメディアンの鋭い洞察に触発されたからだ。

 「死をひとまとめにして扱うってのは失礼だって気がするんだよ。5000人いたら5000通りの死のあり方ってのがあるはずだ」

 1995年秋、ビートたけしさん(77)がこんな発言をしていると人づてに聞き、都市防災の専門家として責任の取り方を考えた。「一人ひとりの記録があって、初めて被害の全貌ぜんぼうがわかる」

 震災3年後、研究室の学生と調査チームを組織し、遺族の元に向かわせた。建物の劣化具合、家具の転倒など犠牲者が亡くなった状況を詳細に聞くことで統計の数値に表れない実態を明らかにし、次の災害への教訓を見いだそうと考えた。

 学生たちは被災地を歩き回って遺族の行方を捜し、調査への協力を求めた。号泣され、追い返されることもあった。「なぜ傷をえぐるようなことをするのか」と批判もされた。

 それでも20年間で学生ら50人余りが調査に参加。部屋の間取り図なども添えて、犠牲者計363人分の証言を冊子にまとめた。

 「優しい女房が犠牲になってくれたのかな、そんなことを思うと胸が詰まる」「実家の耐震補強をしていたら母は死なずに済んだのに」。追慕や後悔の思いが詰まった言葉が集まった。オーラルヒストリーに詳しい安岡健一・大阪大准教授(45)(日本近現代史)は「事実経過だけでなく、語り手の感情、建築関連の情報や教訓まで盛り込まれ、意義深い」と評価する。

 「苦しいけど残してほしい」という冒頭の言葉は、神戸大2年生だった一人息子、加藤貴光さん(当時21歳)を亡くした母、りつこさん(76)が調査に語ったものだ。震災約4年後、友人を大切にする息子の優しい人柄や、国連職員を目指して努力を重ねていたことを説明し、息子の命を奪ったマンション倒壊現場の写真について「見るのはつらいけど残したい」と打ち明けた。

 近藤民代・神戸大都市安全研究センター教授(49)(建築都市計画)は、学生時代に調査に参加したのがきっかけで、犠牲者を減らしたいと研究者になった。聞き取った記録の原本を管理する事務局を務め、シンポジウムなどを通じて当時の経験を伝えている。

 震災を知らない世代が増える中、記録の重みを実感するという。「災害で、誰がどう犠牲になったかを知ることは、今後の災害に備える上で最も重要な基礎。ご遺族の証言は、数字で表現できないものを伝えていく上で大切なんです」(神戸総局 伊藤大輔、松山春香)

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