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練習初日に阪神大震災のヴィッセル神戸、初代主将は「俺らのために頑張ってくれ」胸に強豪の礎築く

読売新聞 / 2025年1月17日 18時54分

神戸の初代主将を務めた石末龍治さん

 1995年元日に誕生したサッカーのヴィッセル神戸(当時はジャパンフットボールリーグ所属)。初練習を予定していた17日、阪神大震災が起きた。苦境下でチームを引っ張ったのが兵庫県伊丹市出身で初代主将の石末龍治さん(60)だ。苦難を振り返り、「ヴィッセルは震災を絶対、忘れちゃいけないチーム」と強調した。(藤井竜太郎)

 94年末にJリーグ・横浜フリューゲルスからの加入が決まり、神戸市西区への引っ越しを3日後に控えていた。テレビで倒壊した阪神高速道路や圧壊した阪急伊丹駅を目にした。

 「地元の駅が潰れていたのは衝撃だった。両親らと連絡がとれるまでの3、4日間の記憶は今でも曖昧。それくらい動揺していた」

 実家は半壊したが、家族にけがはなく、チームメートも無事だった。2月6日、チームは前身クラブの拠点、岡山県倉敷市で始動。強化責任者の安達貞至さだゆきさん(86)から主将を託された。

 「引き受けたものの大変だった。士気はバラバラで、みんな試合ができるか不安を感じていた。それでも、開幕を信じるしかなかった。土日はグラウンドを使えず、公園で練習していた」

 しばらくして、震災で被害を受けた主要スポンサーの撤退を告げられた。

 「安達さんから『チームが存続するかわからない』と。でも、『わしが何とかするから』と言われ、信じてトレーニングを続けた」

 チームは4月から神戸へ戻って練習。新しいスポンサーもついた。グラウンド周辺には仮設住宅が立ち並び、練習中にボールが屋根に直撃したこともあった。

 「サッカーをしている後ろめたさはあった。仮設住宅に謝りに行くと、『遠慮することはない。俺らのために頑張ってくれ』と言われ、胸が締め付けられる思いだった。被災者を励まそうと思っていたが、俺らが励まされていると考え方が変わった。プロ選手は周りの人に支えられていると。恩返しとして(懸命に)やらないといけない気持ちが芽生えた」

 チームは96年にJリーグ参入が決定。98年の現役引退後は毎年、神戸市の東遊園地での追悼行事に参加していた。育成スタッフ時代に下部組織の選手を連れて行くことを提案し、2020年まで続いた。

 「若い選手が風化を防いでいってほしい」

 被災した子どもが対象のサッカー教室に参加した経験から、災害時にスポーツが果たす役割をこう考える。

 「一緒に体を動かすことで被災者らを元気づけ、笑顔を作り出すこと。スポーツはすごくプラスのエネルギーを与えられる」

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